7 朝禮を定むるの詔 推古天皇(第三十三代)

朝禮ちょうれいさだむるのみことのり(十二年九月 日本書紀

凡出入宮門、以兩手押地、兩脚跪之越梱、則立行。

【謹譯】およ宮門きゅうもん出入しゅつにゅうせむときは、りょうもっし、りょうあしして、ひざまづいてしきみえ、すなわちてけ。

【字句謹解】◯朝禮 みかどのいや、朝廷に於ける禮儀れいぎのこと。〔註一〕參照 ◯地に押し 地上につける ◯ 門の內外を區別くべつするしきり、門橛もんけつのこと。

〔註一〕朝禮 かうしたれいは我が神代かみよからあつたのではない。『推古紀すいこき』に「秋九月、朝禮ちょうれいあらたむ」とあるのに注意すれば、この時以後異國風いこくふうのものを採用したことが分らう。一寸ちょっと考へると、無用でつまらない事をも眞似ま ねたやうに見えるが、必ずしもさうではなく、これについては第一に日本人の特色である異國文化を日本化する長所を知り、第二に朝廷の尊嚴そんげんかたの上にあらはすものとしてこれを採用された意味をも知らねばならない。

〔注意〕この新制はあまりに突然に發布はっぷされたので、人々の中には天皇叡慮えいりょを知らず、不平に思つた者があるらしい。天武てんむ天皇十一年九月には、『立禮りつれいみことのり』として、「今より以後、跪禮きれい匍匐禮ほふくれいは、ならびめて、更に難波なにわ朝廷の立禮りつれいを用ひよ」と發布はっぷされた。難波朝廷とは孝德こうとく天皇御代み よであるが、本紀ほんぎには立禮りつれいのことは見えてゐない。

【大意謹述】誰でも宮廷の門を出入りする時には、兩手を地上に垂れて押し、兩脚を曲げて、膝を地につけ、門の內外を區別くべつするしきりを越えてから、立つてかなければいけない。これ禮儀れいぎを整へるために必要である。

【備考】善政ぜんせいき、風敎ふうきょう振作しんさくするについて第一に必要なのは禮樂れいがくであるとふことは、當時とうじ少數しょうすう有識ゆうしき階級が早く意識したところであつた。聖德太子しょうとくたいしは、日本の文化を進展するために、支那し な印度いんど朝鮮ちょうせんなどの實情じつじょうを研究せられ、社會しゃかいに於ける秩序をあきらかにし、その整頓を計るために、禮文れいぶんを制定する必要を痛感せられた。かの十二階の冠位を定められたのも、そのめで、大體だいたいにおいて、支那し なかたを參考とされたのである。

 ここに示された朝禮ちょうれいの改定は、まことすえにちかいものと思はれるが、禮文れいぶんを整へ、秩序を保持してゆくには、かうした方面をもおろそかにしてはならぬといふのが、聖德太子の考へであつたらうと思はれる。推古すいこ天皇(女帝)のもとに攝政せっしょうの地位を占められた太子の意見が、かうして勅書ちょくしょの上に具體化ぐたいかして來たのである。