6-2 廉節を擧ぐるの詔 繼體天皇(第二十六代)

廉節れんせつぐるのみことのり(第二段)(二十四年二月 日本書紀

爰降、小泊瀨天皇之王天下、幸承前聖隆平日久、俗漸蔽而不寤、政浸衰而不改。但須其人各以類進、有大略者不問其所短。有高才者不非其所失。故獲奉宗廟不危社稷。由是觀之豈非明佐。

【謹譯】ここくだりて小泊瀨おはつせの天皇すめらみこと天下てんかきみたるや、さいわい前聖ぜんせいけて、隆平りゅうへいひさしく、ぞくようやくにくらうしてめず、まつりごとみだりおとろへてあらためず、ひともちゐることおのおのたぐいもっすすむ。大略だいりゃくものたんとするところはず、高才こうさいものあやまところそしらず、ゆえ宗廟そうびょう獲奉たもちうけて、社稷しゃしょくあやうくせず。これりてこれれば、あに明佐よきたすけにあらずや。

【字句謹解】◯小泊瀨天皇 武烈ぶれつ天皇のこと ◯隆平 天下太平の意 ◯俗漸くに蔽うして寤めず 天下が太平のあまり人々の氣がゆるみ、風俗は次第に惡化したがしかもそれに氣がつかない ◯政浸に衰へて改めず 政治の實際じっさいが人々を善導ぜんどう出來なくなつても改めない ◯類を以て進む 技倆ぎりょう・手腕におうじて登用する ◯大略 人にすぐれた大謀たいぼう ◯宗廟 皇室のこと ◯社稷 國家 ◯明佐にあらずや 明佐よきたすけは前の「明哲之佐さかしきたすけ」に係る。事物にさと御側役おそばやくがゐたからではないか。〔註一〕參照。

〔註一〕明佐にあらずや 武烈ぶれつ天皇雄略ゆうりゃく天皇と共に國史上勇敢無比の御方おんかたとして知られてゐる。この明佐よきたすけは『』にしたがへば大伴おおとも金村かなむら相當そうとうする。統治者と賢臣けんしんとの關係かんけい具體ぐたい的に說明したものとして、十分裏面りめんの意味を考へる必要がある。

【大意謹述】その後、次第に時をて第二十二代の武烈ぶれつ天皇が天下を支配されると、その前代の顯宗けんそう仁賢にんけん天皇餘德よとくを受け、天下には長い間、何事も心配するやうな事件が起らなかつた。かうして世がおおいに太平になると、今度は人心じんしんがゆるむと共に、風俗はみだれがちになる。それが段々惡化しても誰も自覺じかくせず、政治が衰へて國民を善導ぜんどう出來なくなつても改めようとせぬが、政府の役人を採用するについては、その技倆ぎりょう・手腕におうじて登用したので、人に優れた謀略ぼうりゃくある者はその短所を問題とせずに用ひ、大きい才能あるものは少しの缺點けってんかえりみないでどしどし各方面に働かしめた。したがつて皇室が才能ある諸臣によつて安全を保ち、國家が危險きけんからのがれたとすれば天下國家の平定にかんし、どれだけ賢明けんめいしんが必要であるか疑ふの餘地よ ちがないであらう。

【備考】ここに言及せられてゐる武烈ぶれつ天皇雄略ゆうりゃく天皇と同じく、往々おうおう兎角とかく御振舞おふるまいがあつたことを『大日本史だいにほんし』に記してある。けれども一方において、法制家として、優れた考へを有せられ、人を知つて、く任じたために、天下はく治つた。大伴おおとも金村かなむらの如き賢明にしてしか篤實とくじつな政治家が、その忠誠ちゅうせいを致したのも、一つは、天皇が適材を適所に置くことにつとめられためであらうと拜察はいさつする。