6-1 廉節を擧ぐるの詔 繼體天皇(第二十六代)

廉節れんせつぐるのみことのり(第一段)(二十四年二月 日本書紀

自磐余彥之帝水間城之王、皆賴博物之臣明哲之佐。故道臣陳謨而神日本以盛、大彥申略而膽瓊殖用隆。及乎繼體之君、欲立中興之功者、曷嘗不賴賢哲之謨謀乎。

【謹譯】磐余彥いわれひこすめらみこと水間城み ま ききみより、みな博物はくぶつしん明哲めいてつすけたよりたまふ。ゆえ道臣みちのおみはかりごとべて神日本かみやまともっさかんに、大彥おおひこかんがえべて膽瓊殖い に えもっさかんなり。繼體あいうくるきみおよんで、中興ちゅうこうこうてむときは、なんかつ賢哲けんてつ謨謀はかりごとたよらざらむや。

【字句謹解】◯磐余彥の帝 神武じんむ天皇を申したてまつる。本欄の項を參照 ◯水間城の王 崇神すじん天皇を申したてまつる ◯博物之臣 萬事ばんじに通じてゐるしん ◯明哲之佐 めい事物じぶつに明らか、てつも事物にさとい意で、やはり萬物ばんぶつをよく知つてゐること。天皇たすたてまつつて國の政治をよく行はせる人の意 ◯道臣 神武じんむ天皇功臣こうしん、〔註一〕參照 ◯神日本 神武じんむ天皇のこと、〔註二〕參照 ◯大彥 崇神すじん天皇功臣こうしん、〔註三〕參照 ◯膽瓊殖 崇神すじん天皇のこと、〔註四〕參照 ◯繼體之君 御代み よけつがれるきみのことで、代々の天皇の意 ◯中興之功 中途にあつて祖先の名をあげる大功たいこうをあらはすこと ◯賢哲 事物に通じ、理非り ひに明るい人。

〔註一〕道臣 『神武じんむ』にしたがへば、最初は日臣命ひのおみのみことといひ、大伴おおとも氏の祖であるが、八咫烏やたがらす嚮導きょうどうしたがつて第一線に立ち、常に官軍かんぐん士氣し きふるはしめるのにこうが多かつたので、天皇から道臣みちのおみの名をたまはつたよしが見える。

〔註二〕神日本 神武じんむ天皇神日本かみやまと磐余彥いわれひこの天皇すめらみことしょうたてまつる、ゆえ磐余彥いわれひことあるのも、神日本かみやまととあるのも、共に天皇のこと。

〔註三〕大彥 孝元こうげん天皇皇子おうじで、崇神朝すじんちょうどう將軍しょうぐんの一として北陸に派遣されたほか、こうが多い。

〔註四〕膽瓊殖 崇神すじん天皇御間城み ま き入彥いりひこ五十瓊殖い に え の天皇すめらみことしょうたてまつる。ゆえに前には水間城み ま ききみといひ、ここでは膽瓊殖い に えとある。

【大意謹述】我が皇室の基礎を定められた第一代の神武じんむ天皇、國としての諸般の設備を整へられた第十代の崇神すじん天皇などは、必ず事物に明るい忠良ちゅうりょうしん萬事ばんじさとい申し分のない御側役おそばやくを得て信賴しんらいせられた。神武天皇御代み よには、道臣命みちのおみのみこと官軍かんぐんの第一線に立つて大きなこうを立て、崇神天皇御代み よには大彥命おおひこのみこと萬事ばんじを指揮して、共に皇室のめいしたがはない人々をちゅうし、天下を太平にしたのである。かうした前例がある以上、その後、御代をいで日本を統治された朕の祖先の方々が、いささかでも後世にしょうされるやうな功を立てようと考へられたら、思慮深く識見しきけんすぐれ萬事ばんじに明るい、行動にさとい諸臣を信用あつてその時代をきよく明るくさせなければならない筈であり、又實際じっさいその事が行はれて來たのである。

【備考】歷代の天皇は、いづれも英明えいめいであらせられるが、中でも、最も卓越たくえつせられてゐるのは、神武じんむ崇神すじんの二天子であらせられる。アメリカの少壯しょうそう哲學てつがく者で多年たねん、日本文化研究に從事じゅうじしたメエソン氏の如きは、崇神すじん天皇を日本第一の聖帝せいていであるとして讃仰さんごうしてゐる。

 繼體けいたい天皇が、賢哲けんてつ政治の必要を高調こうちょうせらるるにあたり、以上の二天皇について、敬慕けいぼ至情しじょうを捧げられた事は、いかにも當時とうじ實情じつじょうつまびらかにされたばかりでなく、識見しきけんの上にすぐれさせられた事を示してをられる。武帝じんむてい道義どうぎ建國けんこく土臺どだいゑられ、崇神帝すじんていが政治及び敎化きょうかの上に力を注がれたのは萬世ばんせいに輝く偉業いぎょうである。