5 太子勾大兄を賞するの詔 繼體天皇(第二十六代)

太子たいし勾大兄まがりのおおえしょうするのみことのり(七年十二月 日本書紀

朕承天緒、獲保宗廟、兢兢業業。間者天下安靜、海內淸平、屢致豐年、頻使饒國。懿哉摩呂古、示朕心於八方。盛哉勾大兄、光吾風於萬國。日本邕邕、名擅天下。秋津赫赫、譽重王畿。所寶惟賢、爲善最樂。聖化憑茲遠扇、玄功藉此長懸。寔汝之力、宜處春宮、助朕施仁、翼吾補闕。

【謹譯】ちん天緒あまつひつぎけて、宗廟そうびょうたもつをたれども、兢兢きょうきょう業業ぎょうぎょうたり。間者このごろ天下てんか安靜あんせいにして、海內かいだい淸平せいへいしばしば豐年ほうねんいたして、しきりにくにましむ。きかな摩呂古ま ろ こちんこころを八ぽうしめす。さかんなるかな勾大兄まがりのおおえのり萬國ばんこくらす。日本やまとのくに邕邕やわらぎて天下てんかほしいままなり。秋津あきつしま赫赫ひかりてほまれ王畿おうきおもし。たからとするところさかしきひとぜんすをもっとたのしみとす。聖化せいかこれりてとおあおぎ、玄功げんこう、これにつてながかかれり。まことなんじちからよろしく春宮はるのみやりて、ちんたすけてじんほどこし、われたすけてあやまちおぎなふべし。

【字句謹解】◯太子 皇太子の意。このみことのりによつて皇太子となられたのである。立太子りったいしみことのりに就いては『政治經濟けいざい篇』參照のこと ◯勾大兄 のち卽位そくいして安閑あんかん天皇となられた、『安閑あんかん』にしたがへば、皇太子は繼體けいたい天皇長子ちょうしで、御母おんはは目子媛めのこのひめで、人物は大きく、器量が優れ、「人君じんくんたるりょうあり」としてある。なほこのみことのりは十二月二十日に下された。時に太子は四十八歳にましました ◯天緒を承けて 皇位を承けいで卽位そくいされたこと ◯宗廟を保つ 宗廟そうびょうは御先祖を祭つてある場所、ただしここでは國家を保持する意に使用する ◯兢兢業業 常に不安な形容、御先祖から受けた國家をより平穩へいおんに保たうと反省を怠らないこと ◯間者 このごろ。近頃に意 ◯海內淸平 日本全國がよく治まつてゐる ◯國を饒ましむ とみは物が多くあること、國を富みさかえさせる ◯懿きかな 德の高いのをしょうする意 ◯摩呂古 勾大兄まがりのおおえしたしんで呼んだのである ◯吾が風 皇室の權威けんい ◯萬國 日本全國の意 ◯邕邕 平和で人々が生活に不安のないこと ◯秋津 日本の異名いめい ◯赫赫 光り耀かがやく ◯寶とする所 最も重要なものの意 ◯惟れ賢 ただ賢人けんじんのみである ◯聖化 ここでは皇室の感化のこと ◯玄功 輝く功績の事 ◯春宮に處りて 皇太子の宮に居ての意 ◯闕を補ふ 政治上足らぬ所を補ひ合せる。

【大意謹述】ちん御代々おんだいだい天皇のあとにでて卽位そくいし、天下を保持したが、過去の光榮こうえいある祖先の御名おんなけがすまいと懸命けんめいになり常に心が安らかでない。しかし、最近國家の樣子ようするのに、天下がすつかり安定し、人々が生活に不足せず、豐年ほうねんが重なつて、益々ますます國が富み、物資がゆたかになつて來た。これといふのも皆なんじの力である。とくの高い汝よ。汝は朕の心を四方八方の國々に示して人心じんしんふくせしめた。道にしたがふ心のさかん勾大兄まがりのおおえよ。汝は我が皇室の權威けんい萬國ばんこくに輝かした。汝の德によつて日本は平穩へいおんとなり、皇室のいきおいは天下にくらべるものがなく、汝のこうによつて皇室のは全日本にわたつた。朕はこの上もなく之に滿足まんぞくする。朕がたからとして最も珍重するのは賢人けんじんである。賢人は自分がぜんを行ひ、に善をすすめることを最大のたのしみとしてゐる。皇室の感化は、かうした賢人によつて一層遠方にひろがり、到るところに及び輝くのである。勾大兄まがりのおおえ皇子おうじよ、汝はただちに皇太子の地位に就き、朕を助けて仁政じんせいき、公私共に朕の不備な方面を補ひ、皇室の善德を擴大かくだいして欲しい。

【備考】美しい情緒じょうちょの流れが、この勅語ちょくごの上によく現はれてゐることを何人なんびとも感ずる。つたへるところによると、勾大兄まがりのおおえ皇子おうじが、繼體けいたい天皇のあとを受けて、皇位かれたのは、六十八歳の時であつた。このてんから拜察はいさつすると、皇子は、事實じじつ上早くから大政たいせい參與さんよし、誠實せいじつに勤勉に貢獻こうけんせらるるところが多かつたらしく、繼體けいたい天皇におかせられても、深く皇子を信賴しんらいされ、これを重んぜられたことと思ふ。

 この勅語ちょくごは、天皇が皇子の平生へいぜい功勞こうろう思召おぼしめされ、特に賞揚しょうようされると同時に、東宮とうぐうの地位に進め、一層將來しょうらいに大きい期待をかけられたのであらうと拜察はいさつする。父帝ちちみかどの暖い仁慈じんじ、皇子の美しい德、それはまさに天下の模範たるべきで、雙方そうほう敬愛せられたことは、國家平安の上に最もよき影響をもたらしたのであつた。

 勅語ちょくご中、「政治上、最大のたから賢者だ」と仰せられたのは、勾大兄まがりのおおえ皇子おうじたいして、最もよき敎訓である。皇子が勅命ちょくめいにより東宮とうぐうになられたのは、四十八歳の時でおはした。壯齡そうれいおおいすあるべき時代に東宮とうぐうとなられたので、平生へいぜい、賢人政治、すなわ今日流にいふと、哲人政治の重要な意義に深く想ひ到られたであらうと拜察はいさつする。がこの勅語により、一層、切實せつじつに賢者をあつめて、政治を行ふべき決意を深められたであらう。