4 皇后を立つるの詔 繼體天皇(第二十六代)

皇后こうごうつるのみことのり(元年三月 日本書紀

神祇不可乏主、宇宙不可無君。天生黎庶、樹以元首、使司助養、令全性命。大連憂朕無息、披誠款、以國家世世盡忠。豈唯朕日歟。宜備禮儀、奉迎手白香女。

【謹譯】神祇しんぎぬしとぼしかるべからず。宇宙あめのしたきみなかるべからず。てん黎庶れいしょして、つるに元首げんしゅもってし、たすやしなふことをつかさどらしめ、性命せいめいまったからしむ。大連おおむらじちんなきことをうれひ、誠款せいかんひらいて、もっ國家こっか世世よ よちゅうつくす。あにただちんのみならむや。よろしく禮儀れいぎそなへて手白香皇女たしらかのこうじょむかたてまつれ。

【字句謹解】◯黎庶 國民全部を指す ◯元首 天下を支配する者、支那し なでは帝王、日本では天皇を指す ◯性命 心性しんせい身命しんめい ◯大連 ここでは大伴金村おおともかなむらのこと。〔註一〕參照 ◯誠款 まごころ ◯朕が日 ちんの世といふ意味 ◯手白香皇女 仁賢にんけん天皇皇女こうじょで、御母おんはははる大郞女おおいらつめにましました。繼體けいたい天皇の皇后であらせられることは本文ほんもんに出てゐる。

〔註一〕大連 大連おおむらじ上代職官しょっかんで、大臣おおおみと共に臣連おみむらじ八十や そともを引率して朝政ちょうせいを執る職、大伴おおとも金村かなむら仁賢にんけん天皇崩後ほうご大臣おおおみ平群へぐり眞鳥まとり父子ちゅうして武烈ぶれつ天皇を立てて、その崩後、繼體けいたい天皇を迎へて擁立ようりつした人。仁賢にんけん武烈ぶれつ繼體けいたい安閑あんかん宣化せんか欽明きんめいの六ちょう歷事れきじした。

〔注意〕このみことのり繼體けいたい天皇元年三月五日に下したまはつたもので、金村かなむらなどが皇后冊立さくりつたてまつつたのにこたへられた形式となつてゐる。『繼體紀けいたいき』には、「大伴おおとも大連おおむらじ奏請もうしこうてもうさく、しん聞く、前王の世をおさめたまふや、維城ひつぎのみこの固めにあらざれば、以て乾坤あめつちしずむることなく、掖庭きさきのみやしんあらざれば、以て趺萼みつぎぐことなし。ゆえに、白髪天皇しらがすめらみことよつぎなかりしとき、しんが祖父大伴大連おおとものおおむらじ室屋むろやつかわして、州毎くにごとに三種の白髪部しらがべを置きて、以て名を後世にとどめ給へり、嗟夫あ あいたまざるべけむや。ふ。手白香皇女たしらかこうじょを立てて、れて皇后としたまひ、神祇しんぎはくつかわして、神祇しんぎを敬ひ祭りて、天皇みこを求め、まことに民ののぞみに答へ給へと。天皇いわく、なりと。三月庚申かのえさるついたちみことのりしていわく」とあつて、次にこのみことのりつづいてゐる。當時とうじ天皇には勾大兄皇子まがりのおおえおうじ檜隈高田皇子ひのくまたかたおうじの二皇子おうじがましましたが、ここでは嫡子ちゃくしを求められる意味だつた。

 次に代表的な立皇后りっこうごう宣命せんみょう列擧れっきょする。『政治經濟けいざい篇』その他で謹述きんじゅつする機會きかいがあらう。

(一)皇后を立つるの宣命せんみょう(聖武天皇天平元年八月、續日本紀)/(二)立后りっこう宣命(嵯峨天皇弘仁六年七月、日本後紀)/(三)立后宣命(鳥羽天皇嘉永三年三月、朝野群載)

 なほ次のものは例外にぞくするが、注目すべきであらう。

(一)皇后をはいするの宣命(光仁天皇寶龜三年三月、續日本紀)/(二)早良さわら親王しんのう崇道すどう天皇追稱ついしょうし、井上いのうえ親王ないしんのうを皇后にふくするのみことのり(桓武天皇延曆十九年七月、類聚國史)/(三)二じょう前后ぜんこう本位ほんいふくするの詔(朱雀天皇天慶六年五月、本朝文粹)/(四)太后りったいごう宣命せんみょう(孝明天皇弘化四年三月、孝明天皇紀)

【大意謹述】天地の神々の間に主宰者があるやうに、天下には必ずそれを統一して、萬民ばんみんに幸福をあたへる者が存在しなくてはならない。天は一般の國民を發生はっせいせしむると共に、その間から統治者を立てしめ、萬民ばんみんを養ひ、責任をまっとうさせる。今、大連おおむらじである大伴おおとも金村かなむらは、ちん嫡子ちゃくしがないのを心痛して、誠心まごころから皇后の冊立さくりつうた。大連おおむらじの國家につく忠義ちゅうぎは、みすべきである。その忠節ちゅうせつは久しきにわたつてゐる。ゆえに朕はそのこいをここにれて手白香たしらか皇女こうじょを皇后に立てることに決定した。早速、萬端ばんたんの用意を備へて、皇女こうじょを迎へたてまつる仕度をするやうに命ずる。

【備考】結婚は人生の大事である。こと萬世ばんせいけい皇統こうとうがせらるる天皇においては、一層重大な意義がある。この詔書しょうしょにおいては、づこの事を切に考へられる。次ぎに皇嗣おんよつぎについて、苦い經驗けいけんめられたのは、淸寧せいねい天皇で、玉體ぎょくたい平生へいぜい弱く、皇子おうじを設けられなかつた。それゆえ、このてんについては、ひどく心を痛められたのである。

 ところが、この憂慮ゆうりょを一掃させることが出來たのは、市邊皇子いちのべおうじの二億計お け弘計を けがあつためである。この事について、『日本にほん政記せいき』には、「是歳このとしの夏、履中りちゅう天皇の孫、億計お けおうを立てて皇太子とす。初め雄略帝ゆうりゃくてい市邊皇子いちのべおうじがいせんとし、誘ひてともりょうし、これを殺す。皇子おうじに二あり、億計お けひ、弘計を けふ。帳內とねり日下部使主くさかべのおみの子吾田彥あ だひこほうじて播磨はりま猪見ししみのがる。使主お みことあらわれん事を恐れてみずか縊死い しす。吾田彥あ だひこ終始しゅうし、二したがふ。二、名をへんじて猪見ししみ屯倉首みやけおびと家童しもべとなる。たまた播磨國はりまのくにつかさ小楯おだてみつぎちょうして、おびとの家に宿やどる。弘計を けまことを告げて、くつべんとほっす。億計お け以て不可となす。すでにしてさけたけなわなり。おびと、二に命じて歌はしむ。弘計を け意を決して歌につて意を示す。小楯おだて驚きはいす。命じてみやを築きて之にらしめ、つてそうす。みかど喜びていわく『われきをうれふ。これ天賚てんらいなり』と。すなわ小楯おだてつかはして迎へて之を立て、弘計を けを以て皇子おうじす」とある。弘計を けおうは後の顯宗けんそう天皇であり、億計お けおうは、仁賢にんけん天皇であらせられる。

 この二天子をて、武烈ぶれつ天皇に至り、それから繼體けいたい天皇御世み よとなつた。天皇應神帝おうじんていせいの孫にあたられた。けだ武烈ぶれつ天皇にも、皇子おうじがなかつた結果、卽位そくいせられたわけで、皇嗣おんよつぎのことが、當時とうじも、淸寧せいねい天皇の時のやうに重大問題となつた。さいわ男大迹王おおとのおう越前えちぜん三國みくににをられたので、大伴おおとも金村かなむら群卿ぐんけいと協議の末、この王を迎へまゐらせた。それが繼體けいたい天皇である。

 以上の如く、天皇は親しく皇嗣おんよつぎの事について、心を配るべき必要を痛感せられ、卽位そくい後、間もなく、手白香媛たしらかひめを皇后として迎へられた。その如何い かに皇后を敬愛せられたかは、勅語ちょくごの中にく現はれてある。敬愛の精神それが大婚たいこんあたつて示された天皇御心みこころである。