3-6 遺詔 雄略天皇(第二十一代)

遺詔いしょう(第六段)(二十三年 日本書紀

夫惡子孫已爲百姓所憚。好子孫足堪負荷大業。此雖朕家事理不容隱。大連等民部廣大充盈於國、皇太子地居上嗣、仁孝著聞。以其行業堪成朕志。以此共治天下、朕雖瞑目何所復恨。

【謹譯】しき子孫うみのこすで百姓ひゃくせいめにはばからる。子孫うみのこあくま大業たいぎょう負荷た もつにれり。ちんいえこといえども、かくすべからず。大連おおむらじとう民部かきべ廣大こうだいにしてくにつ。皇太子こうたいししな上嗣もうけのきみれり。仁孝にんこうあらわきこゆ。行業しわざおもふに、ちんこころざしすにへたり。これもっとも天下てんかおさめば、ちん瞑目めいもくすといえども、なんうらところあらむ。

【字句謹解】◯大業を負荷つ 皇位繼承けいしょうし統治者としての責任をまっとうする ◯民都 古代、官位かんい顯職けんしょくにある家にたいして、朝廷よりたまわつた部下の民 ◯皇太子 後の淸寧せいねい天皇を指す。〔註一〕參照 ◯上嗣 皇太子の地位 ◯仁孝 ひとをめぐみおやにしたがふみち。現行本の『書紀しょき』にはかうくんじてある ◯瞑目 ここでは雄略ゆうりゃく天皇崩御ほうぎょのこと。かみさるともくんず ◯恨む所あらむ 遺憾いかんに思ふてんはない。〔註二〕參照。

〔註一〕淸寧天皇 雄略ゆうりゃく天皇の第三子で、御母おんはは葛城韓媛かつらぎのからひめと申上げた。『淸寧紀せいねいき』には、「天皇てんのううまれましながらしろかみます、ひととなりて民をつくしみたまふ。大泊瀨おおはつせ天皇すめらみこと諸子しょしうちおいて、特にくしびあやしみたまふところなり」とある。大泊瀨おおはつせ天皇すめらみこととは雄略ゆうりゃく天皇のこと。

〔註二〕恨む所あらむ 遺詔いしょう星川王ほしかわのみこかんする部分は、一本に「星川王ほしかわのみこはらしくこころあらきこと、天下てんかあらわきこえたり。不幸ふこうにしてちんかんさりなむのちまさ皇太子こうたいしやぶらむ。汝等なんじら民部かきべ甚多にえさなり。努力ゆ めあいたすけよ。な侮慢あなづらしめそ」とある。

【大意謹述】昔から王の子孫で惡德あくとくある者は國民から排斥はいせきされて地位を失ひ、仁德じんとくある者は永久に王位をいで責任をはたすことが出來ると言はれてゐる。何も異國だけがさうなのではなく、我が皇室にかんしても全く同樣どうように考へられる。

 以上はちんの一家の事だが、理義り ぎの上からこれを押しかくして置くことが出來ない。今、大連おおむらじ大伴室屋おおともむろやなどは多くの部下を持ち、それがひろく全國にちてをり、心賴こころだのみにとするに足りる。白髪皇子しらがのみこ(淸寧天皇のこと)はすでに皇太子の地位にあつて、同情深く、孝心こうしん厚く、天下の人望を一身にあつめてゐる。朕はその行爲こういて、朕の遺志い しぐのに十分だと考へた。ゆえ汝等なんじらの努力につてこの皇子おうじ皇位けるならば、朕はこのままほうじても少しも心配はない。汝等に以上の事を遺言する。

【備考】天皇は、大伴室屋おおとものむろやたいし、十分の信任を置かれた。白髪皇子しらがのみこが天位をいで、淸寧せいねい天皇となられた時、室屋むろやはその大臣おおおみとして、輔弼ほひつの重任にあたつた。