3-3 遺詔 雄略天皇(第二十一代)

遺詔いしょう(第三段)(二十三年 日本書紀

不謂。遘疾彌留、至於大漸。此乃人生常分、何足言及、但朝野衣冠、未得鮮麗。敎化政刑、猶未盡善。興言念此、唯以留恨。

【謹譯】おもはざりき。遘疾こうしつ彌留びりゅう大漸だいぜんいたらむことを。すなわ人生じんせい常分じょうぶんなり。なんおよぶにらむ。ただ朝野ちょうや衣冠いかんいま鮮麗あざやかなることをず。敎化きょうか政刑せいけいなおいまよきことつくさず。ことばげてこれおもふに、ただもっうらみとどむ。

【字句謹解】◯遘疾彌留 やまひしあつしれてとくんず、遘疾こうしつは病氣が長びくこと、彌留びりゅうは病氣の重きこと、病氣が長びいて次第に重くなる ◯大漸に至らむ 大漸だいぜんは死を意味する。「とほつくに」とくんずるのは「とおくにすなわ黄泉おうせんの意である ◯敎化 をしへをまうくること。人民を敎導きょうどうすること ◯政刑 まつりごとのこと。政治の一般にかんする設備 ◯恨を留む 殘念ざんねんである。〔註一〕參照。

〔註一〕恨を留む 前節の「ときしたがひて朝集ちょうしゅうせり」以下、本節の終りの「うらみとどむ」までは、やはり『高祖こうそ』の仁壽じんじゅ四年七月の文を根據こんきょとしてゐる。

【大意謹述】かく努力の中途でちんは久しく重い病氣におそはれ、死に面する程にならうとは、思ひもよらない所であつた。しかし、生きとし生ける者がいつか死ぬのはまぬがれない運命であり、人間を支配する法則なので、それにいて今更悲しんで見ても恐れて見ても無駄である。朕は死は少しも遺憾いかんに考へないが、ただ現在朝廷に奉仕する者としない者との衣服がまだ整つてをらず、人民を敎導きょうどうする方針、一般政治法制を完全にすべき設備が十分でないのを思ひ浮べると、どうかしてそれを申分なくするまで生きながらへたいと考へる。これだけを整へずに置くのは殘念ざんねんで仕方がない。

【備考】勅語ちょくごのうちに、「朝野ちょうや衣冠いかんいま鮮麗あざやかなることをず」とあるは、申す迄もなく、まだ服裝ふくそう文雅ぶんがの程度に達しないことを氣にせられたのである。雄略ゆうりゃく天皇工藝こうげいの進歩を計るについて、特に御心みこころを注がれたことは、史上に明白に記されてゐる。蠶職さんしょくおこし、百濟くだらから工藝家こうげいかけんぜしめ、繪畫かいが・陶器・建築・室內裝飾そうしょくなどの事にも、力を入れられた。したがつて衣服の美を重くられた理由も、おのづから判明する。

 それから朝鮮において、百濟くだら再興さいこう盡力じんりょくせられたことがあつた。百濟くだら高麗こ まのために亡ぼされ、日本の援助をうたので、紀小弓きのおゆみらを朝鮮に派遣し、その再興に力を添へられた。この時、新羅しらぎから兵を徵發ちょうはつして高麗こ まを征する筈だつたが、日本諸將の間に不和を生じた折柄おりから小弓おゆみ歿ぼっしたので、目的を達する迄には至らなかつたのである。またこの時代に、日本の使節をそう(支那)に派遣されたことなどもあつて、國際こくさい關係かんけいについては、相當そうとう、注意せられた。したがつて更に內政を整へようと思召おぼしめされた事も、拜察はいさつすることが出來る。