3-2 遺詔 雄略天皇(第二十一代)

遺詔いしょう(第二段)(二十三年 日本書紀

臣連伴造毎日朝參。國司郡司隨時朝集。何不罄竭心府誡勅慇懃。義乃君臣、情兼父子。庶藉臣連智力內外歡心、欲令普天下之下永保安樂。

【謹譯】おみむらじ伴造とものみやつこ毎日まいにち朝參ちょうさんし、國司こくし郡司ぐんじときしたがひて朝集ちょうしゅうせり、なん心府しんぷ罄竭けいけつして誡勅かいちょくすること慇懃いんぎんならざらむや。ことわりすなわ君臣くんしんなり。こころ父子ふ しぬ。ねがはくばおみむらじ智力ちりょく內外ないがい歡心かんしんりて、普天あ めしたをしてなが安樂やすらかたもたしめんとおもふ。

【字句謹解】◯臣連伴造 諸臣の意、おみは族長、むらじは部長、とも及びみやつこはその下の職である ◯國司 くにのみこともち、各國の地方長官 ◯郡司 こほりのつかさ、各郡の長官 ◯心府 心膽しんたんと同じ ◯誡勅すること慇懃 心から愼重しんちょうに事を行ふ ◯義は乃ち君臣なり云々 事物の是非善惡を嚴重げんじゅう區別くべつする義理の見地に立てば天皇群臣ぐんしんとはきみたみとに分かれるが、人情の厚さがお互に通じてゐる方面からいへば父と子だともへる ◯內外の歡心 宮廷內の朝臣ちょうしん天皇崇敬すうけいし、宮廷外の一般人民は各地方長官を通じて皇室に服從ふくじゅうすること、歡心かんしんは不平のない心 ◯普天の下 天下中てんかじゅう

【大意謹述】以上の如く思ふちんの心はぐに群臣ぐんしんに通じ、おみむらじ伴造とものみやつこの職にありせいにある者は日毎に朝廷にまいり、國郡こくぐんの長官は一定の時に皇都こうとに來て朕に凡びすべてを報告する。この人々が誠心せいしんから愼重しんちょうに自己の職をつくせることは誰よりも朕が最もよく知つてゐる。かく朕と群臣とは、義理の方面からればきみたみとの關係かんけいにあるが、じょうの方面から考へるとおやの間柄にあるといへる。この上、朕の望むところは、ただ、おみむらじなどの才能の働きにより宮廷の內外各人の同心協力により、永久に天下が太平であるやう致したいと願ふばかりである。

【備考】以上の勅語ちょくご中、特に民衆の深い感激を喚起したのは、「すなわ君臣くんしんなり。じょう父子ふ しぬ」の語である。日本においては、古來、君臣の大義は、天地・日月じつげつの如く、げんとして動かすことが出來ない。しかなが天皇政治において、平生へいぜい臣民しんみんをいつくしみ、愛せらるること、極めて深く、また臣民が皇室を欽慕きんぼすることも非常に厚く、その關係かんけいの美しいてんは、丁度、父と子との間に似た一面をそんしてゐる。雄略ゆうりゃく天皇が「じょう父子ふ しぬ」と仰せられたのは、つまり、この意味にほかならぬと拜察はいさつする。

 かうした美しい上下の關係かんけいは、これを歐米おうべい支那し ななどに見ることが出來ぬ。人種の關係が複雜ふくざつな上に、革命から革命へ移行し、君臣の間が征服者と被征服者との如き位置に存する以上、融和の仕樣しようもないわけだ。歐米の政治家が國家の缺點けってんとして、いつも、氣にするのは、この一にある。

 ところが、日本では、歐米と全く事情をことにする。日本國家は、一大家族の集合體しゅうごうたいの如き特質を有し、左樣そ うした傾向のもとに組織せられてゐる。『皇胤こういん國家こっか』(古谷榮一著)の研究によると、日本國民は、すべて皇胤こういんから分派ぶんぱし、それから更に派生はせいしたものである。例へば、藤原氏が、皇胤こういんから派生し、この大枝おおえだのもとに、伊藤、後藤、佐藤、安藤、加藤、江藤、齋藤、進藤、藤井、藤森、藤川、藤谷、藤瀬、近藤などの小枝こえだを生じたのである。すなわちこの關係から考へると、日本國民の總本家そうほんけであらせられるのは、わが皇室である。皇室において、せいられぬのは、この關係かんけいから來てゐるとつたへられてゐる。

 右の如く、日本國民の最高總本家そうほんけは、皇室であらせられる。臣民しんみんは、すべてにおいて、その分家であり、支脈である。したがつて、その結合の姿からすれば、まさおやとの關係かんけいにある。じょうの側から見ると、左樣そ うなるわけで、雄略ゆうりゃく天皇の御言葉は、この重要意義を裏付けられたのである。