3-1 遺詔 雄略天皇(第二十一代)

遺詔いしょう(第一段)(二十三年 日本書紀

方今區宇一家、烟火萬里。百姓艾安、四夷賓服。此又天意、欲寧區夏。所以、小心勵己日愼一日、蓋爲百姓故也。

【謹譯】まさいま區宇あめのした一家ひとついえのごとく、烟火けむり萬里と おし。百姓ひゃくせいおさまやすくして、四賓服ひんぷくす。また天意てんい區夏く かやすらかにせむとほっせるなり。所以ゆ えに、こころおのれはげましてひにひ一日ひとひつつしむことは、けだ百姓ひゃくせいめのゆえなり。

【字句謹解】◯區宇一家 天下中が一家のやうによく治まること ◯烟火萬里 遠くまでえずけむりが上つてゐる。けむりは炊事のけむりで、これは皇都こうとに人の多いこと及び國民が全部生活に不足なく暮してゐることを指したもの ◯百姓艾安 百姓ひゃくせいは「おほむたから」、又は「おほみたから」とくんじ、國民の意、すなわち、國民がことごとく太平をたのしんで心に不平のないこと ◯四夷賓服 我が古訓こくんでは「よものひなかなひしたがふ」とむ。四は東西南北の未開人みかいじんのことで、普通東方のを、西方のをじゅう、南方のをばん、北方のをてきとよんでゐる。賓服ひんぷく服從ふくじゅうしたしるしに貢物みつぎものを持つて來る事 ◯天意 天神てんじんの御意志 ◯區夏 最も文化の進んだ部分。ここでは日本全部を指す ◯心を小め 自分の心に責任を感じて愼重しんちょうを期すること。以上〔注意〕參照。

〔注意〕遺詔いしょうの「方今ほうこん」から「ゆえなり」の部分は元來『隋書ずいしょ』の高祖こうそにある仁壽じんじゅ三年七月の文、同四年七月の文が根據こんきょとなつてゐるので、我が古語でくんずるのは無理である。ただし現在『書紀しょき』は出來る限り古語で訓ずることになつてゐるので、ここでも「區宇く う」を「あめのしたひとついへのごとく」といふ風にむことにした。

【大意謹述】現在天下はまるで一家のやうによく治まり、皇都こうとには多數びたすうの人々が集つて生活に何不足なく、國民は悉びことごとく政治方針に心から滿足まんぞくし、皇室の威光いこうは遠く四方の未開人みかいじんにまで達して、年々貢物みつぎものを持參し、服從ふくじゅうを誓つてゐる。これといふのも我が祖先たる天神てんじんが日本を平穩へいおんに治めるべき基礎を作られたゆえで、ちんまた、代々の天皇と同じく、常に身に責任を感じ、心をはげまして事毎ことごと愼重しんちょうな態度を執り、統治者としてのまことまっとうしたいと思つてゐる。これらは決して朕一しんのためにするのではなく、國民を幸福にしようと考へるめである。

【備考】『大日本史』の記すところによると、雄略ゆうりゃく天皇英明えいめいであられたが、行動雄々お おしきに過ぎ、往々おうおう兎角とかく御振舞おふるまいがあつた。しかし、この遺詔いしょうはいすると、晩年その習癖しゅうへきを改められて、國事こくじ御心みこころを注がれたおもむきを知ることが出來る。『大日本史』にも、「末年におよび、心を政事にとどめ、國家無爲む いなり」とある。恐らく、みずから向上の一路を辿たどるべく、次第に穩健おんけんな考へをいだかるるやうになり、萬事ばんじに周到な配慮をせらるるやうにならせられたのであらう。遺詔いしょう拜誦はいしょうするについて、づこの一を頭に思ひ浮べた。