2 氏姓を定むるの詔 允恭天皇(第十九代)

氏姓しせいさだむるのみことのり(四年九月 日本書紀

上古之治、人民得所姓名勿錯。今朕踐祚於茲四年矣。上下相爭百姓不安。或誤失己姓、或故認高氏。其不至於治者、蓋由是也。朕雖不賢、豈非正其錯乎。群臣議定奏之。

【謹譯】上古じょうこくにおさむること、人民じんみんところ姓名せいめいたがはず。いまちん踐祚せんそしてここに四ねんになりぬ。上下じょうげあいあらそひて百姓ひゃくせいやすからず。あるいあやまりておのれせいうしなひ、あるいことさらたかうじみとむ。くにおさむるにいたらざることは、けだこれりてなり。ちん不賢ふけんいえども、あにあやまりたださざらむや。群臣ぐんしんはかさだめてもうせ。

【字句謹解】◯人民所を得て云々 天下の人民が各自一定の職を得て世襲せしゅうとしたので、姓名は明瞭めいりょう區別くべつされてゐたこと。〔註一〕參照 ◯踐祚 卽位そくいする事 ◯百姓 一般の人民、當時とうじいまだこのことば農夫のうふばかりを意味させなかつた ◯高き氏に認む 地位の高いうじの一員として自分を考へる ◯不賢 をさなし。御自分を卑下ひ げされて言はれたのである。

〔註一〕人民所を得て云々 昔のうじは、例へば中臣なかとみ齋部いんべ大伴おおとも物部もののべといつた風に、各自が一定の職を奉じ世々よ よいで來たので、何時い つといふことなしにそれがせいとなつてしまつた。やがて時と共にこの姓につて高下こうげの別が生じたので、例へば神祇しんぎ祭祀さいしする中臣なかとみ齋部いんべい階級で、凶事きょうじをあつかふ土師は じ・馬をぼくする馬飼うまかいなどはいやしいやうに世から思はれて來た。そこで中には自分のぞくする姓名をきらひ、上下共に姓に就いての論爭ろんそうが多くなり、實際じっさいは身分の低い人が高い地位にある姓を名乘な のるやうな事も出來た。天皇はこれを正しくさせるために、このみことのりを下されたのである。

〔注意〕のちに「氏上このかみさだむべきのみことのり」(天武天皇)で分明わ かるやうに、氏姓しせいを定める事も當時とうじの重要問題であり、又困難なことだつた。このみことのりは四年九月九日に下されたが、同月二十八日に至つて、更に「盟神探湯く が た ち」のみことのりを下され、神明しんめいの前で正しいせいしょうされるやうに言はれてゐるのを見ても、如何い か大御心おおみこころをこの事につひやされたかが判明しよう。盟神探湯く が た ちとは當時とうじ最高の裁判の方法で、熱湯の中に手を入れ、自分の正しさをしょうすることで、し正しくない人物がそれを行へば、ひどく火傷やけどを受けるとつたへられたのである。

【大意謹述】我が古代には天下は申分なく治まり、人々は自己の職業をそのまま姓として、決して姓名に就いてのあらそいなど起る餘地よ ちがなかつた。しかるに現在はちん卽位そくい後四年にもなつたが、その間、姓名に就いて臣民しんみん此處こ こ彼處かしこに訴訟を起してあらそひ合ひ、上下の者がそのめ落付いて生活が出來ない程である。その理由はなぜであらうか。自分の祖先がどんな職にしたがつてゐたかを忘れてしまつたり、世間から尊敬されない姓の者は、わざと高い地位にある姓を名乘な のつて人の目を誤魔化ご ま かしてゐるからに他ならない。朕は優れた才能こそないが、天下のため、この混亂こんらんした氏姓しせいをそのままにして置くわけにゆかない。汝等なんじら群臣ぐんしんは至急に相談して氏姓を定め、朕にまで達するやうとりはからへ。

【備考】ここげられたところは、道德どうとく問題といふよりも、より多く社會しゃかい問題とへよう。しかし一つは、各自が道德の上に立脚りっきゃくし、道德の旨にしたがふならば、氏姓しせい混亂こんらんを生ずる道理がない。この意味からすれば、一つの道德問題とも見られよう。

 すでちゅうのうちでも一寸ちょっと、說明して置いたが、古代は氏族しぞく團結だんけつ社會しゃかいで、それが社會を組織する土臺どだいとなつてゐた。普通、これを氏族制度と云つてゐる。平たくいへば、うじ本位の社會にほかならない。氏の語源については、いろいろの說があるけれども、明瞭めいりょうでない。が、事實じじつ、共通の祖先を有する血族團體だんたいを表示した名稱めいしょうにほかならぬ。それは、親子兄弟といふよりも、もつとひろ範圍はんいわたつて、すべての親戚などをも包容ほうようしたものを指す。この血屬けつぞく團體だんたいを率ゐてゆくのは、氏上このかみ(ウヂノオサ、ウヂコノカミともいふ)で、それが氏人うじびとを支配する。それから氏をしょうするに至つた事情には、の如く、いろいろの區別くべつがある。

(第一)祖先以來、居住した土地の名を取つたもの。

(第二)世襲せしゅうする職業の名を取つたもの。

(第三)技藝ぎげいによつて、しょうしたもの。

 その他、事物の名にちなむもの、祖名そめい神名しんめいによつたものなどがある。それからうじのほかに、加婆禰か ば ね(姓)といふものがあつた。おみむらじなどが、それで、何れも朝廷からたまわつたもので、おみは主として皇別こうべつに賜り、むらじ神別しんべつに賜つた。國造くにのみやつこ伴造とものみやつこ縣主あがたぬしなどの如く職業を示したのもあつた。そして大臣おおおみ大連おおむらじは、氏族の上位を占め、いきおひ政治上にも權力けんりょくふるつたのである。

 以上の如く、加婆禰か ば ね高下こうげが、やがて身分の高下こうげを定める標準ともなり、しかもそれが代々、固定して、身分の差等を分つたから、高姓こうせいにゐるものはよいとしても、下姓かせいにゐるものは、いつ迄つても頭があがらない。如何い かに才能が優れてゐても、下姓かせいの家に生れたものは、一生、埋れ木同樣どうようの生活に甘んじなければならなかつた。かうなると、本家ほんけ末家まっけあらそふものが出來たり、氏族に附屬ふぞくする家領かりょうの所有をあらそふものが出來たり、家長かちょうの地位を乘取のっとらうと計るものが現はれたり、下姓かせいのものが高姓こうせいを盗用したりすることも往々おうおうあつた。それにつれて、訴訟が起り、論爭ろんそうえぬとなると、打捨てては置けない。それゆえ允恭いんぎょう天皇は、一大英斷えいだんのもとに、姓氏せいし混亂こんらんを一掃しようとされたのである。

 その方法として、盟神探湯く が た ちを用ひられたが、それには絕對ぜったい效力こうりょくがなくとも、當時とうじにおいては、一番、有效ゆうこうな思ひ付きだつた。それには、氏姓についてあらそふものが雙方そうほう沐浴もくよく齋戒さいかいしたのち探湯瓮く が べを中にゑ、熱湯を探るのである。その際、雙方そうほう綿手繦ゆうだすきつけて、釜の前へゆき、手を入れるのだ。惡心あくしんあるものは、ぐらぐらたぎり立つ熱湯を見ると、づ心がおののく。それゆえ擧動きょどうによつて、不正を察知することが出來た。この事あつて以來、氏姓は自然に定り、いつわりを云ふものがなくなつたとつたへられるが、それは、少しく誇張こちょうにすぎた言葉である。無論その弊害へいがいは、ある程度まで、取除かれたにちがひないけれども、いつわるものが跡をつ迄にはゆかなかつた。が、盟神探湯く が た ちにより、道德心の目ざめを促し、良心の働きをするどくさせることが出來ただけは、確かに認めてよく、ここ效果こうかがあつたと思はれる。