100 國民精神作興ノ詔書 大正天皇(第百二十三代)

國民こくみん精神せいしん作興さっこう詔書しょうしょ(大正十二年十一月十日 聖鑒)

ちんおもフニ國家こっか興隆こうりゅうもとハ、國民こくみん精神せいしん剛健ごうけんリ。これ涵養かんようシ、これ振作しんさくシテもっテ、國本こくほんかたクセサルヘカラス。ここもっテ、先帝せんてい敎育きょういくとどメサセラレ、國體こくたいもとづキ、淵源えんげんさかのぼリ、皇祖こうそ皇宗こうそう遺訓いくんかかケテ、大綱たいこう昭示しょうじシタマヒ、のちまた臣民しんみんみことのりシテ、忠實ちゅうじつ勤儉きんけんすすメ、信義しんぎくんかさネテ、荒怠こうたいいましめレタマヘリ。みな道德どうとく尊重そんちょうシテ、國民こくみん精神せいしん涵養かんよう振作しんさくスル所以ゆえん洪謨こうぼあらサルナシ。爾來じらい趨向すうこうていシテ效果こうかおおいあらわレ、もっ國家こっか興隆こうりゅういたセリ。ちん卽位そくい以來いらい夙夜しゅくや兢兢きょうきょうトシテ、つね紹述しょうじゅつおもヒシニ、にわか災變さいへんヒテ、憂悚ゆうしょう交々こもごもいたレリ。輓近ばんきん學術がくじゅつ益々ますますひらケ、人智じんちすすム。しかレトモ、浮華ふ か放縱ほうしょうならいようやきざシ、輕佻けいちょう詭激きげきふうまたしょうス。いまおよヒテ時弊じへいあらたメスムハ、あるい前緒ぜんしょ失墜しっついセムコトヲおそル。いわん今次こんじ災禍さいかはなはだいニシテ、文化ぶんか紹復しょうふく國力こくりょく振興しんこうハ、みな國民こくみん精神せいしんツヲヤ。じつ上下しょうか協戮きょうりく振作しんさく更張こうちょうときナリ。振作しんさく更張こうちょうみちナシ、先帝せんてい聖訓せいくん恪遵かくじゅんシテ、實效じっこうクルニルノミ。よろし敎育きょういく淵源えんげんたっとヒテ、智德ちとく竝進へいしんつとメ、綱紀こうき肅正しゅくせいシ、風俗ふうぞく匡勵きょうれいシ、浮華ふ か放縱ほうしょうしりぞケテ、質實しつじつ剛健ごうけんおもむキ、輕佻けいちょう詭激きげきメテ醇厚じゅんこう中正ちゅうせいシ、人倫じんりんあきらカニシテ親和しんわいたシ、公德こうとくまもリテ秩序ちつじょたもチ、責任せきにんおもンシテ節制せっせいたっとヒ、忠孝ちゅうこう義勇ぎゆうケ、博愛はくあい共存きょうぞんよしみあつクシ、リテハ恭儉きょうけん勤敏きんびんぎょうふくさんおさメ、テテハ一利害りがいへんセスシテ、ちから公益こうえき世務せいむつくシ、もっ國家こっか興隆こうりゅう民族みんぞく安榮あんえい社會しゃかい福祉ふくしトヲはかルヘシ。ちん臣民しんみん協翼きょうりょくリテ、彌々いよいよ國本こくほんかたクシ、もっ大業たいぎょう恢弘かいこうセムコトヲこいねがフ。なんじ臣民しんみんこれつとメヨ。

【字句謹解】◯剛健 つよくたけし。すなわ精神力せいしんりょくつよいこと ◯國本 國家の大本おおもとしかして國本こくほん國民こくみん精神せいしんに存在する ◯涵養 水をあたへて草木そうもくを養ふこと。てんじてやしなひそだてる意にいふ ◯振作 ふるひおこす。すなわち國民精神の萎靡い び沈滯ちんたいせるをふるひおこす ◯先帝意ヲ敎育ニ・・大綱ヲ昭示シタマヒ 以上は敎育きょういく勅語ちょくごを指されしもの。すなわち國民精神を涵養かんよう振作しんさくする最も直接のみちは敎育であつて、敎育の根本規範きはんをお示しになつたものはすなわち敎育にかんする勅語ちょくごであるとの意 ◯後又臣民ニ詔シテ・・荒怠ノ誠ヲ垂レタマヘリ 以上は戊申ぼしん詔書しょうしょをお指しあそばされしものである ◯大綱 おほもと。主要なる箇條かじょう ◯昭示 明らかに示す ◯申ね かさねとみ、重ぬる義。すなわち前には敎育勅語を下され、ち更にかさねて戊申ぼしん詔書しょうしょを下されしを指す ◯道德 人たるもののみ行ふべき意。人倫じんりんの義 ◯洪謨 は大、計畫けいかくすなわ大計畫だいけいかくまた大訓言だいくんげんの義 ◯趨向 おもむき向ふところ。傾向 ◯兢兢 いましめつつしむかたち。おそれおののくさま ◯紹述 ぎ述べる。すなわ皇祖こうそ皇宗こうそう御遺訓ごいくんこと先帝せんてい明治天皇御偉業ごいぎょう承繼しょうけいし給はんとの大御心おおみこころを示す ◯憂悚 うれひおそれる ◯輓近 ちかごろ。古代にたいして近頃の世をいふ義 ◯浮華放縱 かろがろしくはでやかで、わがままなるをいふ。すなわちうはべばかりかざつて虛榮心きょえいしんがつよく、社會しゃかいの道德や秩序を無視して、わがまま勝手にふるまふこと ◯輕佻詭激 かるはずみで、思想や言行が常度じょうどを失つてはげしいこと ◯時弊 その時代のあしきならはし。晉書しんしょに『省非急之費、以救』とあり ◯前緒 は事業。先人ののこし置きたる事業。すなわ祖宗そそう及び先帝明治天皇御遺業ごいぎょうを指されしもの ◯今次の災禍 今囘こんかいのわざはひ。すなわち大正十二年九月一日午前十一時五十八分、關東かんとう地方に起りし大地震による災禍さいかを指す ◯文化ノ紹復 とは世の中が開け進んで學問がくもん藝術げいじゅつ・道德・宗敎・法律等が進歩すること。はつぎおこす、すなわ先業せんぎょう作興さっこうしてこれを盛んにすること ◯協戮 しんりょくやくすなわち心をいつにして力を合せること ◯振作更張 國民精神を振作しんさくして時弊じへい矯正ためただし、國運こくうん振張しんちょうに向つて更に善處ぜんしょする意 ◯恪遵 かくけいじゅんはしたがふ。すなわちつつしみうやまつて、したがひ守ること ◯敎育ノ淵源 敎育勅語に示されし敎育の根本義こんぽんぎを指す ◯智德ノ竝進 智育ちいく德育とくいくとを竝行へいこうさせて進ませる。これは敎育の根本義であるが、とかく知育を偏重へんちょうして德育とくいくこれともなはないのが、現今げんこん敎育界の通弊つうへいである ◯綱紀肅正 國家を治める紀律きりつを、正して引きしめる ◯風俗匡勵 世上せじょう一般の風紀ふうき風習を正しくするために、お互ひにはげまし合つてつとめること ◯質實剛健 飾りがなく眞面目ま じ めで、意志の鞏固きょうこなこと ◯醇厚中正 きよあたたかくて重み深みのあること、輕佻けいちょう反對はんたいは極端にはしらず公明にして正しきこと ◯人倫 人のみ行ふべきみち。道德の別稱べっしょうで、そのおもなるものを五りんといふ。すなわ君臣くんしん・父子・夫婦・長幼ちょうよう朋友ほうゆう等が互に守るべきみちをいふ ◯公德 個人が社會しゃかい公共にたいして負ふべき道德 ◯節制 ほどほどにする。欲望を自然のままに放任せず、くこれを制御して中正ちゅうせいを期すること ◯博愛共存 ひろく愛し合ひ、自分一個の利益りえきのみをはからず、共存共榮きょうえいじつぐること ◯ よしみ。人々が互に好意すなわち博愛の心を以てまじわるをいふ ◯恭儉勤敏 つつしみ深くつづまやかで汲々きゅうきゅうとして職業につとめはげむこと ◯產ヲ治メ 家產かさんををさめて生活の安定をはかる ◯公益世務 社會しゃかい全體ぜんたいのためになる利益りえきと種々の社會しゃかい公共事業とをいふ ◯國家ノ興隆、民族ノ安榮、社會ノ福祉 これは一つの事柄を、三つのことなつた方面からみて述べられたものである。民族とは國家を組織する人について仰せられしもの、社會しゃかいとは民族の共同生活を指されしもので、要するにといひ、といひ、といひ、あるいはまたといひ、といひ、といふも、畢竟ひっきょう同じ意義で、いつに國運の隆昌りゅうしょうこいねがふと仰せられしものである ◯恢弘 かいはおほいに、すなわおおいにひろめる義。

【大意謹述】およそ一國が富强ふきょうを致すためには、まづその國民こくみん精神せいしん剛健ごうけんでなければならない。國家の興亡こうぼうは、つねに國民精神が剛健であるかいなかによつて、決せらるるものである。したがつて國家の興隆こうりゅうをはかるためには、まづ國民精神の剛健を、はからねばならない。それで先帝せんてい明治天皇には、ふかく御心みこころをここに留めさせられ、つとに敎育を重んじ、國體こくたいもとづ建國けんこくの精神にのっとり、明治二十三年十月三十日、特に敎育にかんする勅語ちょくごを下して、國民敎育の根本規範をお示しになつたのであるが、その後また明治四十一年十月十三日には、更に戊申ぼしん詔書しょうしょを下して、浮華ふ か荒怠こうたいをいましめ、質實しつじつ剛健ごうけん氣象きしょう振作しんさくせよとおさとしになつたのである。これ等はいづれも、道德を重んじ、國民精神をふるひおこすための大御心おおみこころによつたものである。その後わが國民は、よくこの大切な兩度りょうどみことのり聖旨せいし奉戴ほうたいして、大いに感奮かんぷん興起こうき、心をいつにして質實剛健氣風きふう發揮はっきしたので、國運こくうん長足ちょうそく發展はってんげ、つひに今日こんにちのやうな盛んな國家となつたのである。それでちんは、卽位そくい以來今日こんにちまで、いつも國家國民の福祉ふくしこいねがひ、皇祖こうそ皇宗こうそう御遺訓ごいくんこと明治天皇御偉業ごいぎょうぎ述べて、ますます大業たいぎょうを盛んにせねばならぬと心がけて居たのであるが、そこに突如として今囘こんかい關東かんとう大震だいしん火災かさいが起り、その國家の前途に及ぼす結果が、いかに大であるかといふことを思つて、まことに心配にたへないのである。

 おもふに、明治維新以來、學問がくもんや技術の發達はったつは、じつにおどろくべきものがあり、新しい學理がくりや新らしい發明はつめい發見はっけんなどは、ほとんどつきおこるといふ有樣ありさまで、これをすう十年前にくらべると、全く隔世かくせいの感があるほどである。しかるに一方においては、世の中がかやうにひらけて、人智じんちが發達するに伴ひ、國民の精神生活においては、道義の觀念かんねんがすたれ、質實剛健の美風は失はれ、虛榮きょえいに走り享樂きょうらくにふけり、また思想の如きも常軌じょうきいつして輕擧けいきょ妄動もうどうするものが少くなく、いはゆる浮華ふ か放縱ほうしょう輕佻けいちょう詭激きげきわるい風習が、近來やうやく盛んにならうとして居る。今にして、時代のもたらしたかやうな弊風へいふうを改めなければ、あるいは國家が衰微すいびして、皇祖こうそ皇宗こうそうおよび先帝の御遺業を傷つけるやうな結果になりはしまいかといふことを、朕は憂ふるのである。ことに今度の大震だいしん火災かさいによる文化の破壞はかいや、財貨ざいかの損失等は莫大なもので、その復興ふっこうじつに容易なものではなく、國力の恢復かいふく復興事業の完成とは、一に國民の精神力に待たねばならないのであるから、この際、官民かんみん一致協力、心をひきしめて、この未曾有み ぞ う國難こくなんを克服する覺悟かくごをもつて、奮勵ふんれい努力どりょくせねばならぬ。

 しからば國民こくみん精神せいしんをふるひおこして時弊じへいめ直し、國運を盛んにするためには、どうしたならばよいかといふに、その方法はただ先帝明治天皇御遺訓ごいくんしたがつて、よくこれをみ行ひ、實際じっさいにその效果こうかぐることよりほかに方法はないのである。すなわち敎育にかんする勅語ちょくごに明示されし敎育の根本義こんぽんぎたっとび重んじて、智育ちいく德育とくいくとを竝行へいこうして進むるやうにし、また政治方面においては、中央・地方ともに國家政治の紀律きりつをひきしめ正しくして、世上せじょう一般の風俗がよくなるやうに互にはげまし合ひ、質實剛健の氣象をさかんならしめ、かるはずみのことや、常軌じょうきいつした思想・行動などをめて、何事も極端にはしらず中正公明な道をみ、五りんの道を明らかにして、人々は互にむつまじく親和しんわし、公德こうとくを守つて社會しゃかいの秩序を保ち、おのれすべき責任を重んじ、慾望よくぼうをつつしんですべて物ごとはほどほどにし、忠孝ちゅうこう義勇ぎゆう奉公ほうこうなどの美德を守り、社會一般の繁榮はんえいはかつて共存共榮きょうえいじつげ、各自はそれぞれ自分の職業にはげんで、つとめて質素儉約けんやくむねとし、自己の生活安定をはかると共に、國家產業の發展ならびに文化の向上に寄與き よすることを心がけ、社會公共の利益りえきのために力をつくし、以て國家の興隆こうりゅう日本民族繁榮はんえい、社會一般の福祉ふくし增進ぞうしんとをはかるやうにせねばならぬ。かくて朕は國民の協翼たすけによつて、わが帝國の國礎こくそをいよいよ固くし、祖宗そそう偉業いぎょうをますます隆昌さかんにしたいとねがふ次第である。汝等なんじら臣民しんみんはよく朕のこの心を理解して、奮勵ふんれい努力せねばならぬ。

【備考】この國民こくみん精神せいしん作興さっこう詔書しょうしょは、大正十二年九月一日、關東かんとう地方を襲へる大震だいしん火災かさい復興ふっこうと、當時とうじ歐洲おうしゅう大戰たいせん後の財界好況のために、浮華ふ か輕佻けいちょうに流れし社會しゃかい狀勢じょうせいとを御軫念ごしんねんあらせられて、一層國民精神を作興したまはんとの思召おぼしめしから、同年十一月十日、國民に下されたものである。一たい、國民精神の涵養かんよう振作しんさくかんするおしえとしては、すでに敎育にかんする勅語ちょくごおよび戊申ぼしん詔書しょうしょによつて、ほとんどくされて居ることは、大正天皇がこのみことのりにおいて『振作しんさく更張こうちょうノ道ハナシ、先帝せんてい聖訓せいくん恪遵かくじゅんシテ、實效じっこうクルニルノミ』と仰せられて居る通りである。しかもかさねてこのみことのりを下され、深く國民の覺悟かくごを促がされし所以ゆえんのものは、時弊じへいならびに震災の復興にたいする御憂悚ごゆうしょうが特におん深く、このみことのりにもある通り『いまおよヒテ時弊じへいあらたメスムハ、あるい前緒ぜんしょ失墜しっついセムコトヲおそル』とまで、御軫念ごしんねんあらせられたからである。この詔書しょうしょの重大なる意義は、ここにあることを、知らねばならぬ。

 當時とうじの世相をかえりみるに、大正天皇御卽位ごそくい後、いくばくもなく歐洲おうしゅう戰亂せんらん勃發ぼっぱつして、わが國もまた東洋平和と日英同盟よしみとによる立場から、大正三年八月二十三日、ドイツにたいして宣戰せんせんの布告をはっし、聯合れんごう國側の一員として參戰さんせんするに至つたが、實際じっさいは東洋の一小局部しょうきょくぶや、太平洋および地中海の一部においての參戰であつたから、大した戰禍せんかもうけず、むしろこれがために輸出貿易が盛大となり、國富こくふにわかに增大ぞうだいして、一躍債權さいけん國となり、この財界の好況は、國民をつて輕佻けいちょう浮華ふ かの習ひを馴致じゅんちせしめ、享樂きょうらく偸安とうあんふう誘發ゆうはつせしむるに至つたのであつた。當時とうじのわがくに產業界は、洪水の如き歐洲おうしゅう列國の大量注文のために、未曾有み ぞ う活況かっきょうていし、鑛業こうぎょう・機械・鐵鋼てっこう船舶せんぱく等いかなる生產事業でも、企畫きかくすれば必ず成功するといふ有樣ありさまで、從來じゅうらいの輸入國は一躍して輸出國となり、在外ざいがい正貨せいかは二十億以上に達するといふ好景氣を呈した。そしてこの好景氣は、必然的に國民をして淫靡いんび懦弱だじゃくならしめ、德義とくぎ節操せっそうはすたれ、日本國民の誇りたる質實しつじつ剛健ごうけん氣風きふうは失はれ、華美を追ひ輕薄けいはくに走るといふむべき惡風が起るに至つた。しかるに米國をはじめ歐洲おうしゅうの列國は、わが國民が泡沫うたかたのやうな戰時成金なりきん氣分に陶醉とうすいして居る間に、孜々し しとして戰後の經營けいえいと國力の恢復かいふくとに全力を傾注けいちゅうし、早くもわが產業貿易は、彼等の脅威に屈服せられようとして、財界の前途は憂慮ゆうりょすべき狀態じょうたいにある時、わが國民の惰眠だみん覺醒かくせいせしめんとする天譴てんけんとでもいふべき關東かんとう大震災が、突如として襲來しゅうらいしたのであつた。この災厄さいやくのために、文化の破壞はかい財貨ざいかの損失等は、ほとんど計り知れないほどで、國民生活の不安は、いよいよ深刻となるに至つたのであるが、しかも一方企業家や資本家は、ややもすれば目前の小利しょうりを追うて國富こくふ增進ぞうしんの道をこうぜず、他方勞働ろうどう者は、唯物論ゆいぶつろん的思想の影響をうけて勤勞きんろういとひ、團結だんけつの威力を以て資本家を威迫いはくせんとする氣風が濃厚となり、ために勞資ろうし爭議そうぎ頻發ひんぱつして、世相せそうはいよいよ險惡けんあくおもむき、加ふるに國民思想界もまた、西洋文明の餘弊よへいをうけて、一般に物資主義・個人主義享樂きょうらく主義となり、かくてわが國は、經濟けいざい的にも思想的にも、未曾有み ぞ うの一大國難こくなん當面とうめんするに至つたのである。ここにおいて大正天皇には、內外の形勢にいたく宸襟しんきんなやましたまひ、わが傳統でんとう的國民精神の作興さっこうによつて、この國難を突破し、國勢こくせい挽囘ばんかいしたまはんとの大御心おおみこころから、この大詔たいしょう渙發かんぱつして、國民の覺醒かくせいを促されたのである。『今ニ及ヒテ時弊じへいあらたメスムハ、或ハ前緒ぜんしょ失墜しっついセンコトヲおそル』とのお言葉を拜誦はいしょうすれば、時弊じへいたいする御憂悚ごゆうしょうがいかに大であらせられたかといふことが拜察はいさつされ、まことに恐れ多き次第である。

 ほ、昭和八年十一月十日は、この大詔たいしょう渙發かんぱつされてから、ちやうど十年目にあたり、ことにいはゆる一九三五・六年の非常時國難を前にして、擧國きょこく、この國難を突破せねばならぬ時に際會さいかいしてゐるので、齋藤さいとう首相は次の如き內閣告諭こくゆはっして、國民の覺悟かくごを促すところがあつた。

 國民こくみん精神せいしん作興さっこうかんする詔書しょうしょ渙發かんぱつせられてより十周年、本日はまさの記念のしんあたる。おもふに明治維新以來庶政しょせい著著ちゃくちゃくとしてしょき、國運こくうん駸駸しんしんとして發暢はっちょうし、ことあるごと國光こっこうべ、國威こくいふるひ、以て大正の御宇ぎょうに及べり。敎育きょういく勅語ちょくご大訓たいくんは、炳乎へいことしてあきらかに、戊申ぼしん詔書しょうしょ聖旨せいしは、昭然しょうぜんとしていちじるしといえども、世情せじょうとしともうつり、人心じんしんとき弛緩しかんまぬがれず、國民こくみん精神せいしんために緊張をき、外來の思想これじょうじて浸漸しんぜんし、浮華ふ か放縱ほうしょうしゅうきざし、輕佻けいちょう詭激きげきふうしょうぜり。

 の時にあたりて、偶々たまたま關東かんとうおおいふるひ、加ふるに猛火のわざわいを以てし、輦轂れんこくもとは大半焦土しょうどして、人心じんしんやすからず、大正天皇深く宸襟しんきんろうせさせられ、帝都ていと復興ふっこうみことのりたまひて策勵さくれいを加へ、更にほん詔書しょうしょくだたまひて、國民精神を涵養かんよう振作しんさくし、明治天皇聖訓せいくん恪遵かくじゅんせむことを示させられたり。爾來じらい星霜せいそうけみすること十たび御宇ぎょうすでに改まり、帝都の復興はぎょうを終へたりといえども、國民精神の作興さっこうに至りては、世局せきょく時相じそうの推移に伴ひ、よういよいよ緊切きんせつを加ふるものあり。

 今つつしみて本詔書はいするに、敎育の淵源えんげんとうとびて智德ちとく竝進へいしんを努め、綱紀こうき肅正しゅくせいし、風俗を匡勵きょうれいすべきを示させられ、浮華ふ か放縱ほうしょうしりぞけて、質實しつじつ剛健ごうけんおもむき、輕佻けいちょう詭激きげきめて、醇厚じゅんこう中正ちゅうせいせむことをすすたまひ、人倫じんりんあきらかにして親和しんわを致し、公德こうとくを守りて秩序を保ち、責任を重んじ節制せっせいとうとぶべきむねさとさせられ、更に忠孝ちゅうこう義勇ぎゆうの美をげ、博愛共存のよしみあつくすべきをおしたまひ、恭儉きょうけん勤敏きんびんぎょうに服しさんを治め、一の利害にへんせずして力を公益こうえき世務せいむつくすことを望ませられ、以て國家の興隆こうりゅうと民族の安榮あんえい社會しゃかい福祉ふくしとをはかるべきを期待したまへり。聖旨せいし優渥ゆうあくにして懇到こんとう、國民精神作興さっこう本領ほんりょう大綱たいこうつくさせられ、はりとし移るといえども、擧國きょこく臣民しんみん率由そつゆすべき所、依然いぜんとしてここそんす。加之しかのみならず臣民しんみん協翼きょうよくりて、彌々いよいよ國本こくほんを固くし、以て大業たいぎょう恢弘かいこうせむことをこいねがはせらるるをはいしては、臣民しんみんたる者、誰か感奮かんぷん興起こうき、以て奉體ほうたいまことを致さざらむや。

 世態せたい複雜ふくざつを加へ、事象じしょうつき劇忙げきぼうきたす、官民かんみん朝野ちょうやの共に協戮きょうりくして、人心じんしん歸向きこうあきらかにし、國民精神を振作しんさく更張こうちょうするのいよいよ急なるを感ず。あたかさいを以つて國際聯盟れんめい脫退だったいかんする大詔たいしょうを下し給ひ、方今ほうこん列國は稀有け う世變せへん際會さいかいし、帝國また非常の時艱じかん遭遇そうぐうす。まさ擧國きょこく振張しんちょうときなりとのたまわせられ、更に國民の遵守じゅんしゅすべき所を明らかにし給ひて、文武ぶんぶ互に職分しょくぶん恪循かくじゅんし、衆庶しゅうしょ各々おのおのの業務に淬勵さいれいすべきをおしへさせられ、せいちゅうり、協戮きょうりく邁往まいおう、以て明治天皇聖猷せいゆう翼成よくせいせむことをせさせたまへり。

 今すなわ時艱じかんに際して、ここの十周年記念の日にふ。よろしく大正の丕訓ひくん奉體ほうたいして、昭和の聖代せいだい報效ほうこうする所以ゆえんの感激をあらたにし、あいひきあいはげまして、忠孝ちゅうこうの純情を涵養かんようし、節義せつぎの美風を振起しんきし、一かん操守そうしゅを固くして、思想の正脈せいみゃくあやまらず、よって以て國民精神をいよいよ剛健ごうけんならしめ、國本こくほんかたくし、時艱じかん匡救きょうきゅうし、進んで帝國の光輝こうきますます宇內うだい發揚はつようすべきなり。かくの如くにして、始めて先帝の宏猷こうゆう顯彰けんしょうし、聖慮せいりょたてまつるをんか。ほん大臣だいじんの切に全國民に囑望しょくぼうする所なり。と