99 勤儉ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

勤儉きんけん勅語ちょくご(明治十二年三月 岩倉公實記)

ちん幼冲ようちゅうニシテくに艱難かんなんさいシ、祖宗そそう威靈いれい諸臣しょしんちからリ、中興ちゅうこう大業たいぎょうスコトヲタリ。おもんミルニ、世運せうんじつ非常ひじょうあたリ、ルヲたのしムノニアラス。うち祖宗そそう國光こっこうおとサス、そと各國かっこく對峙たいじセントス。ちん菲德ひとくなにもっこれヘン。いましたし民事みんじさっスルニ、生產せいさんいまふるハス、富庶ふしょじつあるいいますすムコトヲくわヘス。ちんふかもっうれいトナス。ここおもフ、興国こうこくもと勤儉きんけんニアリ。祖宗そそうじつ勤儉きんけんもっくにツ。富强ふきょうじついまあがラスシテ、にわか奢侈しゃしへいムアラハ、ちんニアリ。ちんいましム、おのレヲはげまシ、天下てんか標準ひょうじゅんサンコトヲおもフ。諸臣しょしんク。宮禁きゅうきん土木どぼくつとメテ儉素けんそキ、進御しんぎょものつとメテ質朴しつぼくもちヰ、冗費じょうひ省略しょうりゃくシテ、もっぎょうすすメ、もとつちかフノテヨ。諸臣しょしんたみマシ、せいあつクスルノはかりごとアラハ、おのおのところつくもっちんおよハサルヲたすケヨ。

【字句謹解】◯幼冲 をさなきをいふ。よう書經しょきょう大誥篇だいこうへんに『人』とあり。幼稚、幼少に同じ ◯祖宗ノ威靈 皇祖こうそ皇宗こうそうのいかめしくとうときお力 ◯中興 一たん衰へた世を再び盛んにおこす ◯世運 世の氣運きうん。世のまはりあわせ ◯成ルヲ樂ム 完成し終つたことをたのしむ。でき上つたことをよろこぶ ◯對峙 あい向つて立つ。あい對抗たいこうして立つ ◯菲德 はうすし、すなわとくうすき義 ◯民事 民の事情 ◯生產 生計のたづきとなるべき產業、なりはひ。すぎはひ ◯富庶 はゆたか、豐富ほうふの意、すなわち人民が富みさかえて物資のゆたかなるをいふ ◯興國 國をおこし盛んならしむる ◯勤儉 業務につとめはげみて費用を節すること ◯奢侈 おごり、ぜいたく。華美か び豐富ほうふの意 ◯標準 てほん。めあてとすべきのり ◯宮禁 帝王のごてん。宋書そうしょいん景仁けいじんでんに『密邇』とあり。禁闕きんけつ宮城きゅうじょうに同じ ◯土木 ふしん。家屋・堤防・道橋どうきょうなどの工事をいふ ◯冗費 むだな費用。つひえ ◯生ヲ厚クス 民のくらしをてあつくする。例へばきぬかんをしのぎ、肉を食つてからだを養ふ如きをいふ。書經しょきょう大禹謨だいうぼに『正德利用、惟和』とあり ◯逮フ およぶ。及ぶに同じ。論語ろんご里仁篇りじんへんに『恥身之不也』とあり。

【大意謹述】ちんをさなき身を以て、國家が多事た じ多難たなんの時にあたり、天子の位にいたが、さいはひにも、皇祖こうそ皇宗こうそう御威靈ごいれいと、諸臣の大義たいぎをわきまへた助力とによつて、中興ちゅうこう大業たいぎょうを一通り成就じょうじゅすることが出來た。しかしながら、世界の大勢をみるのに、世はいま非常の時であるから、まだまだこれ位の成功に滿足まんぞくして、氣をゆるめる場合ではない。うち祖宗そそう國威こくいをおとさず、そとは各國とあい對立たいりつしても劣らぬやうに、まづ國力の充實じゅうじつをはからねばならぬ時であるが、果してとくうすき朕が、この大任をまっとうしうるかと心配である。このごろ各地を巡幸じゅんこうして、朕が親しく見聞せるところにつて、民の事情を察するのに、各地ともまだ生產業が盛んでなく、とみの程度も低くて、民は物資の窮乏きゅうぼうに苦しみなやんで居るやうで、朕は深くこれを憂へて居るのである。ここにおいて思ふことは國をおこもと勤儉きんけんであつて、古來わが祖宗そそうじつ勤儉きんけんを以て、國を建つるもといとせられたことである。今日こんにちまだわが國は富强ふきょうじつあがらないのに、もし國民の中にこの場合、華美か びにながれたり奢侈しゃしにふけつたりするものがあつたならば、それは朕の不德ふとくの致すところであつて、その責任は朕のにあるのである。そこで朕はおのれをはげまして勤儉きんけんにつとめ、みずから天下の手本にならねばならぬと、自己をいましめて居る次第である。したがつて皇居の營造えいぞう工事なども、なるべく縮小して儉素けんそにつとめ、また進御しんぎょの物なども、出來るだけ質素にして、むだをはぶき、それによつて得た費用を以て、民の生產業をおこし、國家のもとつちかふためのもとでてるやうにせよ。もしまた諸臣の中に、民の福利ふくり增進ぞうしんし、生活を安定させるための方法を考へついたものがあれば、それぞれその信ずるところを遠慮なく申しで、以て朕の至らざるところを補ひたすけるやうにせよ。

【備考】明治天皇には、維新以來、西南・東北・奥羽おうう地方を巡幸じゅんこうせられ、親しく各地方の民情をみそなはせられたが、ことに十一年九月から、十一月にかけての北陸巡幸のおん途上とじょうにおいては、當時とうじ農民がいかに疲弊ひへいして居たかを、つぶさに視察せられた。このみことのりにおいて『いましたし民事みんじさっスルニ、生產せいさんいまふるハス、富庶ふしょじつあるいいますすムコトヲくわヘス。ちんふかもっうれいトナス』と仰せられたのはそれである。そして御軫念ごしんねんのあまり、このみことのりにもある通り、おんみずか勤儉きんけんはんを示し、あまねく國民に儉素けんそ・節約をすすめられ、利用厚生のみち親諭しんゆせられたのである。かくて十二年三月、太政大臣三條さんじょう實美さねとみ左大臣熾仁たるひと親王しんのう、右大臣岩倉いわくら具視ともよし御前ごぜんして、この優渥ゆうあくなる勅語ちょくご下賜か しせられたが、これにたいし、三條及び岩倉は、閣議にはかつた結果、『國民の利用厚生を計るための案』として、左の四項を奉答ほうとう申しあげたのである。

一、外國貿易に於て、明治元年より同十一年迄の輸入超過額は六千萬圓まんえんで、ために四千餘萬圓の正貨せいかが海外に流出し、國庫こっこは非常に窮乏きゅうぼうきたして居るから、自今じこん官廳かんちょう所需しょじゅは、成るべく內國產ないこくさんの物品を使用すること。

二、外國人のやといれ、生徒の海外派遣は、これを停止すること。

三、土木建築の事業は、むを得ざるもののほかは、すべて之を停止すること。

四、勸業かんぎょう事務を擴張かくちょうすること。