94 直諫ヲ求ムルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

直諫ちょっかんもとムルノ勅語ちょくご明治元年十月十七日 法令全書)

皇國一體。東西同視。朕今幸東京。親聽內外之政。汝百官有司。同心戮力。以翼鴻業。凡事之得失可否。宜正議直諫。啓沃朕心。

【謹譯】皇國こうこくたい東西とうざい同視どうしちんいま東京とうきょうみゆきして、したしく內外ないがいまつりごとく。なんじかん有司ゆうし同心どうしん戮力りくりょくもっ鴻業こうぎょうたすけ、およこと得失とくしつ可否か ひは、よろしく、正議せいぎ直諫ちょっかんして、ちんこころ啓沃けいよくすべし。

【字句謹解】◯皇國一體 わが日本國は君民くんみんたいであるの義 ◯東西同視 したがつて一同仁どうじん萬民ばんみんことごとちん赤子せきしであると仰せられしもの。前勅ぜんちょく(第九十三)において『レ四かいうちいずれちん赤子せきしニアラサル、率土そっとひんまたちんノ一ナリ。ちん庶民しょみんおいテ、なんソ四ぐうべつヲナシ、あえ外視がいしスルコトアランヤ』と仰せられしはそれである ◯聽政 まつりごとをとること。天下を治むる義。孟子もうし離婁篇りろうへんに『子產鄭國之』とあり ◯同心戮力 心を一にして力をあはせる ◯鴻業 大なる事業。帝王のぎょうをいふ ◯得失可否 はうるとうしなふと、すなわち利と不利と。はよきとあしきと ◯正議直諫 衆議しゅうぎによる正しき言論を以て、はばからずあからさまにいさめる ◯啓沃 おのれの心をひらいて君王くんおうの心につぎこむ。書經しょきょう說命えつめいじょうへんの『乃心、朕心』に出づる語。すなわもうひらき、心につぎこみおしへ導く義。

【大意謹述】わが日本國は、古來君民くんみんたいの國がらであつて、一同仁どうじん萬民ばんみんはすべてこれちん赤子せきしである。このたび朕は東京に都を移し、親しく內外萬端ばんたんまつりごとをとることとなつた。それで、汝等なんじらかん有司ゆうしは、心を一にし力を合せて朕をたすけ、すべてことの利害得失とくしつ善惡ぜんあく可否か ひを、よく研究論議して、遠慮するところなく朕を直諫ちょっかんし、朕のもうひらき足らざるをおぎなふやうにせよ。

【備考】明治元年十月十三日、明治天皇には東京御著輦ごちゃくれん千代田城ちよだじょうらせられ、江戸城を以て京城とうきょうじょう御改稱ごかいしょう、同月十七日このみことのりを下して、あまねく百かん有司ゆうし直言ちょくげん直諫ちょっかんを求められ、忌憚きたんなく聖明せいめい輔導ほどう啓沃けいよくせよと仰せられたのである。このみことのり簡單かんたんではあるが、當時とうじ朝野ちょうやたいして、かなりに大きい衝動しょうどうあたへたに相違そういない。何となれば政權せいけん武門ぶもんして以來、天下の政務はつねに一部權力家けんりょくか獨裁どくさいもと遂行すいこうされ、群小ぐんしょう官吏かんりの如きは直接國政こくせい容喙ようかいするを許されず、いわんやこれを聖聽せいちょうに達する如きは、思ひもよらぬことであつたからである。したがつて有能の百かん有司ゆうしの如きは、みな遺憾いかんの涙をんでむのほかなく、ことに德川幕府時代にあつては、時弊じへいを論談することさへかたく禁ぜられ、たまたま時弊を論ずれば、ただちに法を以て嚴罰げんばつされる始末で、したがつて歷史の如きも、直實ちょくじつの筆を以て時弊を辯難べんなんせるものは發行はっこうすることを得ないばかりでなく、筆者はたちま苛酷なる制裁をこうむつたやうな狀態じょうたいであつた。しかるにそれが、明治の御代み よに入つて、大政たいせい復古ふっこ明朗めいろうな新世界となり、明治天皇が親しく萬機ばんき親裁しんさいせらるるに及び、おおいに言論の自由を許され、百かん有司ゆうしはしたいしてまでも、忌憚きたんなく所信しょしんべて、聖明せいめい輔導ほどう啓沃けいよくせよと仰せられたのであるから、したがつてこのみことのり言辭げんじ簡單かんたんではあるが、當時とうじ朝野ちょうやたいして、かなりに大きな衝動しょうどうあたへたに相違そういない。由來ゆらい、國家弊政へいせいみなもとは、いづれの國にあつても、多くは下情かじょうの上達しないところにあつた。これは古今の史實しじつが、明らかに物語つてる通りである。しかるにわが國に在つては、歷朝れきちょうつねに民の心を以て大御心おおみこころとせられ、下情かじょう申達しんだつ聽聞ちょうもんについても、歷代天皇ひとしく、御心みこころくだかれたのであつた。孝德こうとく天皇かね宮門きゅうもんはこちょうに設けて、親しく民の憂訴ゆうそかれし如きは(第十參照)その最もいちじるしき例であるが、その元正げんしょう天皇(第二十八及び第二十九參照)、淳仁じゅんにん天皇(第四十七參照)、後嵯峨ご さ が天皇(第八十八參照)が直言ちょくげん直諫ちょっかんを求められし如き、またいづれもその例である。