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92 救荒ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解1 思想社會篇

救荒きゅうこう勅語ちょくご明治元年六月二十二日 岩倉公實記)

曩者さきに德川とくがわ慶喜よしのぶへいケテけつおかサントスルヤ、伏見ふしみよどとう民家みんか焚燒ふんしょうシ、ちん赤子せきし蹂躙じゅうりんス。ゆえちんおおい軍旅ぐんりょはっシ、これ追伐ついばつス。しかし軍務ぐんむ繁劇はんげき費用ひよう夥多か た今日こんにちいたまでいまさいフノたみ賑恤しんじゅつスルコトあたハス。ちん宵旰しょうかんこれおもフテ、殷痛いんつうまことせつナリ。嗚呼あ あちん祖宗そそうれいリ、億兆おくちょう君臨くんりんシ、畿甸きでんたみスラかくごとシ。しかルヲいわんヤ、東方とうほう諸州しょしゅうあらた茶毒とどくかかものなにもっ救助きゅうじょセン。ちんじつ萬機ばんきルニ不堪たえずふかみずかチ、みずかあわれところナリ。庶幾こいねがわクハ主者しゅしゃちん慈意じ いたいシ、詳議しょうぎ審論しんろんもっ賑恤しんじゅつ救助きゅうじょスルところものアランコトヲはかレ。

【字句謹解】◯曩者 さきに。さきの日。助辭じょじ ◯闕を犯す 支那し なにて宮城きゅうじょう門外もんがいの左右に設けし樓觀ろうかんだいてんじて宮城きゅうじょう・皇居をいふ。すなわ宮城きゅうじょうおかる。五だいに『年十三、嫁劉進超、契圓』とあり ◯焚燒 やく、もやす ◯蹂躙 ふみにじる ◯軍旅 軍兵ぐんぴょう五百をといふ、てんじてひろく軍隊のしょうすなわは軍隊・軍勢ぐんぜいの義。論語ろんご衞靈公篇えいのれいこうへんに『之事、未之學也』とあり ◯追伐 おつかけて征伐せいばつする ◯繁劇 いそがし。多忙 ◯夥多 おびただし、多し、澤山たくさん ◯賑恤 にぎはしめぐむ ◯宵旰 しょくの略。未明に起きてころも、日かたむきてのちぜんにつく、てんじて天子の政務に精勵せいれいせらるるをいふ。ここではたんに朝から晩までの義 ◯殷痛 はなはだ痛ましく思ふこと ◯畿甸 畿內きないに同じ。書經しょきょう禹貢うこうへんに『五百里服』とあるにもとづく。郝經詩かっきょうのしに『臨中國、山河擁奥區』とあり ◯茶毒 にがなの毒をいひ害毒がいどくたとふ ◯萬機 國家萬般ばんぱんの政務。天子の政務 ◯攬る すべくくる。總攬そうらんする ◯主者 主管しゅかんの役人 ◯慈意 いつくしみのこころ ◯詳議審論 くはしくつまびらかに議論する。

【大意謹述】さきに前將軍德川とくがわ慶喜よしのぶが、兵をげて宮闕きゅうけつを攻め犯さうとするにあたり、伏見ふしみよど附近ふきんの民家をきはらひ、ちん赤子せきしである人民を殺したりきずつけたりして苦しめたので、朕は大軍をはっして、これを追ひたしめたのであつた。ところがの後、軍務が忙がしく、その上にまた費用が意外に多くかかつたりしたので、まだ今日こんにちまで罹災者りさいしゃにめぐみをあたへることも出來ず、夜もひるも朕はそれを考へては、心を痛めて居る。ああ思へば、祖宗そそう御靈みたまのおかげで朕は天子の位に登り、きみとして民に臨んだのであるが、不德ふとくにしていまだに民を安心させることが出來ず、都に近い畿內きないの民をさへも、こんなに苦しませて居るのである。まして東の方の諸國のうちで、新たなわざはひにかかつて居るものを、どうして救つたらよいだらうか。これ朕が萬機ばんきまつりごとをとるに堪へず、深くみずかぢ、みずから自分を哀れむわけである。どうかそれぞれ主管しゅかんの役人たちは、朕のこのあはれみの心を以て自分の心として、ことこまかに研究を遂げ、困つて居る人民を、にぎはしめぐむやうにせよ。

【備考】この明治元年といふ年は、春以來非常に雨が多くて、連月れんげつにわたつてむことなく、そのために河川は氾濫し、いたるところ田畑は水にぼっし、苗稻びょうとうも生長しないといふ狀態じょうたいで、農民の困憊こんぱいはほとんどそのきょくに達した。ことにそれは近畿地方に於て、最もはなはだしかつた。そこで岩倉いわくら具視ともよし大久保おおくぼ利通としみち木戸き ど孝允たかすけ等はあいして、救濟きゅうさいそなえし、詔勅しょうちょく渙發かんぱつひ、つづいて各府縣ふけんれいして、罹災者りさいしゃ賑恤しんじゅつ慫慂しょうようしたのであつた。『岩倉公いわくらこう實記じっき』はその賑恤しんじゅつの狀態を、次のやうに記してゐる。

 一、兵火へいか・水害の罹災者りさいしゃすうを調査し、金榖きんこくきゅうして救助すること。

 二、沒田ぼつでんの民は免租めんそし、その他水害を受けたる田畑は、その狀態におうじて免ずること。

 三、堤防・橋梁きょうりょう破壞はかいを、至急修理すること。

 四、以上の事は奏可そうかを待たず、府縣ふけん專任せんにんす。