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91 國威宣布の宸翰 明治天皇(第百二十二代)

國威こくい宣布せんぷ宸翰しんかん明治元年三月十四日 太政官日誌)

ちん幼弱ようじゃくもって、にわか大統だいとうき、爾來じらいなにもっ萬國ばんこく對立たいりつし、列祖れっそつかたてまつらんやと、朝夕ちょうせき恐懼きょうくへさるなり。ひそかかんがふるに、中葉ちゅうよう朝政ちょうせいおとろへてより、武家ぶ けけんもっぱらにし、おもて朝廷ちょうてい推尊すいそんして、じつけいしてこれとおさけ、億兆おくちょう父母ふ ぼとして、えて赤子せきしじょうることあたはさるようはかし、つい億兆おくちょうきみたるも、のみにて、それ今日こんにち朝廷ちょうてい尊重そんちょうは、いにしへにばいせしかごとくにて、朝威ちょうい倍倍ますますおとろへ、上下しょうかあいはなるること霄壤しょうじょうごとし。かかる形勢けいせいにて、なにもっ天下てんか君臨くんりんせんや。今般こんぱん朝政ちょうせいしんときあたり、天下てんか億兆おくちょう一人ひとりところさるときは、みなちんつみなれは、今日こんにちことちんみずから身骨しんこつろう心志しんしくるしめ、艱難かんなんさきち、いにしえ列祖れっそつくさせたまひしあとみ、治績ちせきつとめてこそ、はじめて天職てんしょくほうして億兆おくちょうきみたるところそむかさるへし。往昔おうせき列祖れっそ萬機ばんきみずからし、不臣ふしんのものあれは、みずかしょうとしてこれをせいたまひ、朝廷ちょうていまつりごとへて簡易かんいにして、如此かくのごとく尊重そんちょうならさるゆゑ、君臣くんしんあいしたしみて上下しょうか相愛そうあいし、德澤とくたく天下てんかあまねく、國威こくい海外かいがい耀かがやきしなり。しかるに近來きんらい宇内うだいおおいにひらけ、各國かっこくほうあい雄飛ゆうひするのときあたり、ひとわれのみ世界せかい形勢けいせいうとく、舊習きゅうしゅう固守こしゅし一しんこうをはからす、ちんいたずらに九重中ここのえのうち安居あんきょし、一じつやすきをぬすみ、百ねんうれひをわするるときは、つい各國かっこく凌侮りょうぶけ、かみ列聖れっせいはずかしめたてまつり、しも億兆おくちょうくるしめんことをおそる。ゆえちんここに、百かん諸侯しょこうひろあいちかひ、列祖れっそ御偉業ごいぎょう繼述けいじゅつし、一しん艱難かんなん辛苦しんくはす、みずから四ほう經營けいえいし、なんじ億兆おくちょう安撫あんぶし、ついには萬里ばんり波濤はとう拓開たっかいし、國威こくい四方よ も宣布せんぷし、天下てんか富岳ふがくやすきにかんことをほっす。なんじ億兆おくちょう舊來きゅうらい陋習ろうしゅうれ、尊重そんちょうのみを朝廷ちょうていこととなし、神州しんしゅう危急ききゅうをしらす、ちん一たひあしくれは非常ひじょうおどろき、種々しゅじゅ疑惑ぎわくしょうし、萬口ばんこう紛紜ふんぬんとして、ちんこころざしをなささらしむるときは、ちんをしてきみたるみちうしなはしむるのみならす、したがつて列祖れっそ天下てんかうしなはしむるなり。なんじ億兆おくちょう能々よくよくちんこころざし體認たいにんし、あいひきゐて私見しけんり、公議こうぎり、ちんぎょうたすけて、神州しんしゅう保全ほぜんし、列聖れっせい神靈しんれいたてまつらしめは、生前せいぜん幸甚こうじんならん。

【字句謹解】◯猝に にはかに、あわただしく、唐突だしぬけに ◯大統 天子のちすぢ。皇統こうとうに同じ ◯列祖 代々の先祖すなわ歷代れきだい天皇 ◯恐懼 おそれつつしむ ◯中葉 中ごろの世。ようは世の義 ◯朝政 朝廷の政治 ◯推尊 すすめたふとぶ ◯億兆 天下萬民ばんみんをいふ ◯尊重 いたづらにとうとび重んず。まごころから尊敬するのではなく形式的にとうとぶ義 ◯朝威 朝廷の威光いこう ◯霄壤 天地に同じ。天地の如く大差あるにたとふ ◯形勢 ありさま、なりゆき ◯君臨 として民にむ ◯治績 まつりごとの治まりたるいさを ◯天職 天子の職。民を治むるは天のめいるのであるから、君主のもっぱらにするところではない、故にといふ ◯不臣 しんたるの道をつくさず ◯簡易 てがるなこと。たやすいこと。たんへい ◯德澤 めぐみ、おかげ。德化とっか恩澤おんたく ◯宇内 あめがした、天下。史記し き泰紀たいきに『席卷天下、包擧』とあり ◯雄飛 さかんに飛躍し活動する ◯九重 禁中きんちゅう別稱べっしょう 支那し なにて天子の宮居みやいを九てんの上にたとへしに出づ ◯凌侮 じょくけい。かろんじあなどり、をかしはづかしむること ◯百官諸侯 もろもろの役人と諸大名 ◯繼述 前人ぜんじんのあとをついであきらかに述べる ◯經營 はかりいとなむ。規模を定め基礎を立ててをさめいとなむこと ◯安撫 撫育ぶいくして安心させる ◯萬里の波濤を拓開 海外の遠い外國までも開拓する義 ◯富岳 富士山 ◯陋習 いやしきならはし ◯神州 神國しんこく日本にほん異稱いしょう ◯萬口紛紜 多衆おおぜいが口やかましくごたごたとわめきたてるをいふ。紛紜ふんぬんはいりみだれるかたち。もつれ、ごたごた。班固はんこに『萬騎』とあり ◯體認 事理じ りを認識して體得たいとくすること ◯私見 自分一個の見解 ◯公議 世上せじょう一般の議論。輿論よろん。公平なる議論 ◯生前 生きてゐるうち

【大意謹述】ちん幼なくかよわき身をもつて、あわただしく皇統こうとうぎ、天子の位に登つてからこのかた、どうして世界列國に對立たいりつし、國威こくいおとすことなく、列祖れっそにおつかへしようかと、朝夕ちょうせきおそれつつしんで居る。ひそかに考へるのに、中世ちゅうせい時代、朝廷のまつりごとが衰へてからは、もっぱ武家が天下の政權せいけんをほしいままにして、表面うわべは朝廷をとうとんで居るやうに見せかけながら、じつけいして遠ざけ、きみたみとの間を疎隔そかくして、いつの間にか民の父母である天子に、ことさら人民の事情を知らせないやうにしてしまひ、つひに億兆おくちょうきみといふのも、ただ名ばかりのこととなり、ために今日こんにち朝廷の尊重は、むかしにばいしたやうに思はれるが、そのじつ朝廷の威光いこうはますます衰へて、天子と人民のかけはなれて居ることは、じつに天と地のやうである。かやうな有樣ありさまで、どうして天子として民に臨むことが出來ようか。このたびの朝政ちょうせいしんの時にあたり、もし國民のうちに一人でも、そのところを得ずして不幸におちいるものがあつたならば、それはみな朕の罪であるから、今日こんにちのことは、づ朕みずか身體しんたいろうし心を苦しめ、艱難かんなんの先に立ち、むかし列祖れっそのおつくしになつたあとみ行ひ、天下のまつりごとをよく治めてこそ、はじめて天子の職をほうじて、億兆おくちょうきみとなつた所にそむかないであらう。むかし列祖れっそは、萬機ばんきみずからせられ、もし不臣ふしんのものがあつた場合には、おんみづからしょうとしてこれをせいしたまひ、また朝廷のまつりごとの如きも、すべて簡單かんたん平易へいいで、今日こんにちのやうに繁文はんぶん縟禮じょくれいで形式的にわたつてはゐなかつたから、君臣くんしんあいしたしみ、上下じょうげあいあいし、したがつて天子の恩澤おんたくはあまねく國中くにじゅうにゆきわたり、國威こくいが海外にまでも輝やいたのであつた。しかるに近來きんらい、天下がおおいに開け、諸外國は四ほう雄飛ゆうひする時にあたり、ひとりわが國だけが世界の形勢にうとく、國民はいたずらにふるい習慣ばかりをかたくなに守つて、更始こうししんじつげようとはせず、もしこの時にあたり朕が、いたずらに九重ここのえの奥に安居あんきょして、その日その日の安樂あんらくをのみむさぼり、國家百年の大計たいけいを忘るるやうなことがあつたならば、つひには諸外國のあなどりはずかしめをうけ、かみ列祖れっそはずかしたてまつり、列祖れっそ御偉業ごいぎょうきずつけないために、自分一身の艱難かんなん辛苦しんくかえりみず、みづから四ほう經營けいえいし、汝等なんじら臣民しんみんあいしいつくしみ、やがては海外萬里ばんりの地までも開拓して、國威こくいを世界に輝やかし、天下を富岳ふがくやすきに置きたいものであると思ふ。それで汝等なんじら臣民しんみんも、舊來きゅうらいわるい習慣になれて、いたずらに朝廷を形式的にのみ尊重するやうなことがあつてはならぬ。同時にまた、神州しんしゅう日本にほん今日こんにち危急ききゅうを知らず、朕がちよつと足をげただけでも非常に驚ろき、いろいろのうたがいを持つたり、口々にさまざまのことをいつたりして、朕のこころざしげさせないやうなことがあつたならば、それはただに朕をしてきみたるの道を失はせるばかりではなく、また列祖れっその天下をも失はしむるものである。そして汝等なんじら臣民しんみんが、よく朕のこのこころを知り、自分一個の私見しけんによつて行動せず、輿論よろん公議こうぎしたがつて正道せいどうをふみ行ひ、朕をして神州しんしゅう日本の國威こくいを世界にかがやかし、列聖れっせい神靈しんれいなぐさたてまつらしめたならば、それは朕の生前における最も大きなさいわいである。

【備考】この御宸翰ごしんかんは、表面宸翰しんかんの形式ではあるが、實質じっしつにおいては詔勅しょうちょくに準ずべきもので、こと王政おうせい維新いしんたいする明治めいじ大帝たいてい御宣言ごせんげんとでも申しあぐべきところに重大な意義がある。明治元年三月十四日、紫宸殿ししいでん天神てんしん地祇ち ぎをまつり、五宣誓せんせいを終らせられし明治天皇には、同日ただちにこの御宸翰ごしんかんをあまねく天下に宣布せんぷせられたのであるが、その御趣旨ごしゅしは、億兆おくちょう安撫あんぶ國威こくい宣揚せんようにあるとはいすべきであらう。五のおちかひは、前節において述べた通り、舊來きゅうらい陋習ろうしゅうを破つて天地の公道こうどうもとづき、ひろく知識を世界に求め、民衆とともに力をあわせ、萬機ばんき公論こうろんに決し、おおいに新制度をほどこすであらうと仰せられたのであるが、これはしかし、封建制度桎梏しっこくに、いはゆる『民はらしむべし、知らしむべからず』の鐵則てっそくでしばられて來た當時とうじ無智む ち文盲もんもうな一般大衆にとつては、あまりに急激なる變化へんかであつた。そこで明治大帝には、國民がこの急激なる改革に驚ろくであらうことを宸憂しんゆうせられ、特にこの宸翰しんかんはっして、ねんごろにさとしたまうたのである。したがつてその文章・用語の如きも、詔勅しょうちょくとしてはほとんどみることの出來ないほどに平易へいいなもので、つて聖意せいいのあるところを知るべきである。この御宸翰ごしんかんは、元來がんらい箇條かじょう御誓文ごせいもんとは分離すべからざる關係かんけいにあるものであるが、しかも御誓文ごせいもん萬古ばんこ顯揚けんようするに反し、とかくこの御宸翰ごしんかんが、世の記憶から遠ざからうとして居るのは注意すべきことである。