90 五箇條ノ誓文 明治天皇(第百二十二代)

箇條かじょう誓文せいもん明治元年三月十四日 太政官日誌)

ひろ會議かいぎおこ萬機ばんき公論こうろんけっスヘシ。

上下しょうかこころヲ一ニシさかん經綸けいりんおこなフヘシ。

官武かんぶ庶民しょみんいたまでおのおのそのこころざしケ、人心じんしんヲシテサラシメンことようス。

舊來きゅうらい陋習ろうしゅうやぶ天地てんち公道こうどうもとづクヘシ。

智識ちしき世界せかいもとおおい皇基こうき振起しんきスヘシ。

我國わがくに未曾有み ぞ う變革へんかくサントシ、ちんもっしゅうさきンシ、天地てんち神明しんめいちかヒ、おおいこの國是こくぜさだメ、萬民ばんみん保全ほぜんみちテントス。しゅうまたこの旨趣ししゅもとづキ、協心きょうしん努力どりょくセヨ。

【字句謹解】◯萬機 天下の政事せいじ、帝王の政務をいふ ◯公論 世上せじょう一般の議論。偏頗へんぽなき公平なる議論 ◯上下 かみとしもと。天子も國民もともにの意 ◯經綸 天下をいとなみをさめる。いとおさめるにした語。易經えききょう屯卦ちゅんけしょうに『君子以』とあり ◯官武一途 文官ぶんかん武官ぶかんもみなひとすぢにの義。ただ誓文せいもん起草者きそうしゃたる福岡ふくおか孝弟こうてい當時とうじ意圖い とでは、太政官だじょうかんを、諸侯しょこうを指し、すなわ公卿く げ諸侯を政治の單位たんい當時とうじ問題となつてゐた『列侯れっこう會議かいぎ』をけての意と思はれるが、永遠の生命をもつ御誓文ごせいもんとしては、更に廣義こうぎ解釋かいしゃくすべきものとの見解にもとづき上記の義をとる ◯庶民 もろもろのたみ。衆庶しゅうしょ百姓ひゃくせいに同じ ◯倦む うむ。あきる。たいくつする。いやになる。くたびれる ◯陋習 いやしき習慣 ◯天地ノ公道 おほやけの道理。ただしき道。ただしこの『天地てんち公道こうどう』は木戸き ど孝允たかすけ訂正の誓文せいもん草案そうあんには『宇内うだい通義つうぎ』とあり、萬國ばんこく公法こうほうすなわ國際法こくさいほうを意味し、國際法に基づき、外國公使參朝さんちょうせしむるなど、すべて舊來きゅうらい陋習ろうしゅうたる攘夷說じょういせつはいすべしといふのが、起草者の本意と思はれるが、御誓文の性質上更に廣義こうぎ解釋かいしゃくして本書は前記の義をとる ◯皇基 皇室の基礎。國家のもとゐ ◯未曾有 『らず』の音讀おんどくすなわち昔からえてないこと。觀無量かんむりょう壽經じゅきょうに『歎、郭然大悟』とあり ◯變革 かへあらためる ◯國是 國家の大計たいけい。國家統治の大方針 ◯旨趣 むね、おもむき ◯協心努力 心をあはせつとめはげむ。

【大意謹述】

一、國家の政務は、ひろく會議かいぎを起し、輿論よろん歸向きこうするところにしたがつて決定せよ。

一、かみしもも心を一にして、熱心に國家を治めととのへるやうにせよ。

一、文武ぶんぶかんから庶民しょみんにいたるまで、みな一やうにその望むところを遂げさせて、人の心をましめないやうにせねばならぬ。

一、むかしからのいやしい習慣を破つて、おほやけの正しい道理にもとづいて行動するやうにせよ。

一、知識をひろく世界に求め、おおいに皇室の基礎をふるひ起すやうにせよ。

 わが國にまだ今日こんにちまで、前例のなかつたほどの大きい變革へんかくをしようとするにあたり、ちんづ身を以て國民大衆にさきんじ、天地てんち神明しんめいに誓つて、この國是こくぜ箇條かじょうを定め、萬民ばんみん保全ほぜんの道を立てようとする次第である。それで國民もまた、この趣旨につて力を合せ、つとめはげむやうにせよ。

【備考】明治維新をもつて新日本の黎明れいめいとよびうるならば、この黎明れいめいの空に萬丈ばんじょう光芒こうぼうを放つて居るものは、じつにこの五箇條かじょう御誓文ごせいもんである。明治以來幾多いくたの法令や宣言は、雨のやうにはっせられて居るが、この御誓文ごせいもんほど永い生命をもち、また年と共にその光りをすものは、にその比を見ることが出來ない。じつにこの五箇條かじょう御誓文ごせいもんこそは、日月じつげつと光りをあらそひ、日本國家のあらん限り、へいとして萬古ばんこを照すものである。

 明治元年三月十四日、明治大帝たいていには親しく紫宸殿ししいでんに臨まれ、公卿く げ諸侯しょこうを率ゐて天神てんしん地祇ち ぎをまつり、この國是こくぜを定めて、あまねく天下の億兆おくちょうにこれを誓はれたのである。この御誓文ごせいもんはいするや、有栖川ありすがわ太宰帥だざいのそつ熾仁たるひと親王しんのうには、次の如き奉答文ほうとうぶんそうせられ、ついで三じょう総裁そうさい以下の公卿諸侯これに署名して、闕下かっかたてまつつた。

 勅意ちょくい宏遠こうえんまこともって、感銘かんめいへず。臣等しんらつつしんで叡旨えいし奉戴ほうたいし、ちかひ、黽勉びんべん從事じゅうじねがわくはもって、宸襟しんきんやすんじたてまつらん。と。

 この五箇條かじょう御誓文ごせいもんが、最後の字句の決定をみて發表はっぴょうされるまでには、かなりこみ入つた経緯がある。鳥羽と ば伏見ふしみたたかひに、前將軍慶喜よしのぶは一ぱいにまみれて海路かいろ歸來きらいしたが、天下の形勢はいまだにはかに逆賭ぎゃくとすべからざるものがあり、諸藩しょはんまたいづれも去就きょじゅうに迷ふ狀態じょうたいにあつたので、急速に在京ざいきょうの諸藩を結束して、東征とうせいの歩調を一にするために、朝廷にかいして宣誓せんせいせしむる必要があつた。それには新政府は成立したとはいふものの、まだ兵權へいけん財權ざいけんも無いのであるから、所詮しょせんは諸蕃の擁立ようりつに待たねばならず、さうなると種々しゅじゅ流言りゅうげんが出る。更に當時とうじ朝廷の內部でも、從來じゅうらい地位のいやしかつた岩倉いわくら具視ともよしが、中心人物となつて居るのにたいしても、反感はんかん嫉視しっしするものもあり、かたがた御親征ごしんせい主意しゅいを明らかにし、私心ししんを去つて盟約めいやくせねばならぬといふ必要に迫られてゐた。また一方では、この王政維新にあたり、づ第一に一定の國是こくぜを決め、あまねく天下に發表はっぴょうすべしとの意見も行はれ、各自これを建言けんげんすることとなつた。そのうち參與さんよ三岡みつおか八郞はちろう(後の子爵由利公正)の案としてつたへられて居るのは

 一、庶民こころざし人心じんしんをしてまさらしむるをほっす。

 一、士民しみんこころを一にしてさかん經綸けいりんを行ふを要す。

 一、知識を世界に求めひろ皇基こうき振起しんきすへし。

 一、貢士こうし期限を以て賢才けんさいゆずるへし。

 一、萬機ばんき公論こうろんけっひそかに論するなかれ。

といふのであつた。これにたいして土佐藩から出てつた參與さんよ福岡ふくおか藤次とうじ(後の子爵福岡孝弟)は、更に加筆かひつして次の如き案文あんぶんを作つた。

   會盟

一、官武かんぶ庶民しょみんいたまでそのこころざし人心じんしんをしてまさらしむるをほっす。

一、上下しょうかこころを一にしさかん經綸けいりんを行ふを要す。

一、知識を世界に求め皇基こうき振起しんきすべし。

一、徵士ちょうし期限きげんを以て賢才けんさいゆずるべし。

一、列侯れっこう會議かいぎおこ萬機ばんき公論こうろんけっすべし。

とし、更にこれを

   會盟

一、列侯れっこう會議かいぎおこ萬機ばんき公論こうろんけっすべし。

一、官武かんぶ庶民しょみんいたまでおのおのそのこころざし人心じんしんをしてまさらしむるを欲す。

一、上下しょうかこころを一にしさかん經綸けいりんを行ふべし。

一、智識ちしきを世界に求めおおい皇基こうき振起しんきすべし。

一、徵士ちょうし期限きげんを以て賢才けんさいゆずるべし。

淸書せいしょした。この草案は大體だいたいにおいて當時とうじの有力者の賛成を得て、いよいよ三月十四日公布といふことになつたが、ここに意外な反對はんたい論が出た。それは『右の草案では、至尊しそんが諸侯と施政しせい方針を誓はれるといふことになるから、これは支那し な覇道はどうであつて、わが國體こくたいに反する』といふので、これは岩倉いわくら具視ともよし中山なかやま忠愛ただなりがその主論者であつた。そこで木戸き ど孝允たかすけはそのかん奔走ほんそうして、天子が公卿く げ諸侯しょこうかんを率ゐて天地てんち神明しんめいにお誓ひになるといふことにして反對はんたい論をしずめ、ほその際この草案には、新政府の大方針たる開國かいこくの宣言が無いから、これを加ふることとし、づ表題の『會盟』を『會誓式』とし

   誓

一、列侯會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ。

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ。

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシムルヲ欲ス。

一、舊來ノ陋習ヲ破リ宇内ノ通義ニ從フヘシ。

一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ。

とした。かくて更に字句の修正の結果、つひに發布はっぷの前日すなわち三月十三日正文せいぶんの如く決定、翌十四日、明治めいじ大帝たいていには紫宸殿ししいでん出御しゅつぎょ群臣ぐんしんと共に天地てんち神明しんめいにこれを誓はれたのである。