89 改元の詔 孝明天皇(第百二十一代)

改元かいげんみことのり安政元年十一月 孝明天皇紀)

蓋聞。皇猷得宜。而寰宇又安。則天地表祥瑞之應。庶政不明。而民心疾苦。則陰陽示灾眚之變。嗚呼可不愼哉。朕叨以眇眇之躬。恭託元元之上。自纘鴻業。八閱寒暑。夙夜祇畏。匪遑底寧。然誠不感物。化不覃遠。元氣鬱塞。祝融爲崇。宮闕蕩然。殃逮閭閻。洋夷出沒。腥羶薰騰。邊海不靖。勤勞士夫。加之。六月以來。坤德逆常。近畿地震。餘動及京。于今未息。詳念。咎徵在予一人。思俾導太和。式弭消衆變。宜易冠元之名。普施宥過之澤。其改嘉永七年。爲安政元年。大赦天下。今日昧爽以前大辟以下。罪無輕重。已發覺。未發覺。已結正。未結正。咸皆赦除。但八虐。故殺。謀殺。私鑄錢。强竊二盗。常赦所不原者。不在此限。又復天下今年半徭。老人及僧尼。年百歳以上。給榖四斛。九十以上三斛。八十以上二斛。七十以上一斛。庶幾自今。與物一新。上答天譴。下協人望。六府維修。萬方無虞。布告天下。令知朕意。

【謹譯】けだく、皇猷こうゆうよろしきをて、寰宇かんうまたやすければ、すなわ天地てんち祥瑞しょうずいおうあらはし、庶政しょせいあきらかならずして、民心みんしん疾苦しっくすれば、すなわ陰陽いんよう灾眚さいせいへんしめすと。嗚呼あ あつつしまざるべけんや。ちんみだりに、眇眇びょうびょうもって、うやうやしく元元げんげんうえたくし、鴻業こうぎょうぎしより、八たび寒暑かんしょけみし、夙夜しゅくやつつしみおそれ、やすきをいたすにいとまあらず。しかれどもまことものかんぜず、とおきにおよばず、元氣げんき鬱塞うっそくして、祝融しゅくゆうたたりをなし、宮闕きゅうけつ蕩然とうぜんとして、わざわい閭閻りょえんおよび、洋夷ようい出沒しゅつぼつして、腥羶せいせん薰騰くんとうし、邊海へんかいやすからずして、士夫し ふ勤勞きんろうす。加之しかのみならず、六がつ以來いらい坤德こんとくつねさからひ、近畿きんき地震じしんして、餘動よどうきょうおよいままず。つまびらかにおもんみれば、咎徵きゅうちょうにんり。太和たいかおさめ、もっ衆變しゅうへん弭消びしょうせしめんとおもふ。よろしく冠元かんげんへて、あまね宥過ゆうかたくほどこすべし。嘉永かえいねんあらためて、安政あんせい元年がんねんし、天下てんか大赦たいしゃせよ。今日こんにち昧爽まいそう以前いぜん大辟たいへき以下い かつみ輕重けいちょうく、發覺はっかく發覺はっかく結正けっしょう結正けっしょうことごとゆるのぞけ。ただし八ぎゃく故殺こさつ謀殺ぼうさつ私鑄錢しちゅうせん强竊ごうせつとうにして、常赦じょうしゃゆるさざるところものは、かぎりらず。また天下てんか今年こんねん半徭はんようふくし、老人ろうじんおよ僧尼そうににして、としさい以上いじょうは、こくきゅうすること四こくとし、九十以上は三ごく、八十以上は二こく、七十以上は一こくとせよ。庶幾こいねがわくはいまよりものともに一しんし、かみ天譴てんけんこたへ、しも人望じんぼうかなへ、六府りくふおさまり、萬方ばんぽううれいからんことを。天下てんか布告ふこくして、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯蓋し けだし。おしはかることば ◯皇猷 帝王のみち、天子のはかりごと、皇謨こうぼに同じ ◯寰宇 も共にひろく大なる意。かりて天下・國家をいふ。南史なんしに『聲振、澤流遐裔』とあり ◯祥瑞 めでたきしるし。よききざし。吉兆きっちょう ◯庶政 もろもろのまつりごと ◯疾苦 苛政かせいに民のくるしむをいふ ◯陰陽 えきの語、天地萬物ばんぶつ化育かいくするニようの元氣。詳しくは第四十二の字解欄『陰陽いんよう』の項を參照せよ ◯灾眚 わざはひ。後漢書ごかんじょに『消救、安輯黎元』とあり。さい古字こ じ ◯眇眇之躬 眇身びょうしんに同じく、細小の身といふ謙辭けんじ史記し き皇紀しこうきに『寡人以、興兵誅暴亂』とあり ◯元元 たみ、百姓ひゃくせい戰國策せんごくさくに『制海内、子』とあり ◯鴻業 大いなる事業、帝王の業をいふ。洪業こうぎょうに同じ。後漢書ごかんじょ帝紀しょうていきに『皇帝幼冲、承統』とみゆ ◯纘ぐ つぐ。ぐに同じ。中庸ちゅうように『武王大王王季文王之緒』とあり ◯八閲寒暑 卽位そくい以來八年を過ぎたと仰せられしもの。すなわ孝明こうめい天皇御卽位ごそくい弘化こうか三年(皇紀二五〇六年、丙午)であるから、このみことのりを下されし安政あんせい元年(皇紀二五一四年、甲寅)から起算して八年ぜんあたる ◯夙夜 朝早く起き夜おそくぬること。かりて政治に精勵せいれいするをいふ。詩經しきょう大雅篇たいがへんに『匪懈、以事一人』とあり。一人ひとりは君主の意 ◯元氣鬱塞 萬物ばんぶつの根本の勢氣せいきがむすぼれふさがる ◯祝融爲崇。宮闕蕩然 祝融しゅくゆうは夏の神、てんじて火災をいふ。王宮おうきゅうの正門のかたわらに設けたる二つの物見臺ものみだいで、てんじて宮城きゅうじょうをいふ。めっしてなくなる義。すなわち火災のために皇居が燒失しょうしつせるをいふ。これは安政元年甲寅きのえとら(皇紀二五一四年)四月六日皇宮こうぐう炎上、天皇下鴨社內しもかものやしろない遷御せんぎょ、ついで聖護院宮しょうごいんのみやみゆきされ、同月十二日桂宮かつらのみやを以てかり皇居に定められ、十五日遷幸せんこうせられしを指す ◯閭閻 里中りちゅうの門、てんじてむらざとの賤人せんじんをいふ。史記し き李斯き しでんに『斯以、歷諸侯、入事奏』とあてり ◯洋夷 西洋人をいやしみていふことば ◯腥羶薰騰 西洋人が跳梁ちょうりょう跋扈ばっこする意。はなまぐさきけもので、てんじて肉食する西洋人をののしつていふことば はかをりが盛んにあがることで、はびこる義 ◯邊海靖からず この前年(卽ち嘉永六年、皇紀二五一三年、癸丑)六月十五日、米國使節ペルリの浦賀うらが入港にゅうこう以來、外船がいせんのわが沿海に出沒しゅつぼつするもの殆んど虛月きょげつなく、幕府またしばしばこれを上言じょうげんして、國內騒然たるをく仰せられしもの。すなわち同年(安政元年)九月十八日、露艦ろかん大阪近海にり、ついで同月二十日更に外船がいせん畿內きないの近海にり、國家ようやく多事た じならんとせしを指されしものである ◯坤德 地の萬物ばんぶつを育つるとくをいふ。乾德けんとく(天の德)のたい ◯太和 至正しせい太中たいちゅうの道をいふ。易經えききょうに『各正性命、保合』とあり ◯弭消 とどめなくする ◯冠元之名 元號げんごう年號ねんごうかんするすなわ元號げんごうをいふ ◯宥過之澤 あやまちをゆるし免ずる恩澤おんたく ◯大赦 る種の犯罪にたいする刑罰の執行をゆるすこと ◯昧爽 天まさに明けんとして未だ明けざる時といふ。朝まだき、未明 ◯大辟 最も重き刑罰、死刑をいふ。書經しょきょう呂刑ろけいへんに『疑赦』とあり ◯已發覺・未發覺 すでに發覺はっかくせし罪といまだ發覺はっかくせざる罪 ◯已結正・未結正 すでに結審けっしんされし罪人といまだ結審けっしんされざる罪人 ◯八虐 八種の大罪だいざいすなわ謀反ぼうはん謀大逆ぼうだいぎゃく謀叛ぼうはん惡逆あくぎゃく不道ふどう大不敬だいふけい不孝ふこう不義ふ ぎをいふ ◯故殺 故意にて人を殺す。一の怒りにじょうじて人を殺す如きをいふ。謀殺ぼうさつ(次項參照)のたい ◯謀殺 あらかじめはかつて人を殺すこと ◯私鑄錢 ひそかに錢貨せんか鑄造ちゅうぞうすること ◯常赦 しゃの一、大赦たいしゃよりも範圍はんいせまきもの ◯ えだち。國家の土木工事などに使役しえきせらるる力役りきえきぜい ◯僧尼 比丘尼び く に、あま ◯ 量目りょうもくの名、の十倍すなわち一こくをいふ ◯天譴 天のとがめ ◯人望 衆人しゅうじんのよろこび望むところ。南史なんし江淹傳こうえんでんに『所歸』とあり。輿望よぼうに同じ ◯六府 水・火・金・木・土・こくしょう。また左近さこん衞府え ふ右近うこん衞府え ふ左兵さひょう衞府え ふ右兵うひょう衞府え ふ左衞さ え門府もんふ右衞う え門府もんふといふ。ここでは前者の意か。

【大意謹述】聞くところによれば、天子の政治が正しく行はれて、民安らかに國家が泰平たいへいであれば、天地の間にも自ら祥瑞めでたきしるしが現はれるけれども、もし天子のまつりごとがそのよろしきを得ず、民が苦しみ難儀なんぎすれば、天地のとがめのしるしとして、いろいろのわざはひが起るといふことである。ちん才德さいとくにとぼしき身を以て、つつしんで天子の位に登り、祖宗そそう偉業いぎょうをうけいでからこのかた、もはや八年(弘化三年卽ち皇紀二五〇六年―安政元年卽ち皇紀二五一四年)となり、この間朝は早く起き夜はおそくねて政治にはげみ、ひたすら民利みんり民福みんぷくをはかることに努めて來たのである。しかしながら、まだ朕のまごころが天地てんち神明しんめいに通ぜず、その德化とっかがあまねく國中こくちゅうに及ばないためか、いろいろのわざはひが次から次へと起り、去る本年四月には皇居炎上のために、そのわざはひは洛中らくちゅう洛外らくがいの人民にまでも及び、またこのごろ洋夷よういがしきりに出沒しゅつぼつして、わが國家をうかがひ、國內は騒然として、民をろうすることが少くないのに、その上また去る六月以來、近畿地方地震が起り、その餘動よどうみやこにまでも及び、しかも今日こんにちに至るもまだまない狀態じょうたいである。思ふにこの天地てんち譴責けんせきの罪は、その責め全く朕一人にある。それで至正しせい太中たいちゅうの道をふみ行ひ、陰陽いんようの和合することによつて、もろもろのわざはひを消滅させたいと思ふので、元號げんごうへ、また恩赦おんしゃのめぐみをほどこすであらう。嘉永かえい七年を改めて、安政あんせい元年となし、天下に大赦たいしゃしてそれぞれ罪人を赦免しゃめんするやうにせよ。すなわ今日こんにち夜明け以前の罪は大辟たいへき(死刑)以下、罪の重きとかるきと、あるいはすでに發覺はっかくせるといまだ發覺はっかくせざると、またはすでに結審けっしんせるといまだ結審けっしんせざるとにかかわらず、皆ことごとくゆるし除くやうにせよ。ただし八ぎゃく故殺こさつ謀殺ぼうさつ私鑄錢しちゅうせん强盗ごうとう竊盗せっとうなどの罪で、常赦じょうしゃのゆるさないものは、の限りではない。また今年こんねんえだち賦課ふ かは例年の半分とし、老人や僧尼そうになどで、百歳以上のものには、榖物四こくづつをめぐみあたへ、九十歳以上には三石づつを、八十歳以上には二石づつを、七十歳以上には一石づつを、それぞれめぐみあたへるやうにせよ。そしてこれを機會きかい更始こうししんし、かみ天譴てんけんに答へると共に、しもは人民の輿望よぼうふことが出來て、國は治まり民は安らかに、めぐみあまねき御世み よとなしたいものである。あまねく天下に布告ふこくして、朕のこの意を一般人民に知らせるやうにせよ。

【備考】このみことのりはいして感ぜられることは、當時とうじ天皇あいつぐ內憂ないゆう外患がいかんに、いかに宸襟しんきんなやまさせられたかといふことである。思ふに、古來治亂ちらん盛衰せいすいの例は、史上必ずしも珍らしくないが、天皇御宇ぎょうの如く內外の難問題が一いたつたことは、前古ぜんこいまだ例をみないところである。これをそとにしては、このみことのりにもある通り、外船がいせんあいいでわが沿海をおかして皇國こうこく覬覦き ゆし、うちにしては幕府いたづらに政權せいけんを握るも、囂々ごうごうたる國論を制壓せいあつするに足る實力じつりょく識見しきけんとをもたず、加ふるに昇平しょうへいの久しき、國をげてみな文弱ぶんじゃくに流れ、國外のことの如き當時とうじの國民には夢想むそうすることも出來なかつたのである。この時にあたつて御卽位ごそくいありし孝明こうめい天皇が、あいついで起る內外の諸問題のために、いかに宸襟しんきんなやまされたかといふことは、容易に想像しうるところであらう。

 みことのり中『つまびらかにおもんみれば、咎徵きゅうちょうにんり』と仰せられ、天地てんち譴責けんせきの責任を御一しんを以て負うてられることに就ては、特に一ごんしておかねばならぬ。天皇國難こくなんを以てみずから責めたまふことおん深く、かつて幕府は、うち攘夷じょうい勅命ちょくめいを朝廷にこうむり、そとは開港の督促とくそく洋使ようしに迫られ、しかも微力びりょく一もこれをだんずることができず、ために全く進退にきゅうするに至つたが、當時とうじはしなくも有司ゆうし中には、孝明こうめい天皇聖意せいい確乎かっことして動かしがたいのをたてまつるものがあり、不臣ふしん暴戻ぼうれいにも、ひそかに承久しょうきゅう故事こ じ典例てんれいを探査するのせつつたふるものさへあるに至つた。このことが、たまたま叡聞えいぶんに達するや天皇には『』と仰せられ、爾後じ ご、內外の事情が障碍しょうがいとなつて、聖旨せいしの貫徹困難となるに及び、みずからその不德ふとくの罪にし、しばしば讓位じょういの御決心を股肱ここう朝臣ちょうしんに漏らされたといふことである。國難を以て自らを責めたまふことが、すでにおそれ多き次第であるのに、讓位じょうい以て國家民人みんじんを思はせたまふに至つては、聖德せいとく廣大こうだいしん感泣かんきゅうすべきものがある。王政おうせい復古ふっこ大業たいぎょうは、つひに天皇治世ちせい中には完成しなかつたが、しかしながらそのもといを開かれたのは天皇であつた。後醍醐ごだいご天皇英明えいめいを以てして、建武けんぶ中興ちゅうこうぎょうわづかに成るとともに、再び武臣ぶしん跋扈ばっこきたして、中興ちゅうこうの大業を雲散うんさんせしめたが、明治維新の大業があれほどの成果をげたのは、もとより明治めいじ大帝たいてい御盛德ごせいとくによることはろんをまたないけれども、きに孝明こうめい天皇が、規畫きかく經營けいえいしておしえ後嗣こうしれたまうた御功績ごこうせきを見逃してはならぬ。