87 服御常膳を減じ並に恩赦賑給を行ふの詔 村上天皇(第六十二代)

服御ふくぎょ常膳じょうぜんげんならび恩赦おんしゃ賑給しんきゅうおこなふのみことのり(天曆十年七月 本朝文粹)

儉者德之本也。明王能致。惠者仁之源也。聖朕以寡薄。誤守洪基。居黄屋而不驕。役丹符而自約。而化非春風。澤殊時雨。愼日之日空積。有年之年難逢。況頃者。甘澍不降。苦旱久盛。園圃不見靑草之色。隴陌多含赤地之愁。夫德政防邪。善言招福。殷宗雊鼎之雉。昇耳之妖自消。宋景退舍之星。守心之變。非異。其朕服御物。並常主必施。膳等。宜重省減。左右馬寮秣榖。一切權絕。諸作役非急者。量事且停。又狴圄之中、恐有寃者。速命所司。申慮放出。加之。天下諸國。有水之處。任令百姓灌漑先貧後富。高年鰥寡孤獨。不能自存者。量加賑贍。又免除五畿內七道諸國。去天曆五年以往。調庸未進在民身者。但東海東山山陽三道驛戸田租。限三箇年。殊從原免。若丹誠有感。蒼穹無欺。則降霈澤於不日。望榖稼於如雲。普告遐邇。俾知朕意。

【謹譯】けんとくもとなり。明王めいおういたす。けいじんみなもとなり。聖主せいしゅかならほどこす。ちん寡薄かはくもって、あやまつて洪基こうきまもり、黄屋こうおくしかしておごらず。丹符たんぷえきしてみずかやくす。しかして春風しゅんぷうにあらず、たく時雨じ うことなり、愼日しんじつむなしくつもり、有年ゆうねんとしがたし。いわんや頃者このごろ甘澍かんじゅくだらず、かんくるしむことひさしくさかんにして、園圃えんぽ靑草せいそういろず、隴陌ろうほおお赤地せきちうれいふくむ。德政とくせいじゃふせぎ、善言ぜんげんふくまねく。殷宗いんそうかなえくのきじみみのぼるのようみずかえ、宋景そうけいしゃ退しりぞくのほししんまもるのへんことなるにあらず。ちん服御ふくぎょものならび常膳じょうぜんとうは、よろしくかさねて省減せいげんすべし。左右さゆう馬寮めりょう秣榖まっこくは、一さいかりてよ。しょ作役さくえききゅうあらざるものは、ことはかりてしばらとどめよ。また狴圄へいぎょうちおそらくは寃者えんじゃあらん。すみやかに所司しょしめいじて、おもんばかりべてはないだせ。加之しかのみならず天下てんか諸國しょこくみずるのところは、ほしいまま百姓ひゃくせいをして灌漑かんがいせしめ、ひんさきにし、のちにせよ。高年こうねん鰥寡かんか孤獨こどくにして、自存じそんあたはざるものは、はかりて賑贍しんせんくわへよ。また畿內きない・七どう諸國しょこくいんぬ天曆てんりゃくねん以往いおう調ちょうよう未進みしんたみもの免除めんじょせよ。東海とうかい東山とうさん山陽さんようの三どう驛戸えきこ田租でんそは、三箇年かねんかぎり、こと原免げんめんしたがへ。丹誠たんせいかんずることあり、蒼穹そうきゅうあざむくことくんば、すなわ霈澤はいたく不日ふじつくだし、榖稼こっか如雲じょうんのぞまん。あまね遐邇か じげて、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯ つづまやか、節儉せっけん ◯ 心正しく行ひ善なること、道にかなひ義にしたがふこと。正義、善道ぜんどうをいふ ◯明王 かしこき君主、明君めいくん ◯ めぐみ、恩をほどこす、賑恤しんじゅつすること ◯ いつくしみ、あはれみ、仁愛じんあい ◯聖主 すぐれてかしこき天子、聖天子せいてんし ◯洪基 大業たいぎょうのもとゐ、帝王の事業をいふ。◯黄屋 天子の御車みくるま左纛さとうといふ。てんじて天子のおわす宮殿の義。とは黄色こうしょくの絹で車のおおいを張りしゆえかくよぶ。漢書かんじょ帝紀こうていきに『車設左纛さとう』とあり ◯時雨 ほどよい時に降る雨、めぐみの雨 ◯愼日 つつしみの日、愼獨しんどくの日 ◯有年 五こくみな熟す。は榖物の意、春秋しゅんじゅうせん十六年に『冬大』とあり。有秋ゆうしゅう豐年ほうねんに同じ ◯甘澍 うるほふよき雨。百こくうるほし生ずる時雨じ うはうるほす意 ◯園圃 その、はたけ ◯隴陌 ろうに同じくすなわち田の中の高い所。は田の中のあぜみち、てんじて田の意 ◯殷宗雊鼎之雉 いん高宗こうそう、名は武丁ぶていといふ。史記し き本紀ほんぎに『有飛。登耳而』とあり、また書經しょきょう高宗こうそう肜日ゆうじつへんじょに『高宗祭成湯。有飛。升耳而。』とあるに出づ ◯昇耳 前項引文いんもんを參照せよ ◯宗景退舍之星。守心之變 そう景公けいこうは星のゐどころ、星宿せいしゅく。十八史略しりゃくに『有者、甞以其時』とあり。熒惑星けいわくせい兵亂へいらんちょうを示す星。は星がその宿るべき所にとどまつて動かぬこと。景公けいこう熒惑星けいわくせいわざわいを除くために、天文學者がくしゃたる子韋し い進言しんげんを退けて民を愛せし故事を指されしもの ◯左右馬寮 大寶令たいほうりょうによる官司かんし又はみ、左右二あつて官馬かんめ敎調きょうちょう、馬具及び諸國の牧場ぼくじょう馬政ばせい一般をつかさどつた ◯秣榖 かひば、まぐさ。また馬の飼料に用ひる榖物 ◯權に かりに、一、しばらくの意 ◯作役 えだち、夫役ふえき ◯ 急速に必要なことの意 ◯狴圄 ひとや、牢獄。はもと野犬のいぬで、潜確類書せんかくるいしょに『犴好訟、形獄門上』とあるより、てんじての意に用ふ ◯寃者 無實むじつの罪をこうむれるもの、ぬれぎぬをきせられしもの ◯灌漑 田畑に水をそそぐをいふ、灌沃かんよくに同じ ◯鰥寡孤獨 老いて妻なきを、老いて夫なきを、幼なくして父なきを、老いて子なきをといふ。孟子もうし梁惠王下りょうのけいおうげに『老而無妻鰥、老而無夫寡、老而無子獨、幼而無父孤』とあり ◯自存 自分の力で生存する。自活する ◯賑贍 はめぐみにぎはす。はゆたかに充ち足る。すなわちめぐみみぎはして民をゆたかならしめること ◯五畿 畿內きないこくすなわ山城やましろ・大和・攝津せっつ・和泉・河內をいふ ◯七道 東山とうさん・東海・北陸・山陰・山陽・西海せいかい・南海の七道 ◯天曆五年 皇紀こうき一六一一年辛亥かのといあたり、このみことのりを下されし天曆てんりゃく十年(皇紀一六一六年、丙辰)より五年ぜんあたる ◯以往 その時より前、それより以前 ◯調・庸 屢註るちゅう調は第二十の〔註二〕を、は第四十三の〔註一〕を參照せよ ◯未進 未納に同じ ◯驛戸 驛家うまやをいふ。すなわ驛馬えきば驛船えきせん傳馬てんま等を取り扱ひし家。大寶令たいほうりょうによれば、諸國にえきを置き、驛家うまやの內で家口かこう富み事務にちょうじたものを選んで、各驛に驛長えきおさ一人を置き、えきの事務を總管そうかんせしめ驛田えきでんをもつて驛家うまや資用しように充てた ◯原免 ゆるし免ずる。意 ◯丹誠 まこと、まごころ。赤誠せきせい ◯蒼穹 あをぞら、大空。靑天せいてん蒼空あおぞらに同じ ◯霈澤 めぐみの雨、慈雨じ うをいふ。は雨の盛んに降ること、大雨たいう、豪雨。はめぐみ、なさけ ◯不日 遠からず、近々きんきんのうち、おつつけ ◯榖稼 たなつもの、榖物 ◯如雲 雲のわいたやうに榖物がうづたかく多くとれる意 ◯遐邇 遠きと近きと、あまねく國中こくちゅうにの意。

【大意謹述】節儉せっけんとくのもとであつて、古來明君めいくんのよく守るところであり、まためぐみはじんの源であつて、聖天子せいてんしがつねにほどこきたつたものである。ちん、德うすくさいとぼしき身を以て、あやまつて天子の位にのぼり、祖宗そそう偉業いぎょうをうけついだが、身は九重ここのえの奥にあつても、心は決しておごりたかぶらず、つねにみずかかえりみて節儉つづまやかむねとすべく心がけきたつた。しかしながら朕いまだ未熟にして、民にたいする德化とっか春風しゅんぷうのやうになごやかにきわたらせることも出來ず、まためぐみも慈雨じ う草木そうもくうるおすやうに、あまねく民に及ぼすことは出來ず、おそれつつしんで居るうちに日はむなしくすぎ去つて、豐年ほうねんにもひ得ず、まことに殘念ざんねんな次第である。ことにこのごろひでりがつづいて、久しく雨が降らず、そのや畑にはほとんどあおい草はなく、また田の水は乾き切つて、赤い地肌のあらはれて居るのが、いかにもうれひを含んで居るやうにさへ見られる。思ふに仁德じんとくまつりごと邪惡じゃあくを防ぎ、よき言葉や行ひはしあわせを招くものである。たとへばいん高宗こうそう成湯せいとうを祭つた時、鼎耳ていじにとまつていたといふきじこえに恐れてち行ひをつつしんだためにいんの國が盛んになつたことや、またそう景公けいこうが、熒惑星けいわくせいわざわいを除くための子韋し しげんを退けて民を愛した故事の如きは、いづれもその例である。いま國家は非常の時であるから、朕の衣服いふく調度ちょうどつね御膳おぜんなどは、更にはぶきへらすやうにせよ。左右さゆう馬寮めりょうの馬の飼料かいばは、當分とうぶんの間榖物を使用することは一切禁ぜよ。もろもろのは、急速に必要であるもののほか當分とうぶんやめよ。またひとやにつながれて居るものの中には、おそらくぬれぎぬをせられて、罪なくてごくに投ぜられて居るものもあらうと思はれるので、早速、かかりの役人に命じて公明正大に審理しんりさせ、さやうのものはぐに放免ほうめんしてやるやうにせよ。ほ諸國いづれも、川や池やその水をもつて居るものは、自由に百姓ひゃくせい灌漑かんがいにこれを使用させ、そしてそれにはづ貧乏人をきにし、富者ふしゃはあとまはしにするやうにせよ。また老人や、みよりのないものや、孤兒みなしごなどで、自活することの出來ないものは、それぞれぶんおうじてめぐみたすけるやうにせよ。五畿內きないおよび七どう諸國の民にして、去る天曆てんりゃく五年以前の調ちょうようをまだ納めて居ないものの中で、それを手許てもとにもつて居るものにたいしては、上納じょうのうを免除するやうにせよ。もっとも東海・東山とうさん・山陽三どう驛戸えきこ田租ねんぐは、三ヶ年を限つて免除せよ。かくて朕のまごころが神靈しんれいに通じ、天にいつはりがなかつたならば、おそらく近いうちにめぐみの慈雨じ うが降り、秋のとりいれどきには、うづたかく積みあげられた收穫しゅうかくを、みることが出來るであらう。それであまねくこのむねを天下に告げて、朕の意を知らせるやうにせよ。