85 服御を省減するの勅 光孝天皇(第五十八代)

服御ふくぎょ省減せいげんするのみことのり(仁和元年四月 三代實錄)

朕以眇身。猥承鴻緒。膺登用之業。有若馭奔。受光啓之符。无忘履薄。朕綜覈前王。捜羅曩制。唯思宵衣是遵。旰食是勉。躬行慈儉。人臻富庶。而運承澆季。風頽俗弊。帑藏虛耗。經用殷繁。卿士群吏。受祿稍者旣衆。親王源氏。預時服者亦多。計會征入。未供其費。商折見用。殆過其制。夫域中大寶。天下至公。克己惕懷。未知攸濟。豈有百官闕其祿賜。而一人保其羨溢者乎。宜朕之服御。絹綿二色。暫從省減。並依舊例。庶權損上之誠。用存經邦之化。布告遐邇。俾知朕意。

【謹譯】ちんびょうたるもって、みだりに鴻緒こうしょけ、登用とうようわざあたる。はしるをぎょするがごときことあり。光啓こうけいけて、うすきをむをわするることし。ちん前王ぜんおう綜覈そうかくし、曩制のうせい捜羅そうらして、宵衣しょういしたがひ、旰食かんしょくつとめ、みずか慈儉じけんおこなひ、ひと富庶ふしょいたるをおもふ。しかるにうん澆季ぎょうきけ、ふうすたぞくおとろへ、帑藏どぞう虛耗きょこうし、經用けいよう殷繁いんぱんに、卿士けいし群吏ぐんり祿稍ろくしょうくるものすでおおく、親王しんのう源氏げんじ時服じふくあずかるものおおし。征入せいにゅう計會けいかいするに、いまきょうせず。見用けんよう商折しょうせつするに、ほとんどせいぐ。域中いきちゅう大寶たいほうにして、天下てんか至公しこうなり。おのれこころおそれ、いまところらず。百官ひゃっかん祿賜ろくしきて、しかして一人いつじん羨溢せんいつたもつものあらんや。よろしくちん服御ふくぎょ絹綿けんめんしきは、しばら省減せいげんしたがひ、ならび舊例きゅうれいるべし。こいねがわくは損上そんじょうまことはかり、もっ經邦けいほうそんせん。遐邇か じ布告ふこくして、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯眇身 小さいからだ、微々び びたる身。謙遜けんそんことば ◯鴻緒 天下をすぶる大業。洪緒こうしょに同じ、帝王のぎょうをいふ。唐書とうしょ劉蕡傳りゅうふんでんに『庶紹祖宗之』とあり ◯登用之業 天子の位にげ用ひられ給ふ意 ◯馭奔 奔馬ほんめぎょす。あやふきをいふ ◯光啓 文選もんぜん景福けいふく殿賦でんのふに『干東』とあり、ちゅうに『光大、啓開也』とみゆ。すなわち大いにひらく意。に同じ ◯薄きを履む 薄冰はくひょうをふむ。あやふきをいふ ◯前王 まへの世のきみ、前代の天子 ◯綜覈 すべくくり明らかにしらべる。綜核そうかくに同じ ◯曩制 さきの世の制度 ◯捜羅 詳細にしらべあげる。はあみで捕へるやうにのこさず取る意 ◯宵衣旰食 のまだ明けないうちに起きて衣をけ、くれてのち食事をする意、てんじて天子が政務に精勵せいれいせらるるにいふ。唐書とうしょ劉蕡傳りゅうふんでんに『任賢惕厲、詎追三五之遐軌、庶紹祖宗之鴻緒』とあり ◯慈儉 仁慈じんじ節儉せっけん。いつくしみつづまやか ◯富庶 ゆたかにして多いこと ◯澆季 人情風俗が輕薄けいはくになつた世。すえの世。澆世ぎょうせに同じ ◯風頽俗弊 人情や風俗が頽廢たいはい的で衰微すいびせること ◯帑藏 かねぐら ◯虛耗 減じてからになるをいふ ◯經用殷繁 經常けいじょうの費用がはなはだ多いこと ◯卿士 公卿く げさむらいと。すなわち官位ある人 ◯群吏 もろもろの官吏かんり ◯祿稍 祿はふち。儀禮ぎらい聘禮へいれいちゅうに『廩食也』とあり、廩食ひんしょくとはかんから支給される糧食りょうしょくをいふ。すなわちふちまい俸祿米ほうろくまいのこと ◯時服 その時節の服、四季折々の衣服 ◯征入 せい禮記らいき『王制關譏而不』のちゅうに『也』とあり、ぜいをいふ。すなわち稅の收入 ◯計會 金錢きんせん物品の出納すいとうを計算すること。會計かいけいに同じ ◯見用を商折す けんげんようは費用、しょうは計算する、せつだんじ定むること。すなわ現實げんじつに必要な費用を計算して定むる意 ◯域中 あめのした、宇內うだいに同じ。駱賓らくひん王文おうのぶんに『請看今日之、竟是誰家之天下』とあり ◯至公 至つて公平、きはめて公明なること ◯己に克つ 私心を抑へる、克己こっき ◯ おそれつつしむ ◯祿賜 俸祿ほうろく御下賜ご か しもの ◯羨溢 はあまり、餘分よぶんすなわちありあまる意 ◯服御 天子のおもちゐになる衣服いふく調度ちょうど ◯二色 ふたいろ、ニよう ◯省減 はぶきへらす、節減 ◯損上之誠 易經えききょう益卦えきけ彖傳たんでんに『益益下、民說无疆』とあるにる。たみの幸福をはかるために、天子が服御ふくぎょ常膳じょうぜん等をへらして誠意を示したまふ意 ◯經邦之化 邦家ほうか經綸けいりん德化とっか ◯遐邇 遠きと近きと。遠近、國中くにじゅうの意。

【大意謹述】ちん微々び びたる身を以て帝王の大業をうけぎ、天子の位に臨むにあたり、奔馬ほんばぎょするやうにあやふく思ひ、また薄いこおりをふむやうに、びくびくとして恐れつつしみ、つねにあやまちがないやうにと念じて居る。それで祖宗そそう御事蹟ごじせきを詳しくしらべ考へ、また古い制度なども詳細に研究して、よくこれを守り、朝は未明に起きて衣を、夕べは日くれて食事をとり、朕自身は諸事つづまやかにして、民には仁慈じんじまつりごとを行ひ、ひたすら民が富みさかえるやうにと思ひわずらつて居るのである。しかるにいまの世の中の有樣ありさまをみるのに、人情風俗は輕薄けいはくになつて、人々の氣もちは頽廢たいはい的となり、物資は窮乏きゅうぼうして、衰微すいびきょくに達して居る。また國庫こっこはほとんど空虛くうきょとなつて居るのに、しかも經常けいじょうの費は巨額にのぼり、卿士けいしや諸役人にしてかん俸祿ほうろくをうくるものもまた、おびただしいすうに達し、加ふるに親王しんのう源氏げんじにして、時服じふくの支給をうくるものもまたはなはだ多いのである。いま租稅そぜいの收入を計算して、實際じっさいに國家が必要とする諸費用と、これとを對比たいひしてみるのに、支出の方が超過する狀態じょうたいにある。思ふに國中くにじゅうの民は大寶おおみたからであつて、天下のまつりごとはきはめて公明正大でなければならない。この難局にしょするにあたつては、よく自制しておのれち、心をひきしめておそれつつしみ、そして民を救はねばならないのであるが、まだ朕はなすところを知らない有樣ありさまである。物資窮乏きゅうぼうのために、諸官の俸祿ほうろく賜賓たまものとうくやうな場合に、どうして朕一人餘分よぶんのものなどを持つてつてよからうか。それで朕の服御ふくぎょのうち絹綿けんめん二種は、當分とうぶんのあひだこれを節減して、舊例きゅうれいるやうにせよ。そしてしもめぐむためにかみそんずるといふはゆる損上そんじょうまことを示し、以て國家こっか經綸けいりんのよすがとしたいものである。よくこの旨を遠近に布告ふこくして、朕の意を知らせるやうにせよ。

【備考】當時とうじ泰平たいへい久しきに及び、いかに綱紀こうき弛緩しかんし、一般の風習が頽廢たいはい的であつたかといふことは、このみことのりに『うん澆季ぎょうきけ、ふうすたぞくおとろへ』とあるによつても知る事が出來る。すなわ天皇御躬おんみずか絹綿けんめん服御ふくぎょしきを節減せられて『おのれち』云々うんぬんと仰せられたのは、一には費用節減のおん思召おぼしめしもあらせられたのではあるが、また綱紀こうき肅正しゅくせいして、一般の風紀ふうき矯正きょうせいせられんとする深きおん思召おぼしめしのあらせられたことを、見のがしてはならぬ。