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81 疫病の流行を憂念するの詔 文德天皇(第五十五代)

疫病えきびょう流行りゅうこう憂念ゆうねんするのみことのり(仁壽三年四月 文德實錄)

皇王建極布政。貴其順時。聖哲凝規宣風。欲其應節。故能裁成庶物。覆燾之德克隆。光宅八埏。全濟之功斯遠。朕以寡德。忝統鴻基。旰日勿休。乙夜忘寢。非貧四海之富。非念九重之尊。只欲導仁壽。以寘群生。息勞役以安萬姓。而誠款未申。咎徵斯應。皰瘡之疫流行。札瘥之嗟競起。當春夏陽和之時。草木皆有以芽。而吾百姓愁病之人。或阽於死亡。朕之不德。撫育乖方。憂惕之誠。罔知攸濟。

【謹譯】皇王こうおうきょくまつりごとく、ときしたがふをたっとぶ。聖哲せいてつこらし、ふうぶ、せつおうぜんことをほっす。ゆえに、庶物しょぶつ裁成さいせいして、覆燾ふくとうとくさかんに、八えん光宅こうたくして、全濟ぜんさいこうこことおし。ちん寡德かとくもって、かたじけな鴻基こうきべ、旰日かんじつやすむることなく、乙夜いつやぬることをわする。四かいとみむさぼるにあらず。九重ここのえとうときをおもふにあらず、仁壽じんじゅみちびきてもっ群生ぐんせいき、勞役ろうえきやすめてもっ萬姓ばんせいやすんぜんことをほっするなり。しかるに誠款せいかんいまべず、咎徵きゅうちょうおうじ、皰瘡ほうそうえき流行りゅうこうし、札瘥さっさなげきそおこる。春夏しゅんか陽和ようわときあたり、草木そうもくみなもっぐむあり。しかるに百姓ひゃくせい愁病しゅうびょうひとあるい死亡しぼうつ。ちん不德ふとく撫育ぶいくほうそむき、憂惕ゆうてきまことところることなし。

【字句謹解】◯皇王 すめらぎ、君主、天子 ◯極を建つ しんばしらを立てる、正しき政道せいどう大本たいほんをたてる。きょくは最も正しい道、大中至正だいちゅうしせい公道こうどうをいふ ◯聖哲 ひじり、きはめてかしこい人、賢明な人、左傳さでんに『猶求之上』とあり ◯規を凝す おきてをさだめる、規則を制定する ◯風を宣ぶ 風敎ふうきょうひろめる、敎化きょうかを明らかにする ◯ ほどあひ、のり、さだめ ◯庶物 諸物しょぶつ萬物ばんぶつに同じ、いろいろのもの ◯裁成 成就じょうじゅする、なしとげる ◯覆燾 もともにおおふ義。とうとうに同じく物をおほふこと。中庸ちゅうように『辟如天地之無不持載、無不』とあり ◯八埏 國土の八ぽうの限りをいふ、八さい・八こんに同じ。淮南子えなんじ地形篇ちけいへんに『九州之外乃有』とあり。また文選もんぜん封禪文ふうぜんぶんちゅうに『埏地之八際也』とあり、八ぽうと同義。は原本に作るも六國史りくこくしその他諸本によって改む ◯光宅 光りのあまねきが如くくまなくてりかがやく。おおいに、意で大いに及んで居る義 ◯全濟 全活ぜんかつ賙救しゅうきゅうすなわめぐみ救つて身をまっとうせしめ、安全に生活させる義。南史なんし劉善明傳りゅうぜんめいのでんに出づる語。◯寡德 德すくなき義 ◯忝く うやうやしく、謙遜けんそんのことば ◯鴻基 大きな事業のもとゐ、洪基こうき丕基ひ きに同じ。帝王のぎょうをいふ 隋書ずいしょ地理志ち り しに『式固』とあり ◯旰日 かんは日がくれること。左傳さでん十四年のちゅうに『也』とあり ◯乙夜 漢代かんだいの制によれば、一こうおつへいていに五ぶんして五(五更)といふ。乙夜いつやは二こうすなわち今の午後十時にあたり、天子がまつりごとを終へて讀書どくしょあらせらるる時刻 ◯四海の富 四かいはよもの海、てんじて國中こくちゅうの意。すなわ國中こくちゅうとみをいふ。中庸ちゅうように『之內』とあり ◯仁壽 仁政じんせいいて民を安らかに長生きさせる義。論語ろんご雍也篇ようやへんの『』に出でし語。◯群生 むらがり生ずる、てんじて人民の意。漢書かんじょ帝紀せんていきに『養育』とあり ◯寘く おさまれる、とめおく ◯勞役 ぶやく、えだち、苦役くえき ◯萬姓 百姓ひゃくせいに同じ、ひろく一般國民をいふ ◯誠款 まこと、まごころ、親切 ◯咎徵 とがめのしるし、譴責けんせきするための兆候ちょうこう、わざはひのきざし ◯皰瘡 疱瘡ほうそうをいふ。てんねんとう。もと印度いんど地方に起りひろく世界に蔓延まんえんせし傳染病でんせんびょう惡寒おかん發熱はつねつ前驅ぜんくとし、主として顏面に發疹はっしんを生じ、その表面水疱すいほうを以ておおはるるに至りして膿疱のうほうとなる。通常八日間をて乾燥し、痂皮か ひ脫落だつらく永く瘢痕はんこんのこす。わが國にても古來猛威をたくましくせし疾病しっぺいであるが、種痘法しゅとうほう發見はっけんによつて、完全に豫防よぼうせらるるに至つた ◯札瘥 やみわづらつて死ぬこと。疫病はやりやまいにかかつて死ぬをいふ、やまいに同じ。周語しゅうごに『無夭昬之憂』とあり ◯陽和之時 のどかな時節。王維詩おういのしに『是時節』とあり ◯愁病 うれひやむ、病みかなしむ ◯阽於死亡 漢書かんじょ帝紀ぶんていきに出でし語で、ちゅうに『阽近邊欲墮之意』とあり、すなわち今まさに死なうとして居る、きはめてあやふきこと。つる意 ◯不德 德がない、また德にそむく意。史記し き皇紀しこうきに『以重吾』とあり ◯撫育の方 民をいつくしみ育てる方法 ◯憂惕 うれひおそる、うれひつつしむ。はおそれ、つつしむ意 ◯ ところ、助語じょごに同じ。

【大意謹述】天子が天下の政道せいどうを立ててまつりごとくにあたつては、その時勢に適應てきおうした制度をたてて政治を行ふことが、最も肝要かんようである。古來聖人や哲人が、法規を制定し、風敎ふうきょうぶるにあたつて、つねにその時勢に順應じゅんおうすべく努力して居るのは、そのためである。それでいにしへの明君めいくんの世には、萬物ばんぶつなごやかに成長し、その德は一をおほひ、その恩威おんいはあまねく國中こくちゅうきわたり、民はそのやすんじて、國家は安らかに治つたのである。朕德すくなき身を以て天子の位にのぼり、うやうやしく祖先の偉業いぎょうをうけついでからこのかたひるは陽が暮れても休まず、夜は二こうになつてもぬることを忘れるほどに、政治にいそしみはげんで來たのであるが、これは朕が四かいとみむさぼるためでもなければ、また朕ひとりの榮華えいがねがふためでもなく、ただ仁政じんせいいてながく民の幸福をはかり、なるべくえだちのろうを少くして民力を休養させ、天下を泰平たいへいにしたいとねがうたがためであつた。しかるにまだ朕のまごころが天に通ぜず、天地あめつちとがめのしるしか、このごろ皰瘡ほうそうやまいがしきりに流行して、あつちでもこつちでも、このはやりやまひのために死亡したといふなげきのこえを聞くのは、まことに悲しき次第である。時はちやうど晩春・初夏ののどかな時節で、草も木も生き生きとして芽を出して居る好時節であるのに、民にかやうな苦しみをさせるのは、みな朕の不德ふとくの致すところであつて、民にたいしてあいすまぬと思ひ、深くうれひつつしみ、どうしたらよいかわからぬほどである。

【備考】文德もんとく實錄じつろく(第五卷、仁壽三年四月丙戌二十六日の條)によれば、天皇はこの咎徵きゅうちょうを除き、民の病苦びょうくを救ふために、常赦じょうしゃれいを下して、この日(四月二十六日)昧爽まいそう以前の罪は、八ぎゃく及び大罪だいざいを除きことごと赦除しゃじょせられ、また承和しょうわ十年以降の調ちょうようの未納の分を免じ、貧窶ひんく疾病しっぺいのもの賑恤しんじゅつしてられる。當時とうじいかに皰瘡ほうそう猖獗しょうけつをきはめてゐたかといふことは、同書四月のくだり

 ◯甲戌きのえいぬの十四日、大內記だいないきじゅ位下いのげ和氣朝臣わけのあそん貞臣さだおみ皰瘡ほうそうわずらかんそっす。時にとし三十七、時人じじんこれおしめり。

 ◯戊寅つちのえとらの十八日、无品むほん成康なりやす親王しんのう皰瘡ほうそうわずらひに耐へず、遂に殞逝いんせいせらる。

 ◯乙酉きのととりの二十五日、皰瘡ほうそう染行せんこうし、人民疫死えきしするを以て、賀茂か もさいとどむ。

等の記述あるをみても知ることが出來る。