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75 飢疫賑給の詔 仁明天皇(第五十四代)

飢疫きえき賑給しんきゅうみことのり(天長十年五月 續日本後紀

夫一榖不贍。百姓不嗛。必遵救乏之典。兼明勸穡之義。是則救瘼恤隱。固本厚生。雖沿革有時。而斯塗莫爽者也。朕虔膺明命。撫字黔黎。思脩和平之猷。以登仁壽之域。如聞。諸國去年榖稼頗乖豐稔。今茲元元阻飢且疫。朕爲之司牧。未克綏之。靖言念焉。撫然何弭。況小暑甫至。藝殖鼎盛。不有矜情。恐失肆力。宜京畿七道諸國飢民。量加賑給。令獲支濟。事委守宰。必也審察。務崇簡惠。允副朕意。

【謹譯】れ一こくらざれば、百姓ひゃくせいあきたらず、かなら救乏きゅうぼうてんしたがひ、ねて勸穡かんしょくあきらかにす。すなわばくすくひ、いんあわれみ、もとかたくし、せいあつくするなり。沿革えんかくときありといえども、しかみちたがふこときものなり。ちんつつしみて明命めいめいけ、黔黎けんれい撫字ぶ じし、和平わへいはかりごとおさめ、もっ仁壽じんじゅいきのぼらんことをおもふ。くならく、諸國しょこく去年きょねん榖稼こっかすこぶ豐稔ほうねんそむき、今茲ことし元元げんげんうえなややまいすと。ちんこれ司牧しぼくり、いまこれやすんずることあたはず。しずかにこここれおもひ、撫然ぶぜんたることなんまん。いわんや小暑しょうしょはじめていたり、藝殖げいしょくまささかんなり。矜情きょうじょうらずんば、おそらくは肆力しりょくうしなはん。よろしく京畿けいき・七どう諸國しょこく飢民きみんに、賑給しんきゅうはかくわへ、支濟しさいしむべし。こと守宰しゅさいまかす。かならずやつまびらかさっし、つとめて簡惠かんけいとうとび、まことちんへよ。

【字句謹解】◯一榖 五こくのうちの一こくをいふ ◯贍る みち足る、充分にある ◯嗛らず けんに通ず、あきたらない、滿足まんぞくできない ◯救乏 貧乏なものを救ふ ◯勸穡 農業をすすめはげます義。收穫とりいれをいふ、てんじて農業の意。文選もんぜん籍田賦せきでんのふに『以足百姓、所以固本也』とあり ◯瘼を救ひ隱を恤む やまいつうの意。すなわち病になやうれふるものを救恤きゅうじゅつすること ◯固本厚生 書經しょきょう子之歌し し かに『民惟邦、本邦寧』とあり、また文選もんぜんの『所以也』に就ては、この欄『』の項を參照せよ。次には、書經しょきょう大禹謨だいう ぼに『正德利用、惟和』とあり、ぜいかるくし衣食ゆたかに、民のくらしをてあつくすること。きぬさむさをしのぎ、肉を食つてからだを養ふ如きをいふ。全體ぜんたいの意は國のもとである人民の生活を、安定にし鞏固きょうこならしむる意 ◯沿革 うつりかはり、へんせん ◯明命 書經しょきょう太甲上たいこうじょうに『顧諟天之』とあり、天の命令の意 ◯黔黎 もろもろのたみ、黔庶けんしょ黔首けんしゅに同じ ◯撫字 なでいつくしむ。愛育あいいくする意 ◯脩和平之猷。以登仁壽之域 詩經しきょう小雅しょうが伐木ばっぼくしょうに『神之聽之、終』とあり。また漢書かんじょ禮樂志れいがくしに『驅一世之民、濟』とある。民心を平和ならしむるためのはかりごとおさめ、また人民を幸福にして長くじゅを保つ境涯きょうがいに置いてやりたいものであるとの意 ◯榖稼 いねを植ゑること、てんじて稻榖とうこくをいふ。榖物。たなつもの。◯豐稔 ゆたかにみのる。豐作ほうさく豐登ほうとに同じ ◯元元 人民をいふ ◯司牧 民をやしなひ治めるつかさ、君主をいふ。左傳襄さでんじょう十四年に『天生民而立之君、使之』とあり ◯撫然 いたく感じてぼんやりするさま ◯小暑 季節の名、二十四の一で陽曆ようれきの七月七日ごろにあたる、夏至の次の季節 ◯藝殖 種まき植つけをいふ ◯矜情 あはれみの情 ◯肆力 爾雅じ がじょに『極力也』とあり、すなわち力をつくすこと。盡力じんりょく ◯京畿 京師けいし畿內きない五國 ◯七道 東海・東山とうさん・北陸・山陰・山陽・南海・西海せいかいの七どう ◯賑給 にぎはしあたへる、めぐみきゅうする ◯守宰 國司こくしをいふ。ほ國司に就ては第二十一の〔註一〕を參照せよ ◯簡惠 えらびめぐむ。

【大意謹述】凶作のために、もし五こくのうちの一こくが不足しても、民は安心し滿足まんぞくすることは出來ない。それであるから、つねに貧乏なものを助け救ふのりを考へ守り、同時にまた農業を奬勵しょうれいする理由を明らかにして置かねばならぬ。さうすればこれが、病苦びょうくになやむものをすくひ、國家のもとを固くし、また民の生活を安定ならしむる基礎となるのである。古來歷史の沿革は、時によつていろいろ變遷へんせんがあるが、このことだけは古來一貫して、少しもたがふところはない。ちん、天命をうけてつつしんで帝位にき、國政こくせいを親しくするにあたつて、つねに思ふことは、民をいつくしめぐみ、民心みんしんを平和ならしむるためのはかりごとおさめ、また人民を幸福にして長くよわいを保つことのできる境涯きょうがいに置くやうにしたいものであるといふことである。しかるに聞くところによれば、昨年は諸國いづれも凶作で榖物がみのらず、今年は民がうえになやみ、その上にまたはやりやまひに苦しまされて居るものも多いといふことである。朕天子として民に臨んでりながら、今日こんにちにいたるも未だ民を安心させることが出來ず、しずかにそれを考へると、憮然ぶぜんとしてげかずにはれないほどである。ことにもはや今年も小暑しょうしょの季節となり、各地とも今が田植の最中である。この時節に民を救はなければ、あるいは民の働く力を失はせる結果になるかも知れない。それで京師けいし畿內きないおよび七どう諸國の飢民きみんに、あまねく惠みをほどこし、各自のぶんおうじて、生活が出來る程度に惠みあたへよ。實施じっし上の細目さいもくに就ては、それぞれ諸國の國司こくしに委任するから、よくじょうを調べて、應分おうぶん賑恤しんじゅつを加へ、朕の意にふやうにせよ。