72 禮服著用を停むるの詔 淳和天皇(第五十三代)

禮服れいふく著用ちゃくようとどむるのみことのり(弘仁十四年十二月 類聚國史)

古之王者。受命膺籙。文質相變。損益不同。興風致治。垂範彝訓。通之古今。其揆一也。頃者陰陽錯謬。旱疫更侵。年榖不登。黎甿殘耗。朕運鍾寶曆。嗣奉洪基。永思善政。已忘寢食。昔卑宮創構。只爲三等之階。露臺將營。猶愛十家之產。興言遠想。載懷景行。夫濟世之道。不可守株。隨時之宜。豈合膠柱。今欲要救流俗。勤恤民隱。公卿宜各陳所思。以匡不逮。靡有隱諱。其時世澆醨。邦國顚瘁。禮服難辨。多闕朝賀。凶年之閒。欲停著用。亦宜議定奏之。

【謹譯】いにしえ王者おうしゃめいろくあたり、文質ぶんしつあいへんじ、損益そんえきおなじからず。ふうおこし、いたし、はん彝訓いくんる。これ古今ここんつうじて、一なり。頃者このごろ陰陽いんよう錯謬さくびょうし、旱疫かんえきこもごもおかして、年榖ねんこくみのらず、黎甿れいぼう殘耗ざんこうす。ちんうん寶曆ほうれきあたり、ぎて洪基こうきほうじ、なが善政ぜんせいおもひ、すで寢食しんしょくわする。むかし卑宮ひきゅう創構そうこうは、だ三とうかいたり。露臺ろだいまさいとなまんとして、ほ十さんおしめり。ちてここはるかにかえりみて、すなわ景行けいこうおもふ。すくふのみちは、守株しゅしゅからず。ときよろしきにしたがひ、膠柱こうちゅうすべけんや。いまかなら流俗りゅうぞくすくひ、つとめてたみくるしみをめぐまんとほっす。公卿こうけいよろしくおのおのおもところべ、もっおよばざるをただし、隱諱いんいあることなかるべし。時世じせい澆醨ぎょうり邦國ほうこく顚瘁てんすいして、禮服れいふくべんがたく、おお朝賀ちょうがく。凶年きょうねんあいだ著用ちゃくようとどめんとほっす。よろしく議定ぎじょうしてこれそうすべし。

【字句謹解】◯ 天の命令、天命 ◯膺籙 ろく天神てんじん策命さくめいようあたる、あたり引きうける。張衡ちょうこう東京賦とうけいのふの『高祖受圖』の語に出づ ◯文質 あやときぢ、あやきぢの意。論語ろんご雍也ようやへんに『彬彬、然後君子』とあり ◯ をしへ、風敎ふうきょう。又ならはし、風習。禮記らいき樂器がっきへんに『移易俗、天下皆寧』とあり ◯ 天下がよく治まること ◯ てほん、模範 ◯彝訓 五じょうの道をといふ。のり、人の守るべきつねの道。すなわち五じょうの道のをしへ ◯古今 いにしへといま ◯揆一 はみち、道、のり。すなわちその道がみな同一の意。孟子もうし離婁りろうへんに『先聖後聖、其也』とあり ◯陰陽錯謬 天候時節が不順なる意。に就ては第四十二の字解欄に詳說しあり ◯旱疫 ひでりとはやりやまひ。旱魃かんばつ疫疾えきしつ ◯年榖 一年に一かいみのる榖物、いねをいふ ◯黎甿 田民でんみん、農民、農夫、田野でんやの民。甿庶ぼうしょに同じ ◯殘耗 むごたらしく衰亡すいぼうする ◯ 天よりうけし命數めいすう運祚うんその意。北史ほくし周武しゅうぶていに『當澆季、思復古始』とあり ◯寶曆 天子となるべき運命、天子たるべきまはりあはせ ◯鐘り あたりに同じ ◯洪基 大業たいぎょうのもとゐ、帝王の事業のもと。隋圜ずいかん丘歌きゅうかに『惟求、福祚長隆』とあり ◯寢食を忘る 政治に熱中して、ねむることやたべることをも忘るる義 ◯露臺將營。猶愛十家之產 露臺ろだいは屋根のなきうてな。支那し な文帝ぶんてい露臺ろだいを作らうとして工匠こうしょうに値段を聞いたところが百きんと答へたので『百きん中人ちゅうじんさんなり』といつて工事を思ひとどまつた故事を指す。すなわ漢書かんじょ帝紀ぶんていきさんに『帝嘗欲作、召匠計之、直百金。上曰、百金、中人也。吾奉先帝宮室、常恐羞之、何以臺爲』とあり ◯興言 こう興起こうきの義でふるひ起ること、奮起ふんきすなわち奮起しての意。げんはここにとくんず ◯景行を懷ふ 景行けいこう天皇筑紫つくし熊襲くまそを征伐するために親しく兵を九州地方に進められ、前後八年間(皇紀七四二年―七四九年)、豐前・日向・大隅筑後等の諸國に轉戰てんせんして、軍旅ぐんりょの間につぶさに艱苦かんくをなめられしをおもふといはれしもの。はなつかしく思ふこと ◯守株 何時い つまでも舊習きゅうしゅうを守つて、變通へんつうを知らないものをあざけつていふ語。むかしそうに一農夫あり、たまたまうさぎかぶにふれて死んだのを見、耕作をめてもっぱら株を守り、た兎を得ようと欲して、世の笑草わらいぐさとなつた故事に出づ ◯膠柱 變通へんつうの才なきにたとへし語。史記し きの『而鼔瑟』すなわ琴柱ことじにかわしてことくの語に出づ。琴柱ことじにかわづけにしたのでは、自由なおんが出ないことから、てんじて變通へんつうの才なきにたとふ。史記し き藺相如りんしょうじょでんに『王以名使括、若而鼔瑟耳』とあり。かつ趙括ちょうかつ老子ろうしには調に作る ◯流俗 世俗せぞくの人、俗人ぞくじんの意。成公綏せいこうずい嘯賦しょうぶに『愍未悟、獨超然而先覺』とあり ◯ くるしみ。窮乏きゅうぼうして困れること、に同じ ◯恤む めぐみほどこす ◯公卿 こう執政しっせいの大臣、けいは八しょうの長官 ◯不逮 及ばすに同じ。智德ちとく足らざる義。論語ろんご里仁りじんへんに『恥身之也』とあり ◯匡す 正しをさめる、匡正きょうせいする ◯隱諱 みかくすこと ◯澆醨 ぎょうはうすし、かろがろし。もうすき意、厚きをじゅんといひ、うすきをといふ。すなわち人情風俗のうすく輕薄けいはくになりし義 ◯邦國顚瘁 てんはふさがる、閉塞へいそくの意、すいはおとろへ、衰微すいびする。すなわち國家の進運しんうんがふさがり衰微すいびすること ◯辨ず 辨別べんべつする、區別くべつする ◯朝賀 正月元旦辰刻たつのこくに、天皇大極殿だいごくでん出御しゅつぎょして行はれし公事こうじをいふ。群臣ぐんしんみな禮服れいふくちゃくしてその位に列し、天皇高御座たかみくらにつかれるや、侍從じじゅう宣命せんみょうせんして、群臣再拜さいはい奏賀者そうがしゃ拜禮はいれいむねそうし、奏瑞者そうずいしゃ諸國の嘉瑞かずい奏上そうじょう、群臣再拜さいはい、つぎに舞踏、武官ぶかん旗をふつて萬歳ばんざいをとなへ、めでたく儀式を終り、式後群臣を豐樂殿ぶがくでんして、えんたまふを例とした ◯凶年 榖物のみのらぬ年、不作の年 ◯議定 評議して定めること。

【大意謹述】いにしへの王は、天命によつて王位にくや、風敎ふうきょうをさかんにしてよき政治を布き、文化をすすめて民の幸福をはかり、身をもつて五じょうの道をおしへ示してられるが、このことは今も昔も、全く同じである。しかるにこのごろ、とかく天候時節が不調で、ひでりやはやりやまひなどがつづき、榖物はみのらず、田畑は荒れはて、農民はこまり苦しんで居るといふことである。ちん、天子として民に臨み、皇統こうとうをうけつぐにあたり、つねに民のことを憂へ、ながく善政ぜんせいを布かねばならぬと思ひ、ねむることや食べることさへも忘れるほどである。聞くところによれば、むかし卑宮ひきゅうの構造は、わづかにきざはしが三階あつたにすぎないといふし、また文帝ぶんていは、露臺ろだいを作らうとしてあたひ百きんと聞くや『百きん中人ちゅうじんさんあたるから勿體もったいない』といつて、工事を思ひとどまり、民をめぐんだといふことである。遠く景行けいこう天皇熊襲くまそ親征しんせいの途上、八年のながきにわたり、軍旅ぐんりょの間に艱苦かんくをなめられたが、これ等のことを思へば、諸事簡素にして、民をあいしいつくしまねばならぬ。一たい、世を救ふ道は、いたずらに古い制度を盲目的に守ることではなく、その時勢じせい々々におうじた制度をたてて、よい政治を布くところにある。それで朕はいま、時勢に適應てきおうした制をたてて、世をめぐみ救ひ、民の苦しみを除きたいと思ふ。執政の大臣や八しょうの長官は、よく朕の旨をたいし、各自思ふところを率直に述べて、朕の足らないところを補ひ正し、決してみかくしたり、遠慮したりするやうなことがあつてはならぬ。今の時勢をみるに、人情風俗がうすく輕薄けいはくとなり、國家は衰微すいびして、役人の如きも禮服れいふくを持たないために、朝賀ちょうがくものが少くないといふ有樣ありさまである。それで凶年の間は、禮服れいふく著用ちゃくようをとどめたいと思ふ。これに就て諸官はよく評議決定して、その意見を奏上そうじょうせよ。

【備考】このみことのりは『類聚國史るいじゅうこくし第七十一卷、歳時さいじ二、元日朝賀ちょうが淳和じゅんな天皇弘仁こうにん十四年十二月甲申きのえさるの四日』のくだりするところであるが、これにたいし、同月壬辰みずのえたつの十二日のくだりに、の如き公卿こうけい答申とうしんせられて居る。

 十二月壬辰みずのえたつの十二日、公卿こうけい覆奏ふくそうしていわく『(前略)禮服れいふくみことのりり停止す。ただし皇太子、及び參議さんぎ參議さんぎ以上ならびに職掌しょくしょうを預かる人は、きゅうに依りちゃくせしめられよ』と。

 ほこのみことのりにおいて天皇が『れ世をすくふの道は、守株しゅしゅからず。時のよろしきにしたがひ、膠柱こうちゅうすべけんや』と仰せられてるのは、神武じんむ天皇建國けんこく詔勅しょうちょくにおいて『大人たいじんの制を立つるや、必ず時にしたがふ。いやしくも民にするあらば、何ぞ聖造ひじりのわざたるをさまたげんや』と仰せられたのと全く同義で、立法の精神せいしんとして、これを近代的にみるも、きはめて進歩的な御思想と申し上ぐべきである。日本皇道こうどう精神せいしんは、決してたんなる懷古かいこ的・固定的のものではなく、時勢の進運しんうんにつれて、つねに日々これあらたなるものであることを、これにつて知るべきである。