70 諸國の吏を責むるの勅 嵯峨天皇(第五十二代)

諸國しょこくむるのみことのり(弘仁四年五月 類聚國史)

治國之要。在於富民。民有其蓄。凶年是防。故禹水九年。人無飢色。湯旱七歳。民不失業。今諸國之吏。深乖委寄。或差役失時。妨廢農要。或專事侵漁。無心撫字。因此黎元失業。飢饉自隨。非緣灾祲。常告民飢。仍年年賑給。倉廩殆罄。儻有灾害。何以相濟。不治之弊。一至於此。宜自今以後。非有田業損害。及有疾疫等。不得輒請賑給。

【謹譯】治國ちこくようは、たみますにあり。たみたくわへあれば、凶年きょうねんふせぐ。ゆえみずねんにして、ひと飢色きしょくなく、とうひでりさいにして、たみわざうしなはず。このご諸國しょこくふか委寄い きそむき、あるい差役さえきときうしなひて、農要のうよう妨廢ぼうはいし、あるいもっぱ侵漁しんぎょこととして、撫字ぶ じこころなし。これりて、黎元れいげんわざうしなひ、飢饉ききんおのずかしたがふ。灾祲さいしんるにあらずして、つねたみうえぐ。りて年々ねんねん賑給しんきゅうして、倉廩そうりんほとんどく。灾害さいがいあらば、なにもってかあいすくはんや。おさめざるのへい、一にここいたる。よろしくいまより以後い ご田業でんぎょう損害そんがいあり、およ疾疫しつえきとうあるにあらざれば、たやす賑給しんきゅうふことをざらしむべし。

【字句謹解】◯治國の要 國を治める要訣ようけつ ◯凶年 榖物のみのらない年、不作の年 ◯禹水九年 せい、名は文命ぶんめい顓頊せんぎょくの孫にして父をこんと呼んだ。ぎょうの時、洪水あり、しゅんその位をせっするに及び、用ひられてみずを治め、そとに在ること八年、家門かもんを過ぎても家にらず、つひに治績ちせき大いにあがり、國を分ちて九州とし、五ふくの制を定め後世ながく地方行政分劃ぶんかくそくとなつた ◯飢色 食に飢ゑたるやうな顏いろ ◯湯旱七歳 とうとはしょう成湯帝せいとうていをいふ。名はせつの子孫十でんして天乙てんいつすなわとうに至る。河南省かなんしょうはくり、德を積み民心みんしんす。かつて旱魃かんばつつづくこと七年に及んだが、施政しせいよろしきを得て民業みんぎょうめっせず、世あおぎてその德をしょうす ◯委寄 まかせたのむ、委託・委囑いしょくに同じ ◯差役 ぶやくをさしづすること、指圖さしず・指揮 ◯農要 農業のもと ◯妨廢 さまたげてすたれさす、妨害して荒廢こうはいさせる ◯侵漁 れふしがうおとらふるやうに、次第に他人の物ををかし取るをいふ。漢書かんじょ帝紀せんていきに『欲無百姓、難矣』とあり ◯撫字 はなでやすんじ、あいしいたはること。はいつくしみ育てること。すなわちなでいつくしむ義。後漢書ごかんじょに『穆姜慈愛溫仁、益隆』とあり ◯黎元 もろもろの民、黎庶れいしょに同じ ◯飢饉 不作のため一般に食物の缺乏けつぼうするをいふ ◯灾祲 わざはひ。さいは自然に生ずるわざはひ。しんはわざはひをひき起すしき氣、妖氛ようふんの義 ◯賑給 にぎはし支給する、めぐみきゅうする ◯倉廩 こめぐら ◯罄く むなしくなる。なくなる、くに同じ ◯疾疫 はやりやまひ ◯輒く たやすく、容易に。おう陽修ようしゅう春秋論しゅんじゅうろんに『旣加之、又殺之』とあり。

【大意謹述】國を治むる要訣ようけつは、民をませることにある。民が富みさかえて、家々にたくわへがあつたならば、凶年にも困らなくてすむであらう。むかし、支那し なぎょうしゅんていつかへ、洪水九年に及んだが民にうえを知らしめず、またしょう成湯帝せいとうていはひでりが七年もつづいたが、民の業務を失はしめなかつたといふことである。これ等はいづれも民富み施政しせいよろしきを得たからである。しかるに、近來諸國の役人の行動をみるに、ちんの委託にそむくものが多く、あるいはぶやくの指圖さしず適當てきとうでないために、農業をさまたげたり、或は人民を苦しめて、ひたすら自己の私腹を肥やし、民をいつくしみ育てる心をもたないもの等が多いやうである。それで人民は家業を失ひ、したがつてまた飢饉ききんが多いのである。別に天候も惡くなく、天地のわざはひもないのに、近年つねに民がうえを訴へて居るのは、全く諸國役人の政治・指導がそのよろしきを得ない結果で、かくて毎年毎年、窮民きゅうみんにめぐみあたへて來たために、もはや倉廩こめぐらはからになつてしまつて居る有樣ありさまである。いまもし不慮の天災のために、民がうえに苦しむやうなことでも起つたならば、どうして民を救ふことが出來ようか、まことに心細い次第である。全く惡政あくせいの結果、ここに至つたもので、深く今後をいましめねばならぬ。それで今後は、わざはひのために農事のうじに被害のあつた場合か、或は流行病などの起つた場合のほかは、たやすく賑給しんきゅう請願せいがんをすることが出來ないやうにせよ。