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68 正稅を貸すの勅 平城天皇(第五十一代)

正稅せいぜいすのみことのり(大同元年五月 日本後紀

今聞。頻年不登。民食惟乏。雖出擧公稻。而猶多阻飢。因茲。私託民間。更事乞貸。報償之時。息利兼倍。遂使富强之輩。膏粱有餘。貧弊之家。糟糠不厭。宜貸正稅。濟彼絕乏。須差使實錄貧人。結保給之。若有亡者。令保內塡其情渉愛懀。退弱進强。及補塡未納。兼收私債者。發覺之日。必處重科。待民稍給。乃從停止。

【謹譯】このごくならく、頻年ひんねんみのらずして、たみしょくとぼしく、公稻こうとう出擧すいこすといえども、しかおおうえなやむ。これつて、ひそか民間みんかんたくし、さら乞貸きったいこととし、報償ほうしょうとき息利そくりばいし、つい富强ふきょうやからをして、膏粱こうりょうあまりあり、貧弊ひんぺいいえをして、糟糠そうこうだもかざらしむと。よろしく正稅せいぜいし、絕乏ぜつぼうすくふべく、すべからく使つかいつかわして、貧人ひんじん實錄じつろくせしめ、むすんでこれきゅうすべし。ぐるものあらば、保內ほないをしてつぐなはしめよ。じょう愛懀あいぞうわたり、よわき退しりぞけてつよきすすめ、およ未納みのう補塡ほてんし、ねて私債しさいおさむるもの發覺はっかくかなら重科じゅうかしょせよ。たみようやるをちて、すなわ停止ていししたがへ。

【字句謹解】◯頻年 ひんはつづけて、しばしばの意。近年に同じ ◯登らず みのらない。榖物こくもつが熟しないこと ◯公稻 租稻そとうとして官府かんぷおさめしいね ◯出擧 官府かんぷまたは私人しじんが、稻榖とうこく錢貨せんかを貸し出して利息をおさめしをいふ ◯阻む なやみくるしむこと ◯乞貸 もとめてかりる義 ◯報償 むくいつぐなふ、返濟へんさいする ◯息利 利息に同じ ◯膏粱 肥えたる肉をといひ、美しきあわといふ、てんじてうまき食物しょくもつの義、美食。孟子もうし告子こくしへんに『所以不願人之之味也』とあり ◯貧弊 貧窮ひんきゅうにして疲弊ひへいする、まづしくて衰へつかれる ◯糟糠不厭 貧賤ひんせんはなはだしきをいふ。史記し き伯夷はくいでんに『囘也屢空、』とあり、ただ韓非子かんぴしにはに作る。そうはさけのかす、こうはぬか ◯正稅 正規の租稅そぜい ◯絕乏 ぜつはなくなる、まづし、物がなくなつて乏しきこと。史記し き平津侯へいしんこう主夫しゅふでんに『嚝日持久、糧食』とあり ◯實錄 實地じっちに就て記錄きろくせしめる ◯結保 は五より成り立つ組合をいふ。詳くは〔註一〕をみよ。云々うんぬんは、五を結合せし組合にたいして正稅せいぜいを貸し、もし逃亡者があれば、組合內の者をして塡補てんぽせしめしをいふ ◯ ここでは逃亡の意、にげうせる ◯保內 組合內のもの、くみうち ◯愛懀 あいとにくしみ ◯補塡 おぎなひたす ◯私債 一個人の債權さいけん債務さいむ ◯發覺 罪惡や陰謀などのあらはるること ◯重科 おもきとが ◯給る たる、る。品物が十分にあること。孟子もうし梁惠王りょうのけいおうへんに『秋省斂而助不』とあり。

〔註一〕 戸令こりょうに『凡戸皆五家相一人爲長、以相撿察勿造非違』とあつて、五を以て一となせる今日こんにちの組合の類である。武家時代に至り、五の制はみだれて、十二十等、すうに限りなく、人家じんかの一群に部屬ぶぞくする所を、ひたすらといつた。この『五家相保』の制度は、後の『五人組制度』の濫觴らんしょうをなせるものである。もと支那し なの制にならへるもので、周禮しゅらい地官ちかん大司徒だいし とに『令爲比、使之』とある。

【大意謹述】聞くところによれば、近年凶作つづきで榖物がみのらず、民の食物しょくもつ缺乏けつぼうして、公稻こうとうを貸しあたへてもうえになやむものが多く、しかもこれ等の貧乏人が、ひそかに民間の富裕のものから錢榖せんこくを借りると、返濟へんさい期日に至つて倍の利息を取られ、かくて富强ふきょうやからはますます富みさかえて美衣び い美食びしょくに飽き、貧乏人はますますきゅうしてかゆも口にすることが出來ない有樣ありさまであるといふことである。ちんは民のこの窮狀きゅうじょうをみるに忍びないので、正稅せいぜいを貸しあたへてこれを救ふであらう。それで係りの役人はそれぞれ使つかいつかはし、貧乏して居るものの實狀じつじょうを調査記錄きろくせしめ、五を以て一を結ばせ、そのたいして正稅せいぜいを貸しあたへるやうにせよ。もしその中に逃亡するものがあつたならば、保內ほないのものをしてこれをつぐなはしめよ。しかしてその處置しょちはつねに公平にすべきで、いたずらに感情に走つたり、弱いものを退けて强いものにのみすすめあたへたり、あるいは未納を補塡ほてんしたり、または個人の債務を取りたてたりなどするものがあつたならば、見つかり次第、重き刑罰にしょせよ。かくして民の苦しみを救ひ、うえをみたすことが出來たならば、おもむろにこの正稅せいぜい貸與たいよめるやうにせよ。

【備考】日本にほん後紀こうきは、本勅ほんちょくを、桓武かんむ天皇紀中きちゅう(後紀第十三卷)にろくせるも、桓武天皇は、本勅發布はっぷ(五月己巳六日)に先だつ二ヶ月、すなわ延曆えんりゃく二十五年(大同元年、皇紀一四六六年)三月辛巳かのみの十七日、すでに崩御ほうぎょあらせられて居るので、本書は特にこれを平城へいじょう天皇の項にろくすることとした。けだ後紀こうきがこれを桓武かんむ天皇紀中にろくせるは、本勅の發布はっぷが、皇太子安殿あ で親王しんのう(卽ち第五十一代平城天皇)の卽位そくい擧式きょしきぜんぞくせしめなるべく、これは、後紀こうき卽位そくい當日とうじつすなわ大同だいどう元年五月辛巳かのえみの十八日を以て、第十四かん稿こうを起せることにつても知りうるところである。