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67 貧富を均濟にするの勅 桓武天皇(第五十代)

貧富ひんぷ均濟きんさいにするのみことのり(延曆二十二年六月 類聚國史)

去年不登。民業絕乏。富贍之輩。唯有餘儲。糶則要以貴價。借則責之大利。因茲貧民彌貧。富家逾富。均濟之道。良不須然。宜遣使大和國。割折有餘之貯。假貸不足之徒。收納之時。先俾報之。若遭凶年。有未納者。賜以正稅。後徵負人。

【謹譯】去年きょねんみのらず、民業みんぎょう絕乏ぜつぼうせり。富贍ふせんともがらのみ、餘儲よちょあり。せりすれば、すなわもとむるに貴價き かもってし、れば、すなわこれ大利たいりむ。ここよって、貧民ひんみんいよいよまずしく、富家ふ かいよいよむ。均濟きんさいみちまことしかるべからず。よろしく使つかい大和やまとくにつかはして、あまたくわへを割折かっせつし、不足ふそく假貸かたいし、收納しゅうのうときこれむくいしむべし。凶年きょうねんひ、未納みのうものあらば、たまふに正稅せいぜいもってし、負人ふにんよりちょうせよ。

【字句謹解】◯登らず 榖物が成熟しないこと。みのらず、みのらずに同じ ◯民業 民のなりはひ、農業・產業 ◯絕乏 たえほろぶ、おとろへすたる義。衰亡すいぼうする ◯富贍 みてゆたかなること、贍富せんぷ、富裕に同じ。晉書しんしょ王接傳おうせつでんに『常謂、左氏辭義』とあり。せんは充ち足りゆたかに富むをいふ ◯餘儲 多くの利益りえき饒多あまたはまうけ ◯ うりよね、賣米うりよねの義。かいよねたい。米をり出すこと。すなわちその時々の米價べいかしたがひ、官府かんぷにおいて安い時はかひよね(入米)し、高い時はうりよね(出米)して米價べいかを平均させ、また民の窮乏きゅうぼうそなへしをいふ。第四十八の字句謹解きんかいらんを參照せよ ◯要む もとむ、買ひ求める ◯貴價 たかい價格かかく ◯大利 たかい利子高利こうり ◯均濟 平等ににぎはしすくふこと ◯遣使大和國 大和國やまとのくに舊都きゅうとの所在地として富豪ふごうが多かつたのでかく仰せられたのである。詳くは備考欄をみよ ◯割折 さく。わかちさく ◯假貸 りに貸す、急場の間に合せに、一時りに貸すこと ◯收納 秋のとりいれ ◯凶年 不作の年 ◯正稅 正規の租稅そぜい ◯負人 借りた人、債務さいむを負ふ人 ◯徵す し取る、徵收ちょうしゅうする。

【大意謹述】昨年は凶年で五こくがみのらなかつたために、ほとんど農業や產業は衰へ亡びるやうな、悲慘ひさん有樣ありさまであつた。しかるにこの民の窮乏きゅうぼうじょうじて、富强ふきょうのともがらのみは、多くのもうけを得て居る。すなわち民の窮乏きゅうぼうを救ふためにうりよねすれば、金のあるにまかせて、高い價格かかくをもつてこれを一手に買ひ占めてしまひ、貧乏人が食物たべものがなくなつて餘儀よ ぎなく借りると、不當ふとうに高い利子を以てこれを責めて取り上げる。そのために、貧乏人はますます貧乏となり、反對はんたいに、富强ふきょうはいよいよ富みさかえるといふ有樣ありさまで、これは一般人民を平等に救はねばならぬ均濟きんさいの道にもとり、まことに不都合な次第である。それで使つかい大和國やまとのくにつかはして、餘分よぶんたくわへをもつて居るものの榖物をさいて、りに貧乏人に貸しあたへてこの急場を救ひ、秋の取りいれの時に、づ第一番に、その債務さいむ辨濟べんさいさせるやうにせよ。もし凶年にうて、返濟へんさいしえないものがあつたならば、かん租稻そとうをこれ等のものに貸しあたへて辨濟べんさいせしめ、あとでその借り主から徵收ちょうしゅうするやうにせよ。

【備考】本勅ほんちょくは、『類聚國史るいじゅうこくし第八十四卷、政理せいり六、借貸しゃくたい桓武かんむ天皇延曆えんりゃく二十二年六月癸未みずのとひつじのくだり』にするところで、貧富ひんぷ均濟きんさいの道をかれしものである。『使つかいを大和の國につかはし』とあるは舊都きゅうと平城な ら常平倉じょうへいそう(第四十八の〔註三〕を參照せよ)を指すのではなく、ひろく大和國やまとのくに富豪ふごうを指してかく仰せられしものと解すべきであらう。けだし大和國は、神武じんむ天皇以來、桓武かんむ天皇延曆えんりゃく三年長岡ながおか遷都せんとまでの五十代一千四百年間にわたる王城おうじょうの地(尤もこの間、成務帝の志賀高穴穗宮・仲哀帝の穴門豐浦宮及び角鹿笥飯宮・仁德帝の難波高津宮・反正帝の丹比柴籬宮・繼體帝の樟葉宮及び筒域宮・孝德帝の長柄豐崎宮・齊明帝の朝倉橘廣庭宮・天智弘文兩帝の大津宮聖武帝の大養德恭仁宮及び紫香樂宮等大和以外の國に遷都せられたこともあるが、いづれも一時的のもので、大體においてこの間の皇都は、大和國に在つたといふことが出來る)として、最も繁榮はんえいせる土地で、したがつて民間富豪のも、大和國やまとのくにに最も多かつたらしく思はれるからである。それは第五十四代仁明にんみょう天皇が、承和しょうわ五年(この詔を下されし延曆二十二年より三十六年後)の四月己丑つちのとうしのはっせられしみことのり

 使者を大和國につかわして、富豪ふごう實錄じつろくせしめ、困窮こんきゅうともがら借貸しゃくたいし、秋の收時しゅうじに至りて、いんほうぜしめよ(類聚國史第八十四卷)

とあるによつても推知すいちる。ほまたこのみことのり

 ここよって、貧民ひんみんいよいよ貧しく、富家ふ かいよいよむ。均濟きんさいの道、まことしかるべからず。

とあるは、近代的にみて重要な社會しゃかい的意義がある。近年わが國民の思想はいちじるしく惡化あっかし、マルクス主義による社會主義思想の急激なる勃興ぼっこうをみるに至つた。マルクス唯物論ゆいぶつろんによれば

 資本主義制度は、社會しゃかい少數しょうすう富豪ふごう階級と、大多數だいたすう無產むさん階級とに二分する制度である。ゆえに資本主義が發達はったつするにつれて、富者ふしゃはますますみてそのすうを減じ、貧者ひんじゃはますますひんして、そのすう增加ぞうかする

といふのである。この唯物論ゆいぶつろん的主張が、ただちに肯定さるべきものでないのは無論であるが、このせつが近代民衆の一部に共鳴されたのは否定できない。マルクス主義が、短日月たんじつげつに急激なる勃興ぼっこうをみたのは、そのためである。社會しゃかい主義の主張にも缺陥けっかんはあるが、資本主義もまた、修正されねばならぬ缺陥けっかんをもつて居る。げんに、今日こんにちにおいては、資本主義修正といふことは、政黨せいとうの常識とさへもなつて居るほどである(最近發表された政友會の新政策中にも、『資本主義修正』の一項がある)。しからば資本主義はいかに修正されねばならぬか。その著眼點ちゃくがんてん桓武かんむ天皇は一千年前に、簡單かんたんにしかも明確にお示しになつて居る。すなわち『貧民ひんみんいよいよ貧しく、富家ふ かいよいよむ。均濟きんさいの道、まことしかるべからず』と仰せられて居るのがそれである。この『』の進歩的御思想は、そのまま取つて、ただちに今日こんにち社會しゃかい改善にすることが出來るであらう。

 ほこのみことのりの末尾において『凶年きょうねんひ未納の者あらば、たまふに正稅せいぜいを以てし、負人ふにんよりちょうせよ』と仰せられしは、言葉をかへていへば『この債務さいむたいする保證ほしょうは朝廷に於てひ、もし債務者が返濟へんさい不能の場合には、國家の正稅せいぜいたまうて、』と仰せられたのと同じで、富贍ふせんともがら先取せんしゅ得權とっけんあたへられ、正稅せいぜい辨濟べんさいちにせられし如きは、まことに有りがたきお言葉と申し上ぐべく、當時とうじ窮民きゅうみんがこのみことのりはいして、聖恩せいおん感泣かんきゅうしたであらうことは、容易に想像しうるところである。