65 田租を免ずるの詔 桓武天皇(第五十代)

田租でんそめんずるのみことのり(延曆十八年六月 日本後紀

惟王經國。德政爲先。惟帝養民。嘉榖爲本。朕以寡薄。忝承洪基。懼甚履氷。懍乎御朽。昧旦丕顯。日昃聽朝。思弘政治。冀宣風化。而時雍未洽。陰陽失和。去年不登。稼穡被害。眷言其弊。有憫于懷。宜敷寬恩。答彼咎祥。其被損尤甚之處。美作備前備後。南海道諸國。肥前豐後等十一國。去年田租。特全免之。

【謹譯】おうくにおさむるは、德政とくせいさきとなし、ていたみやしなふは、嘉榖かこくもとす。ちん寡薄かはくもって、かたじけな洪基こうきく。おそるることこおりむよりもはなはだしく、凛乎りんことしてきゅうぎょす。昧旦まいたんより丕顯ひけんし、かたむくまでちょうき、政治せいじひろめむとおもひ、風化ふうかべむとこいねがふ。しかるに時雍じよういまあまねからず、陰陽おんよううしなひて、去年きょねんみのらず、稼穡かしょくがいこうむる。ここおとろへたるをかえりみて、こころあわれむあり。よろしく寬恩かんおんき、咎祥きゅうしょうこたふべし。わざわいこうむることもっとはなはだしきところの、美作みまさか備前びぜん備後びんご南海道なんかいどう諸國しょこく肥前ひぜん豐後ぶんごとうの十一こく去年きょねん田租でんそは、とくまったこれめんぜよ。

【字句謹解】◯經む 經營けいえいする ◯德政 仁政じんせいに同じ、めぐみある政治。後漢書ごかんじょ桓帝かんていきに『先皇可不務乎』とあり。後世足利あしかが時代に至り、貸しつけたる錢榖せんこくなどにたいして、債權さいけん債務共に無效むこうならしむるを德政とくせい(德川時代には棄損)と呼んだ。無論ここでは前者の意 ◯嘉榖 良き榖物こくもつてんじて農業をいふ。嘉禾か かに同じ ◯寡薄 すくなくとくうすし、天子の謙辭けんじ ◯洪基 大業たいぎょうのもとゐ、洪緒こうしょ洪業こうぎょうに同じく天子の事業をいふ ◯憫甚履氷。懍乎御朽 陳後主ちんのこうしゅ改元(至德元年)大赦たいしゃみことのり。懷同』の語に出づ。またに同じく、書經しょきょうの『予臨兆民、懷乎若索之六馬』の語に出づ。『朽索きゅうさくの六ぎょす』とはちたなわを以て六頭の馬をぎょすることの困難なたとへ。はつつしみおそれる、あやぶみ心配すること ◯昧旦 朝早くしてまだほのぐらきをいふ。てんけんとして未だ明けざる時、あさまだき、未明、昧爽まいそう ◯丕顯 は大いなる意、けんはあきらか、すなわち大いに明らかなる義。書經しょきょう太甲上たいこうじょうに『先王昧爽、坐以待旦』とあり ◯ 朝廷に於ける政務 ◯風化 風敎ふうきょう德化とっか ◯時雍 民やはらぎてやすし。ようように同じくやはらぐ、なごやかになる意。()時雍じよう(時間)の意ではなく、(是)の義で、すなわこれやわらぐくんず。書經しょきょう堯典ぎょうてんに『黎民於變』とあり ◯陰陽 易學えきがく上のことば、天地間の萬物ばんぶつを造り出す二つのをいふ。陰陽いんように就てはすでに第四十二の字解欄に詳說しょうせつせり。ほ本節の備考欄をも參照せよ ◯登らず みのらず、みのらずに同じ。榖物じゅくせざること ◯稼穡 榖物をううるをといひ、かり取るをしょくといふ。てんじて農事のうじ・農業の義に用ふ ◯ おとろへつかれる。疲弊ひへい衰弊すいへいの意 ◯眷言其弊 けんかえりみめぐむこと、いつくしみ目をかけること。()ここのは無意味の助字じょじで、詩經しきょう孟子もうしにその用例が多い。すなわ孟子もうし公孫丑こうそんちゅうの『詩云、永配命』の如きである ◯寬恩 寬大かんだいなる恩典おんてん ◯咎祥 とがめのしるし、咎兆きゅうちょうに同じ。

【大意謹述】思ふに天子が國をおさむるためには、仁政じんせいくことが第一であつて、民を養ふためには、農業をもととしなければならぬ。ちんとくうすくとぼしき身をもつて天子の位にき、つつしんで皇統こうとうぎ民に臨むにあたり、その政道よろしきをるかと、つねにびくびくとして、氷をふむやうにおそれつつしみ、またちたなわをもつて馬をぎょすることの困難なやうに、あやぶみ心配をして居る。それで朝はまだきに起きてまつりごとをとり、夕べは日がくれるまで朝廷の政務をき、よきまつりごとを行ひ、風敎ふうきょう德化とっかとをかうとこいねがつて居るのであるが、いまだに民やはらぎ國治まるに至らず、朕の不德を天が譴責けんせきしてか、陰陽ふゆなつを失つて風雨ふううときたがひ、つひに昨年は五こくもよくみのらず、農作物の被害も大きかつたといふことである。農民たちの凶作に苦しみ衰へてゐることを思へば、まことに氣の毒にたへない次第である。そこで朕は、この天地のとがめに答へるために、特に寬大恩典ほどこし、民の幸福をはかるであらう。すなわち凶作のわざはひの最もはなはだしかつた地方、美作みまさか備前びぜん備後びんご南海道なんかいどうの諸國や、その他肥前ひぜん豐後ぶんご等の十一ヶ國の農民にたいしては、特に昨年(延曆十七年)度の田租ねんぐは全部これを免除するやうにせよ。

【備考】このみことのりに『時雍じよう未だあまねからず、陰陽いんよう和を失ひて、去年みのらず』と仰せられて居るのは、ちんの政道よろしきを得ないために、天地譴責けんせきして陰陽いんよう和を失ひ、風雨ふうう時にたがひて榖物みのらずと仰せられしものとはいすべきであるが、同樣どうよう御趣旨は、上來じょうらい述べきたつた詔勅しょうちょくうちにおいても、しばしばこれをはいすることが出來る。例へば

 崇神すじん天皇の『めいおおはるる所あり、とくやすんずることあたはず。ここを以て陰陽いんよう謬錯びょうさくし、寒暑かんしょじょを失ひ、疫疾えきしつ多く起りて、百姓ひゃくせい災をこうむれり』(第四詔)

 文武もんぶ天皇の『とく上天じょうてんに感じ、じん黎庶れいしょに及ぶことあたはず、遂びつい陰陽いんよう錯謬さくびょうし、水旱すいかんときを失ひ、年穀ねんこくみのらず、民に菜色さいしょく多からしむ』(第十八詔)

 桓武かんむ天皇の『至和し かいたることなく、炎旱えんかんわざわいし、田疇でんちゅうおさまらずして、農畝のうほ多くすたる。豐儉ほうけんときありといえども、しかも、せめは深くり』(第六十四詔)

の如きこれである。これはもと儒敎じゅきょうに由來する思想で、書經しょきょう周官篇しゅうかんへんの『燮理陰陽――陰陽いんよう燮理しょうりす』すなわち天子のまつりごとそのとう政道せいどう大本たいほんそのよろしきにかなへば、天地感應かんおうして、陰陽いんようおのづから調和するが、その反對はんたいに政道よろしきを失ひ、天道てんどうに反すれば、天地譴責けんせきして陰陽いんようを失ひ、咎殃きゅうおうたちまちにして至るといふ思想に因由いんゆうするもののやうである。