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58 僧徒の利を貪るを禁ずるの勅 桓武天皇(第五十代)

僧徒そうとむさぼるをきんずるのみことのり(延曆二年十二月 續日本紀

先有禁斷。曾未懲革。而今京內諸寺。貪求利潤。以宅取質。𢌞利爲本。非只綱維越法。抑亦官司阿容。何其爲吏之道。輙違王憲。出塵之輩。更結俗網。宜其雖經多歳。勿過一倍。如有犯者。科違勅罪。官人解其見任。財貨沒官。

【謹譯】さき禁斷きんだんありしに、かついまあらためず。しかいま京內けいない諸寺しょじ利潤りじゅんむさぼもとめ、たくもっしちり、𢌞まわしてもとす。ただ綱維こういほうゆるのみにあらず、そもそ官司かんし阿容あようす。なんたるのみちならんや。すなわ王憲おうけんたがふ。出塵しゅつじんはいさら俗網ぞっこうむすぶ、よろしく多歳たさいるといえども、一ばいぐることかるべし。おかものあらば、違勅いちょくつみし、官人かんにん見任けんにんき、財貨ざいかかんぼっせよ。

【字句謹解】◯先に禁斷 天平てんぴょう勝寶しょうほう三年九月の太政官だじょうかんぷおよび寶龜ほうき十年九月の光仁こうにん天皇みことのり(第五十五參照)等を指されしもの、詳くは備考欄をみよ ◯京內 京師內けいしないすなわ平城京ならのみやこうちの意。桓武かんむ天皇長岡ながおか(今の山城國乙訓郡日向町大字鷄冠井)に遷都せんとせられたのは延曆えんりゃく三年十一月で、ついで同十三年(皇紀一四五四年)七月平安京へいあんきょう(今の京都市)に遷都せられたが、このみことのりを下されし延曆二年には、いまだ平城京ならのみやこられた ◯利潤 收支しゅうしを差し引きておさむる利益りえき ◯ すみか、すまひ、家屋。ただしここでは家屋や宅地の意 ◯ 約束の保證ほしょうにあづけておく物件しなもの違約いやくの場合その處置しょちは預り主の隨意ずいいたるべきもの ◯利を𢌞して本と爲す 利子を以て元金に繰り入れ、更に利子をむさぼる意。雜令ざつりょうの『凡公私以財物、出擧者云云。家資盡者役身折酬𢌞』に出づ ◯綱維 こうも共につな、おほづな。てんじて物事をとりしまる、規則をいふ。すなわち國家の法度はっと綱紀こうきに同じ。史記し き淮陰侯傳えいんこうでんに『秦之絕而弛』とあり。ほ寺にて事務を管掌かんしょうするもののことをといふ。酉陽雜記ゆうようざっきに『其寺、毎日報竹平安』とあり。ここではいずれの意にもとれるが、しばらく後者をとる ◯阿容 はおもねりへつらふ、ようきいれること。すなわち他人にへつらつてのいふことをききれる ◯王憲 王綱おうこうに同じく、帝王の世を治め給ふのり、おきて。すなわち國家の憲法 ◯出塵の輩 ちりの世を出家しゅっけせるものの意で、僧侶をいふ ◯俗網を結ぶ 利殖りしょくいとなむこと ◯違勅の罪 勅命ちょくめいにそむける罪 ◯官人 官職にある人すなわち役人、官吏かんり ◯見任 けんげんに同じ、げんに任ぜられて居る官職の意 ◯財貨 財產と貨幣。

【大意謹述】きに天平勝寶しょうほう三年九月の太政官だじょうかんぷや、寶龜ほうき三年九月の光仁こうにん天皇みことのり等に於て、不當ふとうの利をむさぼち取ることを、かたく禁じてあるのに、今日こんにちにいたるもほまだりあらためないものがある。ことにこのごろでは、京師みやこにおける諸寺しょじまでが、不當の利潤りじゅんをむさぼりもとめ、家屋を擔保たんぽとして高利の金品を貧民ひんみんに貸し、利子を更に元金に繰り込んで、不法の高利を、むさぼり取つて居るといふことである。これはただに宗敎家としての道にももとり、同時に國家の憲法にもたがふものである。今後は僧侶にして利殖りしょくいとなむものにたいしては、たとへながい年月としつきにわたる貸借たいしゃくであつても、倍以上の利子を取ることをきびしく禁ずる。もしこれを犯すものがあつたならば、違勅いちょくつみを以て處斷しょだんし、役人の場合にはその現職を罷免ひめんし、ほその財貨ざいかは官において沒收ぼっしゅうするやうにせよ。

【備考】このみことのりに『さき禁斷きんだん』とあるは、おそらく天平勝寶しょうほう三年九月の太政官だじょうかんぷを指されしものと思はれるが、みぎ太政官符にいわ

 豐富ほうふ百姓ひゃくせい錢財せんざい出擧すいこし、貧乏の民の宅地をしちとなし、せまわたるにいたりて、みずかしちつぐなふ。すでに本業を失ひて他國にはしり散れり。今より以後、ことごとく禁止せよ。約契やっけい有りて、償期しょうきに至るといえども、ほしいままに住居せしめ、おもむろ酬償しゅうしょうせしめよ。

と。くだつて寶龜ほうき十年九月、光仁こうにん天皇またほぼ同趣旨しゅしみことのり(第五十五參照)を下して、一部富豪ふごうともがら不當ふとうの高利をむさぼり取ることを禁ぜられたのであるが、延曆えんりゃく年間に至るやこのへい京師けいしの富裕寺院にまで及び、佛法ぶっぽうく僧侶にして、暴利ぼうりむさぼるものあるに至つたので、つひに桓武かんむ天皇は、延曆二年十二月戊申つちのえさる六日このみことのりを下して、僧侶の高利をむさぼりとるを禁じ、あわせて彼等におもねりへつらつて、かかる不正行爲こうい默認もくにんにしてゐた當時とうじの不甲斐なき官吏やくにん嚴戒げんかいされたのである。當時とうじこれ等の高利こうりがしが、期日に至つて返濟へんさいしえない貧民ひんみんたいして、遠慮なくどんどん家屋明け渡し、乃至ないし立ち退處分しょぶん實行じっこうしてゐたことは、みぎ太政官符中に『旣失本業、』『若有約契、雖至償期、、令漸酬償』などとあるによつても知ることが出來る。

 ほ原本『出塵之輩』の鹿に作るも、類史るいしおよび六國史りくこくしよっに改む。また原本『結俗網』のに作るも、同じく類史および六國史に據てに改む。