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57 官紀振肅の詔 桓武天皇(第五十代)

官紀かんき振肅しんしゅくみことのり(天應元年六月 續日本紀

惟王之置百官也。量材授能。職員有限。自茲厥後。事務稍繁。卽量劇官。仍置員外。近古因循。其流盖廣。譬以十羊。更成九牧。民之受弊。寔爲此焉。朕肇膺寶曆。君臨區夏。言念生民。情深撫育。思欲除其殘害。惠之仁壽。宜內外文武官。員外之任。一皆解却。但郡司軍毅。不在此限。又其在外國司。多乖朝委。或未知欠倉。且用公廨。或不畏憲綱。肆漁百姓。故今擇其姧濫尤著者。秩雖未滿。隨事貶降。自今以後。內外官人。立身淸謹。處事公正者。所司審訪。授以顯官。其在職貪殘。狀迹濁濫者。宜遣巡察。採訪黜降。庶使激濁揚淸。變澆俗於當年。憂國撫民。追淳風於往古。普告遐邇。知朕意焉。

【謹譯】おもんみるにおう百官ひゃっかんくや、ざいはかのうさずく。職員しきいんかぎり。これより事務じ むようやしげく、すなわ劇官げきかんはかり、りて員外いんげく。近古きんこ因循いんじゅんは、ながけだひろし。たとへば十ようもって、さらに九ぼくすごとし。たみへいくること、まことれがためなり。ちんはじめて寶曆ほうれきあたり、區夏く か君臨くんりんす。ここ生民せいみんおもひ、こころ撫育ぶいくふかし。殘害ざんがいのぞき、これ仁壽じんじゅめぐまむと思欲お もふ。よろしく內外ないげ文武ぶんぶかん員外いんげにんは、いつ解却げきゃくすべし。ただ郡司ぐんじ軍毅ぐんきかぎりにあらず。また在外ざいげ國司こくしおお朝委ちょういそむき、あるいいま欠倉けんそうらず、公廨く げもちひ、あるい憲綱けんこうおそれず、ほしいまま百姓ひゃくせいぎょす。ゆえいま姧濫かんらんもっといちじるしきものえらび、ちついま滿たずといえども、ことしたがつて貶降へんこうせしむ。いまより以後い ご內外ないげ官人かんにんにして、つること淸謹せいきんことしょすること公正こうせいなるものは、所司しょしつまびらかうて、さずくるに顯官けんかんもってせよ。しょくりて貪殘たんざんにして、狀迹じょうせき濁濫だくらんなるものは、よろしく巡察じゅんさつつかはし、採訪さいほうして黜降ちゅっこうせしむべし。こいねがはくばだくさえぎり、せいげ、澆俗ぎょうぞく當年そのかみへんじ、くにうれたみあわれみ、淳風じゅんぷう往古おうこはしめむ。あまね遐邇か じげて、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯材を量り ざいは才能・器量。はかりは調べ考へること、考査 ◯能に授く の才能に適應てきおうした官職を授くること ◯劇官 事務が多くていそがしき官職 ◯員外 定員外の官、また大寶令たいほうりょう規定の正員せいいんがいの官 ◯近古 年代のあまり隔たらざるむかし、近世と中古との間。ここでは大化の改新ごろから奈良朝の中葉ちゅうようごろまでを漠然ばくぜんと指されしものか ◯因循 よりしたがつて改めないこと。敢爲かんい氣象きしょうなく物事にためらひなづむこと、すなわち進歩的な知識がなく舊弊きゅうへいをかたくなにまもること ◯流れ つづき、系統。影響するところの意 ◯十羊を以て九牧を成す 事務少くして、これをつかさどる人のいたずらに多きをいふ。唐書とうしょ劉知畿傳りゅうちきでんの『、其令難行』に出づ。原文に作る、閣本かくほん六國史りくこくしよっに改む ◯區夏 は土地のくぎり、さかひ。廣大こうだいなる土地。てんじて國家の義 ◯撫育 いつくしみそだてる ◯殘害 ざんはそこなふ、やぶること。がい害毒がいどくすなわち民の幸福をそこなふ害毒がいどく ◯仁壽 じんはいつくしみ、あはれみ。じゅはことぶき、長命ちょうめいの幸福。すなわ仁愛じんあい長壽ちょうじゅ ◯解却 官位を解きしりぞけること ◯郡司 國司こくしの管下にあつて郡を治めし職名。これに大領か み少領す け主政じょう主帳さかんの四しょくあり。詳くは第二十二の〔註一〕を參照せよ ◯軍毅 大寶令たいほうりょうによれば兵部省ひょうぶしょう管下に、京師けいしに五衞府え ふおよび馬寮まりょう兵庫ひょうごを、諸國に軍團ぐんだんを、太宰府だざいふ防人さきもりを、三かんに兵士を置いた。しかして諸國の軍團うち、兵士六百人以上の軍團にはにん一人を置き、六百人以下にはただ一人を置いた ◯在外 京師けいし以外の諸國に駐在するをいふ ◯國司 諸國に置かれし地方官、かみすけじょうもく等の職員あり、詳くは第二十一の〔註二〕をみよ ◯朝委 朝廷の委託 ◯欠倉 けんはかけ不足する事。そうは米ぐら。すなわちくらの中の米がかけ不足する意で、年貢ねんぐがよく納まらず不足すること。欠積けんせきと同義 ◯公廨 公廨く げとうといふ。すなわ租稻そとう幾部いくぶき、これを出擧すいこして利息をおさめ、國衙こくがおよび諸國の用にきょうせしもの ◯憲綱 のり、きそく、おきて ◯漁す ほしいままに追ひつかふ ◯姧濫 よこしまにしてみだらなこと。かんかんに通ず ◯ 秩次ちつじ、秩序、しだい。ここでは官の任期の意 ◯貶降 官位をおとし退ける ◯內外の官人 京師けいし內の官吏かんり京師けいし以外の諸國の官吏かんり ◯淸謹 淸廉せいれん潔白けっぱくにしてつつしみぶかい ◯公正 公明正大。よこしまなことがなく正しいこと ◯所司 つかさの役人 ◯顯官 地位たかき官職かんしょく ◯貪殘 貪婪たんらんにして殘酷ざんこく殘忍ざんにんよくが深くてむごたらしい ◯狀迹 行跡ぎょうせき、ぎやうじやう、みもち ◯濁濫 にごりみだらなこと ◯採訪 訪問させる、實地じっちにしらべさせる意 ◯黜降 官位をおとしてしりぞける ◯澆俗 輕薄けいはくなる風俗の意。本文ほんもんの『變澆俗於當年』は北史ほくし武帝しゅうぶていきにある『運當季、思復古始』と同義で、すなわちすゑの世となつて風俗が輕薄けいはくになつたのを、再びむかしのやうなよい風俗に直したいといふ意。引用文と同義 ◯淳風 じゅんはきよくすなほなこと、淳朴じゅんぼく淳良じゅんりょうすなわ淳朴じゅんぼくな風俗をいふ ◯往古 むかし、そのかみ、前文のおよび引用文と同義 ◯遐邇 遠きと近きと、遠近。てんじてあまねく國中くにじゅうにの意。

【大意謹述】思ふに天子が百官ひゃっかんを任命するには、その才能や器量をよく考査して、各自の才能に適應てきおうした官職を授けねばならぬ。しかるに職員のすうには限りがあり、近古きんこ以來、世の文化が進むにしたがつて、事務もやうやく繁忙はんぼうとなつたので、特に忙がしい官職のために員外いんげの職員を置いたのであるが、その後官吏かんりに進歩的な知識がなく、いたずらにきゅう制度をかたくなにまもるのみで、したがつてその因循いんじゅん姑息こそく今日こんにちにわざはひして居ることは、すこぶるひろく多く、たとへば唐書とうしょ劉知畿傳りゅうちきでんのいはゆる『』の言葉のやうに、事務は少いのに、これをつかさどる人間のみいたづらに多く、したがつて經費けいひはかさみしかも能率は上らず、ために人民は非常なわざはひを受けつつある。ちん寶祚あまつひつぎをうけつぎ、天下に君臨くんりんするにあたり、民を愛しいつくしみ、民のわざはひを除き、仁愛じんあい長壽ちょうじゅのよろこびをあたへたいと思ふので、內外文武ぶんぶの官のうち、郡司ぐんじ軍毅ぐんきを除くほか員外いんげの官は、一律にみな解任して、人員を縮小整理するであらう。

 また京師けいし以外の地に駐在する國司こくしの中には、朝命ちょうめいにそむいて職を怠り、あるい年貢米ねんぐまいがよく納まらないで不足して居るのも知らず、或はまた公用に使用すべき公廨く げとうを勝手に私用に用ひ、國家の法規や命令をおそれず、ほしいままに人民を私用に使役しえきして居るもの等も多いといふことである。それで今、その罪狀ざいじょうのもつともいちじるしいものをえらび、任期は滿たなくとも情狀じょうじょうおうじて、位をおとし退けるやうにせよ。そして今後は、內外の官吏かんりのうち、身をするに淸廉せいれん潔白けっぱくでつつしみぶかく、ことしょするに公明正大なものがあつたならば、所司しょしは親しくこれを訪問して、地位たかき官職をこれに授けて優遇せよ。また官吏かんりの現職にありながら、私慾しよくをむさぼり民をいぢめさいなみ、特にその行狀おこないがけがれてみだらなものは、巡察じゅんさつつかはして實地じっちにその罪狀をしらべさせ、官位をおとして退けるやうにせよ。朕のねがふところは、にごりけがれをすすきよめて、世の中をうつくしく淸らかにし、輕佻浮薄けいちょうふはくにながれて居る今日こんにちの風俗をめ改めて、再びむかしのやうな淳朴じゅんぼくでよき風俗となし、民のうれひを除かうとするところにある。それで、よくこの旨を遠近くにじゅうに告げ、あまねく國民をして、朕の意を知らしめるやうにせよ。

【備考】日本紀しょくにほんぎは、このみことのり光仁こうにん天皇てんのうき中にせて居るが、むしろ桓武かんむ天皇紀中におさむべきを妥當だとうと信じ、本書はこれにしたがふ。何となれば、このみことのり天應てんおう元年(皇紀一四四一年)六月戊子朔つちのえねのついたちに下されたのであるが、當時とうじ光仁天皇は、すでに位を皇太子山部親王やまべのしんのう(卽ち桓武天皇)にゆずられてゐたからである。これよりき同年四月、すでに七十三歳の高齢にましませし光仁天皇には、重き風の病にかかられ、位を皇太子山部親王に讓り、同年十二月二十三日(丁未)崩御せられた。すなわち四月三日(辛卯)の宣命せんみょう

 しかのみならず、元來もとよりかぜやまいに苦しみつ、身體おおみやすからず。またとしもいや高くなりにて、餘命のこりのいのちいくばくもあらず。いま思ふさく、この位はりて、しまらくのまも、おほみやしなはむとなも、おもほす。ここを以て、皇太子とさだめたまへる山部親王やまべのしんのう天下あめのしたまつりごとさずけたまふ。

とあり、日本紀しょくにほんぎ第三十六卷、天應てんおう元年四月三日辛卯紀かのとうのき

 是日、

とあり、尙ほまたこのみことのりの中に於ても明らかに

 朕肇膺寶曆。君臨區夏。

と仰せられて居るほどであるから、このみことのり當然とうぜん桓武かんむ天皇紀中におさむべきを妥當だとうと信ず。つぎに天皇がこのみことのりにおいて

 宜內外文武官。員外之任。一皆解却。

と仰せられ、郡司ぐんじ軍毅ぐんきを除くのほか大寶令たいほうりょう以來の員外いんげの官を、一律に解任整理せられたことは、歷史的にみて注目さるべきてんである。