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56 坂東諸國に糒を備ふるの勅 光仁天皇(第四十九代)

坂東ばんどう諸國しょこくほしいいそなふるのみことのり(寶龜十一年五月 續日本紀

機要之備。不可闕乏。宜仰坂東諸國。及能登越中越後。令備糒三萬斛。

【謹譯】機要きようそなえは、闕乏けつぼうすべからず。よろしく坂東ばんどう諸國しょこくおよ能登の と越中えっちゅう越後えちごおおせて、ほしいい萬斛まんごくそなへしむべし。

【字句謹解】◯機要之備 重要な備へ、特に軍事上の意味。ようともに、重要の意 ◯闕乏 けつけつつうこと。けとぼしき意 ◯坂東諸國 關東かんとう諸國しょこくをいふ ◯ ほしいひ。乾飯ほしいのこと ◯ 量目りょうもくの十倍すなわち一こくをいふ。

【大意謹述】軍事上の大切な備へは、つねに不備なてんがあつてはならぬ。それで關東かんとう諸國および能登越中・越後に命じて、ほしいい萬石まんごくを備へさせるやうにせよ。

【備考】このみことのりは、特に蝦夷え ぞに備へるために下されたものである。蝦夷阿部あべの比羅夫ひ ら ふ征討せいとう以來、久しく反せず、朝廷でも、つとめて溫情おんじょう主義をもつて撫慰ぶ いせられたのであるが、元明げんみょう天皇のころから、また、しばしば騒亂そうらんを起すに至つた。そこで陸奥鎭守府ちんじゅふを設け、歷朝れきちょう、力をこれが鎭撫ちんぶにそそぎ給うたが、光仁こうにん天皇のころに至るや勢ひ猖獗しょうけつをきはめ、あなどりがたき勢ひをていした。當時とうじいかに蝦夷の勢ひが盛んであつたかといふことは、このみことのりを下されし翌々日、すなわ寶龜ほうき十一年五月十六日(已卯)のみことのり

 狂賊亂常、侵擾邊境、烽燧多虞、、今遣征東使幷鎭狄將軍、分道征討。(續日本紀第三十六卷)

とあるによつても知ることが出來る。蝦夷鎭定ちんていは、光仁こうにん天皇の最も御心みこころにかけさせられたのであるが、天應てんおう元年(皇紀一四四一年)十二月、御志業ごしぎょうなかばにして崩御ほうぎょあらせられたので、桓武かんむ天皇、先帝の御意志を繼承けいしょうせられ、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろをして蝦夷征討せいとうせしめられしことは、史上有名である。