51 田租を免ずるの勅 淳仁天皇(第四十七代)

田租でんそめんずるのみことのり天平寶字七年八月 續日本紀

如聞。去歳霖雨。今年亢旱。五榖不熟。米價踊貴。由此百姓稍苦飢饉。加以疾疫。死亡數多。朕毎念茲。情深傷惻。宜免左右京五畿內。七道諸國。今年田租。

【謹譯】くならく、去歳きょさい霖雨りんうし、今年こんねん亢旱こうかんし、五こくみのらず、米價べいか踊貴ようきす。これつて、百姓ひゃくせいようや飢饉ききんくるしむ。しかのみならず、疾疫しつえきのため死亡しぼうせしものかずおおしと。ちんれをおもごとに、こころふか傷惻しょうそくす。よろしく左右京さゆうきょう・五畿內きない・七どう諸國しょこく今年こんねん田租でんそめんずべし。

【字句謹解】◯去歳霖雨 霖雨りんうはながあめ、昨年さくねんながあめが降りの意。大日本史だいにほんしちゅうには『去年旱』と書し、『霖』と書いてないがけだ闕文けつぶんか ◯亢旱 ひどいひでり。亢陽こうよう大旱たいかんに同じ ◯五榖 生活上最も必要な五つのたなつもの、普通にはいねむぎきびあわまめの五つをいふ。ここでは一般穀物の意 ◯熟らず みのらないこと。みのる・みのる・みのるに同じ ◯踊貴 ようはとびあがる、はねのぼる意。はたかし。すなわ米價べいか暴騰ぼうとうせしことをいふ ◯百姓 もろもろのくにたみ。一般國民をいふ ◯飢饉 不作のため一般に食物しょくもつ缺乏けつぼうすること ◯加以 しかのみならす。そればかりではなくほ ◯疾疫 はやりやまひ。流行病 ◯傷惻 いたみかなしむ。りょう武帝ぶていみことのりに『彌勞』とあり ◯左右京 平城京ならのみやこの左京と右京と。詳しくは第三十の〔註一〕左京右京の說明をみよ ◯五畿 畿內きないこくすなわち大和・山背やましろ・河內・和泉・攝津せっつをいふ ◯七道 東海・東山とうさん・北陸・山陰・山陽・南海・西海せいかいの七どうをいふ ◯田租 田畝でんぽ賦課ぶ かされし租稅そぜい、ねんぐ。に就ては第二十の〔註二〕を參照せよ。

【大意謹述】聞くところによれば、昨年はながあめが降り、今年はひでりがつづくなど、氣候きこうが不順であつたために五こくがよくみのらず、米のねだんは急にたかくなつて、民は飢饉ききんに苦しみ、その上にまた、はやりやまひのめに死亡するものも多くて、人民は非常に苦しみ悲しんで居るといふことである。ちんこれを思ふごとに、民の苦しみを深くいたみ悲しまずにはれない。そこで左京・右京・畿內きないこくおよび七どう諸國の今年の田租でんそは、いづれも免除するやうにせよ。

【備考】當時とうじいかに飢饉ききんのために諸國民が苦しみ、また天皇宸襟しんきんなやましたまひしかは、このみことのりを下されし前後における日本紀しょくにほんぎの記述によつて、これを知ることが出來る。すなわち同書第二十四卷、淳仁じゅんにん天皇天平てんぴょう寶字ほうじ七年六月――八月のくだりをみるに、次の如き記述がある。

◯六月七日戊寅、尾張國飢、賑給之。/十五日丙戌、越前國飢、賑給之。/二十一日壬辰、能登國飢、賑給之。/二十五日丙申、大和國飢、賑給之。/二十七日戊戌、美濃國飢、攝津・山背(後の山城)二國疫、並賑給之。

◯七月二十六日丁卯、備前・阿波二國飢、並賑給之。/かくて八月辛未かのとひつじ朔日ついたち、このみことのりを下して、左右京・五畿內・七道諸國の田租でんそを免じ、あまねく全國を救恤きゅうじゅつせられたのであるが、ほ同月中、左の如く賑給しんきゅうせられて居る。

◯八月二日壬申、近江・備中・備後三國飢、並賑給之。/十四日甲申、丹波・伊與二國飢、並賑給之。/十八日戊子、山陽・南海道等諸國旱、停兩道節度使。丹後國飢、賑給之。/二十三日癸巳、遣使覆損阿波・讃岐兩國、使卽賑給飢民。