48 諸國調脚の飢苦を救ふの勅 淳仁天皇(第四十七代)

諸國しょこく調脚ちょうきゃく飢苦き くすくふのみことのり天平寶字三年五月 續日本紀

頃聞。至于三冬間。市邊多餓人。尋問其由皆云。諸國調脚不得還郷。或因病憂苦。或無粮飢寒。朕竊念茲。情深矜愍。宜隨國大小。割出公廨。以爲常平倉。遂時貴賤。糴糶取利。普救還脚飢苦。非直霑外國民。兼調京中榖價。其東海・東山・北陸三道。左平準署掌之。山陰・山陽・南海・西海四道。右平準署掌之。

【謹譯】このごく、三冬さんとうあいだいたれば、市邊しへん餓人がじんおおしと。よし尋問じんもんすれば、みないわく、諸國しょこく調脚ちょうきゃくきょうかえるをず。あるいやまいつて憂苦ゆうくし、あるいかてなくして飢寒きかんすと。ちんひそかれをおもひ、こころふか矜愍きょうびんす。よろしくくに大小だいしょうしたがひて、公廨く げ割出かっしゅつし、もっ常平倉じょうへいそうとなし、とき貴賤きせんうて糴糶てきとうしてり、あまね還脚かんきゃく飢苦き くすくふべし。ただ外國げこくたみうるおすのみにあらず。ねて京中きょうちゅう穀價こっか調ととのへん。東海とうかい東山とうさん北陸ほくりくの三どうは、左平さへい準署じゅんしょこれつかさどり、山陰さんいん山陽さんよう南海なんかい西海せいかいの四どうは、右平うへい準署じゅんしょこれつかさどれ。

【字句謹解】◯三冬 冬の三ヶ月、すなわ孟冬もうとう(陰曆十月)・仲冬ちゅうとう(十一月)・季冬きとう(十二月)をいふ ◯市邊 まちのほとり、人家じんかの多きまちをいふ ◯餓人 食にうゑたる人 ◯尋問 たづねとふ、ききただす ◯調脚 貢調みつぎものを運ぶ脚夫きゃくふ ◯ かて、食物しょくもつ ◯矜愍 きょうびんもともにあはれむ ◯國の大小 大寶令たいほうりょうによれば國々は大國たいこく上國じょうこく中國ちゅうこく下國げこくの四とうあり。詳しくは〔註一〕國の等級を見よ ◯公廨 くげ又はといふ。公廨田くげでんすなわち人民の困窮こんきゅうにぎわし救ふために置きたる田からとれしいね公廨田くげでんに就ては〔註二〕を參照せよ ◯常平倉 常平じょうへいとは穀價こっかを常に平均せしむる意、すなわ運脚うんきゃく飢寒きかんを救ふを主とし、同時に京中きょうちゅう穀價こっかを平均させるために設けられた倉である、ほ〔註三〕を參照せよ ◯貴賤を遂うて糴糶 貴賤きせん價格かかくのたかきとやすきとをいふ。史記し き平準書へいじゅんしょに『則糶之、則買之』とあり。糴糶てきとうてき(入米)すなわち米を買ひ入れること。とう(出米)すなわち米をり出すこと。全體ぜんたいの意は、その時々の米價べいかしたがつて、安い時はかひよね(入米)し、高い時はうりよね(出米)して米價べいかを平均させ、また利益りえきをあげること ◯還脚 郷里きょうりにかへる貢調こうちょう運搬の人夫にんぷ ◯直に ただちに、すぐに。又そればかりでなくの意 ◯外國 帝都のある大和國やまとのくに以外の國を指す、諸國の意。日本以外の國の意にあらず ◯霑す めぐみによくせしむる。恩惠おんけいにあづからせる ◯京中 平城京ならのみやこ町中まちじゅう ◯平準署 飢民きみん賑救しんきゅうと、京中きょうちゅう穀價こっかを平調ならしむるために、この時はじめて置かれしもの、〔註四〕を參照せよ

〔註一〕國の等級 大寶令たいほうりょうによれば、國には大國たいこく上國じょうこく中國ちゅうこく下國げこくの四とうがある。おそらく拓殖たくしょく進否しんぴよう調ちょうの多少、交通・位置・面積等によつて區分くぶんされたものであらう。等級により職員に差がある。いま大寶令によつて各等級の國司こくしを記し、延喜式えんぎしきによつてその國々をぐれば左の如くである。

 大國 かみすけ大掾だいじょう少掾しょうじょう大目だいもく少目しょうもく各一人づつ、合計六人 大和・河內・伊勢・武藏・上總・下總・常陸・近江・陸奥・越前・播磨・肥後の十三國

 上國 守・介・掾・目各一人づつ、合計四人 山城・攝津・尾張・參河・遠江駿河・甲斐・相模・美濃・信濃・下野・出羽・加賀・越中・越後・丹波・但馬・因幡伯耆・出雲・美作・備前・備中・備後・安藝・周防・紀伊・阿波・讃岐・伊豫・筑前筑後・豐前・豐後・肥後の三十五國

 中國 守・掾・目各一人づつ、合計三人 安房・若狭・能登佐渡・丹後・石見・長門・土佐・日向・大隅・薩摩の十一國

 下國 守・目各一人づつ、合計二人 和泉・伊賀・志摩・伊豆・飛騨・隠岐・淡路・壹岐・對馬の九國

ちなみに諸國のかずは、大寶たいほうの時には、五十八國三島であつたが、淳和じゅんな天皇天長てんちょう年中までに、種々の沿革をて六十六國二島となり、その後、明治維新まで變化へんかなく、維新後、更に諸國の分置ぶんちがあつて、今日こんにちに及んで居るのである。

〔註二〕公廨田及び公廨稻 大寶令たいほうりょうによれば、官吏かんりはその位階や官職によつて職分田しょくぶんでんきゅうされた。その別は、例へば太宰帥だざいのそつは職分田十ちょう大貳だいには六町、少貳しょうには四町、史生しせいは六たんで、大國たいこくかみは二町六段、上國じょうこくの守は二町二段、中國ちゅうこくの守は二町、下國げこくの守は一町六段であつて、こおり大領か みは六町、少領す けは四町、主政じょう主帳さかんは二町であつた。この在外ざいがい(平城京の中央官廳以外に在勤する官吏)國司・郡司等の職分田(職田)を、といつた。

 またとは、租稻そとうの幾部分をき、これを出擧すいこ(稻や錢を貸出して利息を收むること)して利息をおさめ、國衙こくがや諸國の用にきょうせしものをいふ。ほ詳しく說明すれば、公廨く げとは、もと正稅せいぜい公廨稻くげとうを置いて、國の大小におうじて差別を設け、毎年まいねん出擧すいこし、その利益りえき官物かんぶつ缺損けっそん、未納等を補塡ほてんし、その餘分よぶん國司こくし等が處分しょぶんして所得としたものをいふ。その分配方法は、長官が六、次官が四分、判官はんがんが三分、主典しゅてんが二分、史生しせいが一分であつた。すなわ公廨稻くげとうとは、官廳かんちょう出擧すいこの用にきょうせしいねをいふ。

〔註三〕常平倉 常平じょうへいとは穀價こっかを常に平均せしむる意で、民の飢寒きかんを救ひ、兼ねて穀價こっかを平調ならしむるために設けられし倉である。すなわち民間における穀價こっかの平均を得しむるために設けられしもので、穀價こっかの安いときは官でかいよねして、米を倉庫に蓄へ置いてその低落を制し、また穀價こっかたかいときは、これをうりよねして、その騰貴とうきを制するといふ仕組であつた。支那し な漢代かんだいに、しゅう委積いせきに基づいて糶法とうほうり制定せられたもので、爾來じらいしばしば施行しこうせられ、わが國にも中古ちゅうこ以來いらい行はれた。

〔註四〕平準署 飢民きみん賑救しんきゅうと、京中きょうじゅう穀價こっかを平調ならしむるために、この時(天平寶字三年五月)はじめて設けられたものである。左右二署あつて、京中の穀價こっか調節に貢獻こうけんするところ有つたが、この官は寶龜ほうき二年九月乙巳きのとみに至りはいせられた。その由來ゆらいについては、史記し き平準書へいじゅんしょに『均天下郡國輸歛、貴則糶之、賤則買之、平賦以相準輸歸于京都、故命曰』とあり。

【大意謹述】このごろ聞くところによれば、冬になると、町のちかくに、食物たべものに飢ゑた人が多くなるといふことである。どういふわけかと尋ねてみると、皆のいふのには、諸國の貢調こうちょうを運ぶ脚夫きゃくふたちが、あるいは病氣にかかつたり、或は食物たべものがなくなつたりして、郷里きょうりかえることが出來なくなり、うえや寒さに苦しんで居るのであるといふことである。ちんひそかにこれを思ひ、氣の毒にたへない。それで諸國は、今後それぞれ國の大小にしたがひ、應分おうぶん公廨く げき、常平倉じょうへいそうにたくはへて置いて、その時々の穀價こっかたかやすいにしたがつて、便宜べんぎあるいかいよねしたり或はうりよねしたりして利益りえきをあげ、それによつてあまねく郷里にかえらうとする脚夫きゃくふたちのうえやまいの苦しみを救ふやうにせよ。さうすれば、ただ諸國の民をめぐみうるほすばかりでなく、一方においてはまた、京中みやこ穀價こっかを調節することも出來るであらう。その管轄かんかつについては東海・東山・北陸の三どう平準署へいじゅんしょがこれをつかさどり、山陰・山陽・南海・西海の四どうは、平準署へいじゅんしょがこれをつかさどるやうにせよ。

【備考】このみことのりにある糴糶てきとうの制と常平倉じょうへいそうの設置とは、中古時代における社會しゃかい的施設として注目さるべきである。糴糶てきとうの制は、公廨稻くげとうを利用して、時の相場におうじてあるいかいよねし或はうりよねするのであるから、一方に於ては穀價こっかを調節すると共に凶作等の非常時に備へ、他方に於ては賣買ばいばいによる利益りえきげて、官府かんぷの費用にきょうすることが出來て、一きょ兩得りょうとく的な效果こうかぐるものであつた。仁明にんみょう天皇の如きも現に『聞くならく、諸國に糴糶てきとうあり。民に利ありて、おおやけに損しと。今より以後、年限を立てず、永く之を行はしむべし』と奬勵しょうれいせられて居るほどである。(第七十六參照)