47 直言を求むるの勅 淳仁天皇(第四十七代)

直言ちょくげんもとむるのみことのり天平寶字三年五月 續日本紀

朕以煢昧。欽承聖烈。母臨六合。子育兆民。見一物之或違。恨堯心之未洽。聞萬方之有罪。想湯責而多愧。而今大亂已平。逆臣遠竄。然猶天災屢見。水異頻臻。竊恐。聽易隔於黎元。人含冤枉。鑒難周於宇宙。家懷鬱憂。庶欲博採嘉言。傍詢妙略。憑衆智而益國。據群明以利人。宜令百官五位已上。緇徒師位已上。悉書意見。密封奉表。直言正對。勿有隱諱。朕與宰相。審簡可否。不須詐稱聖德。苟媚取容。面弗肯陳。退遺後毀。普告遐邇。知朕意焉。

【謹譯】ちん煢昧けいまいもって、つつしみて聖烈せいれつけ、六合りくごう母臨ぼりんし、兆民ちょうみん子育しいくす。一ぶつたがふあるをれば、堯心ぎょうしんいまあまねからざるをうらみ、萬方ばんぽうつみあるをけば、湯責とうせきおもうてはじおおし。しかして、いまや大亂たいらんすでたいらぎ、逆臣ぎゃくしんとおざんす。しかれども天災てんさいしばしばあらわれ、水異すいいしきりにいたる。ひそかおそる。くこと黎元れいげんへだたやすく、ひとびと冤枉えんおうふくみ、かんがみること宇宙うちゅうあまねかりがたく、いえいえ鬱憂うつゆういだかんことを。ねがはくはひろ嘉言かげんり、かたわ妙略みょうりゃくひ、衆智しゅうちりてくにえきし、群明ぐんめいりてもっひとせんとほっす。よろしく百かん已上いじょう緇徒し と師位し い已上いじょうことごと意見いけんしょし、密封みっぷうしてひょうたてまつり、直言ちょくげん正對せいたいして、隱諱いんいあることなからしむべし。ちん宰相さいしょうともに、つまびらか可否か ひえらばん。いつわつて聖德せいとくしょうし、いやしくびてれらるるをのあたり肯陳こうちんせず、退しりぞいて後毀こうきのこすべからず。あまね遐邇か じげて、ちんらしめよ。

【字句謹解】◯煢昧 けいはひとりぽつち、孤獨こどくまいはおろか、物ごとにくらし、蒙昧もうまいの意 ◯聖烈 れつは大きい事業、またいさをの高きにいふ。いさを高く美くしき先祖をといふ如し。せいは天子にかんする事物の上に加へていふ敬語。すなわ皇祚こうそ、天子の位の意 ◯六合 東・西・南・北・上・下の六方。天地四方、てんじて天下・國家の意 ◯母臨 次の子育しいくたいする語。國の母として民にのぞむ意 ◯兆民 もろもろのくにたみ、億兆おくちょうに同じ ◯堯心 ぎょう堯帝ぎょうていを指す。いにしへの聖天子せいてんし堯帝ぎょうていの心の意で高き君德くんとくをいふ ◯萬方 四方八方、國中くにじゅうどこにでもの意。(次項を參照せよ) ◯湯責と想ふ 書經しょきょう湯誥とうこうに『有罪、在予一人』とある如く、とうが自ら身を責めし心事しんじを思うて、おの不德ふとくづとおおせられしもの ◯大亂 天平寶字ほうじ元年六月に起りし『橘奈良麻呂の亂』を指す。詳くは第四十五の〔註一〕を見よ ◯竄す にげる、逃げかくれる。逃竄とうざん ◯天災 天然自然のわざはひ、天災地變ちへん ◯水異 水の異變いへんすなわち洪水。おほみづ、大雨たいう ◯黎元 くにたみ。人民、黎庶れいしょ黎首れいしゅに同じ ◯冤枉 えん無實むじつの罪、ぬれぎぬをること。おう事實じじつをまげること、歪曲わいきょくする ◯宇宙 天のおおふ所をといひ、地のるところをちゅうといふ。てんじて天地、天下、國家の意 ◯鬱憂 憂鬱ゆううつに同じ、がふさがる。氣がはればれしないこと ◯嘉言 よき言葉、眞實しんじつことば ◯妙略 妙案みょうあんに同じ、すぐれてよき考へ。たくみなるはかりごと ◯衆智 多衆たしゅう智識ちしき、多くの人の智慧ち え ◯群明 群衆の明智めいち ◯緇徒 墨染すみぞめの衣、緇徒し と黑衣こくいちゃくせるもの、てんじて僧侶をいふ ◯師位 貞觀じょうかん六年二月十六日の癸酉紀きゆうきに『僧位之制本有三階、滿位法師位大法師位是也』とあり。すなわ滿位まんい法師位ほっしい大法師位だいほっしいをいふ。ほ〔註一〕大寶令たいほうりょう佛敎ぶっきょう制度を參照せよ ◯直言 信ずることをまつすぐ言ふ ◯隱諱 いみかくす ◯宰相 君主を輔弼ほひつ大政たいせい總理そうりする官、丞相じょうしょう。ここでは大寶令たいほうりょう官制かんせいによる八省卿しょうきょう以上を指されしものか。すなわ太政大臣左大臣・右大臣・八省卿しょうきょう ◯聖德 天子の德 ◯稱す ほめたたへること ◯媚び こびへつらふ、おもねりへつらふ ◯肯陳 あへてべる。押しきつて言ふこと ◯退いて後毀を遺す 目の前では何にも言はず、あとでかげぐちをいふこと。この語は第二十八の『汝無面從退有後言』と全く同義である ◯遐邇 とほきとちかきと、遠近。とはあまねく全國にの意。

〔註一〕大寶令の佛敎制度 治部省の被管に玄蕃寮(玄は僧侶、蕃は外蕃の意)といふのがあつて、外國にかんすること及び全國の佛寺ぶつじ僧尼そうに名籍めいせき等をつかさどつた。僧尼にかんする規定は、特に僧尼令そうにりょうがあり、僧尼の身分・特權とっけん・職務・刑事上の特別取扱等が制定せられてある。師位し いについては、すでに前に述べたが、大寶令たいほうりょうの僧侶の職名に國師こくしといふのがあり、國毎くにごとにこれを置き、國內の僧尼をかんし、布敎ふきょうを司どらしめた。文武もんぶ天皇大寶たいほう二年二月、これを諸國に置けるを最初とする。くだつて桓武かんむ天皇延曆えんりゃく二年十月、國師こくし員數いんずうを改め、大國たいこくおよび上國じょうこくには各大國師だいこくし一人・小國師しょうこくし一人づつ、中國ちゅうこくおよび下國げこくには各々國師一人づつとしたが、同十四年八月、國師のしょうを改めて講師といひ、國の等級によらず、國毎くにごとに一人と定められた。

【大意謹述】ちんおろかなる身をもつて天子の位にき、國の母として民に臨むにあたり、つねに民を子の如くに愛しいつくしむことに、心をくだいて居る。何か一つでも間違つたことがあれば、堯帝ぎょうていのやうな高い君德くんとくがまだ朕の身に備はらない結果ではあるまいかと、自分自身をかえりみ、また國のどこかに罪人が出たといふことを聞けば、いんの明君湯王とうおうの故事などを想ひ出して、まことに恥かしき次第である。もはや橘奈良麻呂たちばなのならまろ大亂たいらんもすでに平らぎ、逆臣ぎゃくしんは遠くへ逃げ去つたが、なほ天災がたびたび起り、ことに水害が多くて心痛にたへない。朕がひそかに心配することは、朕と人民との間がへだたりやすく、人々は事變じへんをまげゆがめて朕の耳に入れるので、朕の考へることがあるいは天下に通用せず、そのために人民のがふさがり、憂ひ悲しむやうなことがありはしまいかといふことである。それでひろく一般からよい言葉を採り、かたがた政治の妙案みょうあんの參考ともして、衆智しゅうちによつて國をえきし、群衆の明智めいちによつて、民の利益りえきを計らうと思ふ。五已上いじょうの諸役人や、師位し い已上いじょうの僧侶は、みなことごとく各自の意見を書き記し、密封みっぷうしてこれを朝廷に差し出し、信ずるところを遠慮なく言上ごんじょうするやうにして、決していみかくしたりなどしてはならぬ。さうすれば朕は、宰相さいしょうとともに詳しく調査して、そのしをえらび定めるであらう心にもなく、いつはつて君德くんとくをほめたたへたり、あるいはこびへつらつて、朕の目の前では直言ちょくげんせず、あとでかげぐちをいつたりするやうなことがあつてはならぬ。この旨をあまねく遠近のものに告げて、朕の意を知らしめるやうにせよ。

【備考】このみことのりは五月九日(申戌)に下されたのであるが、これにたいする百かん及び師位し いの僧の答申とうしんについて、しょく日本紀ひほんぎ第二十二かん淳仁じゅんにん天皇天平寶字ほうじ三年六月のくだりに、次の如き興味ある記述がある。

 六月二十二日(丙辰)、この日、百かん及び師位し いの僧、去る五月九日のみことのりほうじ、各封事ふうじたてまつつて以て得失とくしつぶ。

しょう中納言けん文部卿もんぶきょう神祇伯勳しんぎのはっくん十二とう、石川朝臣あそん年足としたりそうしていわく『しん聞く、かんを治むるのもとは、かならりつりょうり、まつりごとすのもとは、すなわきゃくしきもちふるにありと。方今ほうこん科條かじょうきん篇簡へんかんあらはすといえども、別式べっしきぶん、未だ制作らず。してふ、別式べっしきを作りて律・令とならび行はせられむことを』

參議さんぎじゅ出雲守いずものかみ文室眞人ふむやのまひと智奴ち ぬ及び少僧しょうそう都慈づ じ訓奏くんそうすらく『しておもんみるに、天下の諸寺、毎年まいねん正月に悔過かいかすること、ようやく聖願せいがんもとりて、つい功德くどくあらず。何となれば、護國ごこくを修行するは、僧尼そうにの道にして、今あるいつて寺にらずして、官供かんぐを七に計り、あるい兼得けんとくむさぼはかり、空名くうめい兩處りょうしょあらわすものあり。これよっそしり三ぽうに及び、施主せしゅえき無し。して願はくは今より以後、官の布施ふ せめて、貪僧どんそうをして、ねがひ望むところからしめ給はむことを』

參議さんぎじゅ氷上眞人ひかみのまひと鹽燒しおやきそうすらく『しんしておもんみるに、三おう已下い か春秋しゅんじゅう祿ろくを給ふは、王親おうしんあわれみて、いま上日じょうにちを計ること、おみかばねことならず。してふ、りょう優給ゆうきゅうして、上日じょうにちを求むるなからしめられむことを』

 ならび所司しょしして施行せこうす。その緇侶しりょの意見、ほぼ漢風からぶりりて、わがぞくほどこすこと多くおだやかならず。官符かんぷを下すといえども、世に行はれず。ゆえつぶさにはせず、云々うんぬん

と。