39 恩赦の勅 聖武天皇(第四十五代)

恩赦おんしゃみことのり天平十二年六月 續日本紀

朕君臨八荒奄有萬姓。履薄馭朽。情深覆育。求衣忘寢。思切納隍。恒念。何答上玄。人民有休平之樂。能稱明命。國家致寧泰之榮者。信是被於寬仁。挂網之徒。保身命而得壽。布於鴻恩。窮乏類。脫乞微而有息。宜大赦天下。

【謹譯】ちん八荒はっこう君臨くんりんして、萬姓ばんせい奄有えんゆうす。はくみ、きゅうぎょし、こころ覆育ふくいくふかし。ころももとめてしんわすれ、おも納隍のうこうせつなり。つねおもへらく、いかにして上玄じょうげんこたへ、人民じんみん休平きゅうへいたのしみあり、明命みょうめいかなへ、國家こっか寧泰ねいたいさかえいたさむと。まこと寬仁かんじんこうむらば、挂網けいもう身命しんめいたもちてじゅ鴻恩こうおんかば、窮乏きゅうぼうたぐい乞微こっびだっしていこふことあらん。よろしく天下てんか大赦たいしゃすべし。

【字句謹解】◯八荒 四方八方。八方の遠いはて、てんじてひろく天下・國家の意に用ふ。八こう・八ぴょう・八がい等に同じ。賈誼か ぎ過秦論かしんろんに『併呑』とある ◯君臨 きみとして天下國民に臨む。すなわち一國の君主となつて、その國土人民をべ治める ◯萬姓 すべての國民。萬民ばんみん萬生ばんせい百姓ひゃくせい等に同じ ◯奄有 おほひたもつ、占有する ◯薄を履み 薄氷はくひょうむとの故事に出でしもので、極めてあぶなきことのたとえである。詩經しきょう小雅しょうが小旻しょうびんに、『戰戰兢兢、如臨深淵、』とあり、また同書小雅しょうが小苑しょうえんにも、『戰戰兢兢、』とある ◯朽を馭し さくすの故事に出でし語であつて、くさつたなわを以て驚き易い六頭の馬を使ふことははなはだ難しく危險きけんであるの意、てんじて危險きけんおそるべきことにたとふ。『一髪引千鈞』と同義。書經しょきょうに『予臨兆民、凛乎若索之六馬』とあり ◯ こころ、まごころ、またなさけの意 ◯覆育 おほひ育てる。天地が萬物ばんぶつをおほひ育てるやうに天子が萬民ばんみんをいつくしみ育てたまふ意 ◯納隍 溝の中に推し入るることで、人を苦しむる意。班固はんこ東都賦とうとのふに『人或不得其所、若己之於也』とあり ◯上玄 天の神、隋書ずいしょに『受命、廓淸區宇』とあり ◯休平 きゅうはよろこび、さいはひ、けいの意。周語しゅうごに『以承天』とあり。すなわち天下の太平をよろこぶこと ◯明命 天から授かりし命令、休命きゅうめい・天命に同じ。大學だいがくに『顧諟天之』とあり ◯寧泰 おだやか、やすらか、寧康ねいこう安泰あんたいに同じ ◯寬仁 心が大きくひろくて、あはれみのあること ◯挂網の徒 法にふれごくにつながれて居るともがら。けいはかかる、ひつかかる意 ◯ いのちながし、ながいきすること ◯鴻恩 おおいなるめぐみ、大恩たいおん洪恩こうおんに同じ。呉越春秋ごえつしゅんじゅうに『蒙大王』とあり ◯窮乏の類 まづしく貧乏な人々 ◯乞微 人のほどこしを願ふやうな身分のいやしい微賤びせんのもの ◯息ふ いこふ、やすむ、つかれを休める ◯大赦 天子がる特別な場合(卽位・大喪または祈願等の)に、恩德おんとくを一般の罪人にれ給うて、輕罪けいざい放免ほうめんし、重罪は減刑せられる非常の恩典おんてんをいふ。

【大意謹述】ちん天子として國土人民に臨み、天下をべ治むるにあたり、つねに朕の不德ふとくをおそれては、びくびくとしてうすい氷をむやうな心地がするし、またくさつたなわを以て馬をぎょするやうな不安を感じ、いつも民をいつくしみ育てることについて、心配をして居る。民を思へば夜も安心してねむることが出來ず、朕の政治が惡くて人民を苦めてはゐないかといふことを、つねに恐れ心配をして居る。それで、どうしたならばよく天の神に答へ、人民はよろこびたのしみ、國家はやすらかに富みさかえて、朕の天命をまっとうすることが出來るだらうかといふことを、いつも思ひわずらつて居る。それにはづ、寬大かんだい仁政じんせいをほどこしたならば、法にふれごくにつながれて居るものたちも、命を保つてなが生きすることが出來るであらうし、また君主としての大きななさけを民にあたへたならば、まづしく貧乏して居る人々も、他人のほどこしをふやうなことはしなくてすむであらうし、民を安心させることが出來るであらう。それで天下に大赦たいしゃして罪を許し、民を安心させるやうにせよ。