35 民の疾苦を問ふの詔 聖武天皇(第四十五代)

たみ疾苦しっくふのみことのり天平六年四月 續日本紀

比日天地之灾。有異於常。思朕撫育之化。於汝百姓有所闕失歟。今故發遣使者問其疾苦。宜知朕意焉。

【謹譯】比日このごろ天地てんちわざわいつねことなることあり。おもふにちん撫育ぶいくなんじ百姓ひゃくせいおい闕失けっしつするところあるならんいまことさら使者ししゃ發遣はっけんして、疾苦しっくはしむ。よろしくちんるべし。

【字句謹解】◯比日 このごろ ◯天地の灾 さいは災の古字、わざはひ。天地自然のわざはひ。〔註一〕をみよ ◯常に異る 平常へいぜいとちがつて不穩ふおんのさまがある ◯撫育 いつくしみそだてる、でるやうに愛しいたはつて養ひそだてること ◯百姓 もろもろのくにたみ、天下一般の人民をいふ ◯闕失 あやまち、とが。けつけつに同じくかけ失ふ。すなわち足らずしてゆきとどかざるをいふ ◯故に ことさらに、わざと、わざわざ。史記し き信陵君傳しんりょうくんでんに、『朱亥不復謝』とあり ◯發遣 はっつかわすこと、いだしつかはす ◯疾苦 なやみ、くるしみ、なんぎ、苦痛に同じ。

〔註一〕天地の灾 天平六年(皇紀一三九四年)四月七日の地震を指されしもの。この月下されしみことのりうち

 今月七日の地震常にことなり、恐ろしく山陵さんりょう動く。

とある。ことにこの前年らい、皇后(光明皇后と申し上げ、淡海公藤原不比等の第三女、天資仁慈にましまし、悲田、施藥の兩院を設けて、天下の飢病を救はれしは史上有名である)大病にかからせられ、この災厄さいやくのちにまた地震があつたので、生來せいらい佛敎ぶっきょうを信じたまふことおんあつかりし天皇には、特にこのみことのりを下して民の疾苦しっくを問ひたまひしものとはいす。

【大意謹述】このごろ天地のわざはひが多く、地震なども起り、何となく不穩ふおんのけはひがある。思ふにこれは、ちんの德が足らず、民をいつくしみそだてることに、行きとどかぬてんがあつたからではあるまいか。それで今、特に使者をつかはして、民のなやみ苦しみを視察し問はしむることとする。諸役人はよく朕の心を知り、それにふやうにせよ。