33醫藥を施すの詔 聖武天皇(第四十五代)

醫藥いやくほどこすのみことのり(神龜三年六月 續日本紀

夫百姓或染沈痼病。經年未愈。或亦得重病。晝夜辛苦。朕爲父母。何不憐愍。宜遣醫藥於左右京四畿及六道諸國。救療此類。咸得安寧。依病輕重。賜榖賑恤。所司存懷勉稱朕心焉。

【謹譯】百姓ひゃくせいあるい痼病こびょう染沈せんちんし、としいまえず。あるい重病じゅうびょうて、晝夜ちゅうや辛苦しんくするものあり。ちん父母ふ ぼたり。なん憐愍れんみんせざらんや。よろしく醫藥いやく左右京さゆうきょう、四および六どう諸國しょこくつかわし、たぐい救療きゅうりょうして、安寧あんねいしめ、やまい輕重けいじゅうり、こくたまひて賑恤しんじゅつすべし。所司しょしこころそんし、つとめてちんこころかなへよ。

【字句謹解】◯百姓 もろもろのくにたみ、一般人民をいふ。億兆おくちょうに同じ ◯痼病 ぢびやう、ながくなほらないやまひ。痼疾こしつ宿痾しゅくあに同じ、不治の病氣 ◯染沈 せられてうつること。すなわ布帛ふはくるいに、色の染まるやうに、また水に物の沈むやうに病に感染するをいふ ◯朕父母たり 天子が人民にたいして父母ちちははの如き關係かんけいにあるをおおせられしもの。歷代天皇詔勅しょうちょく中、この語しばしばはいするのであるが、これはわが國の君民くんみん關係かんけいにおいてのみ見ることである ◯憐愍 あはれむこと、ふびんに思ひあはれむ。れんみんも共にあはれむ意 ◯左右京 左京と右京と。平城京ならのみやこの中央を南北に通ずる朱雀すざく大路おおじさかいとして、みやこを東と西とに二分し、その東方地區ち くを左京とよび、西方を右京と呼んだ。詳しくは第三十の〔註一〕左右兩京の項をみよ ◯四畿 とはみやこに近き朝廷に直隷ちょくれいする地をいふ。すなわ平城京ならのみやこ周圍しゅういにある大和・河內・和泉・攝津せっつの四ヶ國を四といふ ◯六道 どうとは畿內きないから通ずる道路によつて、全國內を大別したる稱呼しょうこで、六どうとは東山とうさん・東海・山陰・山陽・南海・西海せいかいをいふ ◯救療 救ひ治療して病をいやすこと、病氣をなほすこと ◯安寧 やすらかなること。また安んずること、ねいはやすらかにして病なきをいふ ◯賑恤 にぎはしめぐむこと、すなわちあはれみほどこしてゆたかならしめること ◯所司 所司しょしの官職については、時代によつて相違がある。すなわ鎌倉時代には侍所さむらいどころの次官を所司といひ、足利時代には侍所の長官を所司といつた。大寶令たいほうりょうには所司といふ官職はないが、八しょう(中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大藏・宮內)の被管ひかん(その官廳に附屬する役所又は役人。上官に附屬直隷する官で、省の下に管せらるる寮司などの如きをいふ)につかさがある。例へば兵部省ひょうぶしょうの被管に兵馬司ひょうめのつかさ造兵司ぞうへいのつかさ鼓吹司こすいのつかさ主船司しゅせんのつかさのある如きである。その司もしくは國司こくし郡司ぐんじ等の意か。

【大意謹述】聞くところによれば、人民の中には不治のやまひに感染して、何年たつても全快せず、あるいはまた重い病にかかつて、夜もひるも苦しみなやんで居るものがあるといふことである。ちんは人民の父母である。どうしてこれをあわれまずにられようか。みやこの左京・右京と、畿內きない四ヶ國および六どう諸國に醫者いしゃをつかはし、これ等の病人を救ひ治療して、病をいやし安心させ、また病の輕重けいじゅうによつてそれぞれ應分おうぶん榖物こくもつあたへ、彼等をにぎはしねぎらふやうにせよ。諸役人はよく心をここに用ひ、朕の意にふやうに勉めよ。