30 調役を免ずるの勅 元正天皇(第四十四代)

調役ちょうえきめんずるのみことのり(養老五年三月 續日本紀

朕君臨四海。撫育百姓。思欲家々貯積。人々安樂。何期。頃者旱澇不調。農桑有損。遂使衣食乏短。致有飢寒。言念於茲良增惻隱。今減課役。用助產業。其左右及畿內五國。並免今歳之調。自餘七道諸國。亦停當年之役。

【謹譯】ちん四海しかい君臨くんりんして、百姓ひゃくせい撫育ぶいくし、家々いえいえ貯積ちょせきし、人々ひとびと安樂あんらくならんことをおもほっす。なんせん。頃者このごろ旱澇かんろう調ととのはず、農桑のうそうそんずるあり。つい衣食いしょく乏短ぼうたんにして、饑寒きかんあるをいたさしむ。ここれをおもひて、まこと惻隱そくいんせり。いま課役かえきげんじ、もっ產業さんぎょうたすけん。左右さゆう兩京りょうきょうおよ畿內きないの五こくは、ならび今歳ことし調ちょうめんじ、自餘じ よの七どう諸國しょこくも、當年とうねんえきとどめよ。

【字句謹解】◯四海 四方よ ものうみ、國の四方のはて、てんじて天下の義 ◯君臨 君主として臨む。天子としてその國土人民を治めすべること ◯百姓 もろもろのくにたみ、ひろく一般人民をいふ、億兆おくちょうに同じ ◯撫育 なで育つる。かはいがりそだてること ◯貯積 たくはへつむこと。財物ざいもつをゆたかにもつて居る意 ◯旱澇 かんはひでり、久しく雨ふらず。ろうはながあめ、おほみづ、ろうに同じ。すなわ旱澇かんろうはひでりつづきと雨多きと。共に作物に害あり。宋史そうしに『雨雪、軍民皆有給』とあり ◯農桑 農作物とくわの意で、農業と養蠶ようさん業をいふ ◯衣食乏短 しょくとぼしくころもみじかき意。すなわち衣食に缺乏けつぼうし不自由すること ◯饑寒 うゑこごえる ◯惻隱 あはれむ、あはれみ。そくいたみの切なること、いんいたみの深きこと。孟子もうし公孫丑こうそんちゅうに『之心、仁之端也』とある ◯課役 えきえだち、國家の土木工事などに使役しえきせらるること、力役りきえきぜい、ぶやく(夫役)、國民を徵發ちょうはつして公用に使役する。えだちは役立えだちの意。すなわ課役かえきはえだちに徵發ちょうはつする、ぶやくを課する意 ◯左右兩京 〔註一〕を見よ ◯畿內五國 山背やましろ・大和・河內・和泉・攝津せっつの五國をいふ。ほ畿內五國に就ては古書に『五疑當作四、案先是置芳野・和泉二監、此後往々書四畿內二監或芳野・和泉四畿內云々、至寶字元年五月、和泉又分立爲國、其七年正月紀云、役使造宮、左右京云々、可見和泉分立後始有之稱矣』とみゆ ◯調 むかし正丁せいてい各一にんより、その土地の狀況じょうきょうしたがひ、定規ていき布帛き れまたはその他のものを官に納めしもの、みつぎ。詳しくは第二十の〔註二〕調を見よ ◯七道 東海・東山とうさん・北陸・山陰・山陽・南海・西海せいかいの七道をいふ。

〔註一〕左・右兩京 平城京ならのみやこ朱雀すざく大路おおじ(大內裏の外郭の朱雀門から羅城門に至るまで南北に通じたる大路)を中心として、平城京兩分りょうぶんし、その東の地區ち くを左京といひ、西の地區を右京と呼んだ。大寶令たいほうりょうによれば、京師けいしには特別市制を布き、京職きょうしきを置いた。京師を右の如く左京・右京の二區をわかち、左京を司どるを左京職さきょうしき、右京を管するを右京職うきょうしきといひ、その司どるところ、普通の國司こくしことなてんは、國司の職には、郵驛ゆうえき傳馬てんま烽侯ほうこう城牧じょうぼく公私こうし馬牛ばぎゅうを司どる定めがあつたが、京職きょうしきにはこれがなく、これに代るに市廛してんを制するの職があり、兩京職にはいづれも大夫たゆうすけ大進たいしん少進しょうしん大屬たいぞく少屬しょうぞく等の官位があつた。平城京ならのみやこを左・右兩京に分ち、じょうぼうの制を立てたことは、ほぼのち平安京(今の京都)とあいたものであつたらしく、平城京ならのみやこ大內裏だいだいりの所在地は、いまの生駒郡(舊添上郡)都跡村みやこあとむら大字おおあざ佐紀さ きの地にあたり、東西八丁・南北八町の地區であつたといふ。現今の奈良市は、古昔いにしえ平城京ならのみやこの左京の京外きょうがいあたる所で、東大寺興福寺こうふくじ元興寺がんごうじ等の大寺たいじが、その間にあいつらなつて居る。

【大意謹述】ちん天子の位にのぼり、天下を治め民に臨むに就ては、よく人民を愛し、家々のたくはへをゆたかならしめ、人々を安樂あんらくにせねばならぬといふことを、つねに思ひわづらつて居る。しかるに、はからずも近年氣候きこうが不順で、ひでりやなが雨などのために、農作物のうさくぶつや桑などが害をうけ、そのために衣服や食物が不足して、民にゑこごえるものさへあるに至つた。これを思へば、まことに氣の毒にたへぬ次第である。そこで民の產業を助くるために、みつぎや、ぶやくを減ずることにする。すなわ平城京ならのみやこの左京・右京と、畿內の五國は、いづれも今年の調みつぎを免じ、その他の七どう諸國は、いづれも今年のぶやくを免ずるやうにせよ。

【備考】このみことのりにおいて『このごろ旱澇かんろう調ととのはず、農桑のうそうそんするあり』とおおせられて居るのは、おそらくその前年、すなわち養老四年庚申かのえさるの年の凶作をお指しになつたものと拜察はいさつされる(第二十九參照)。前には『身は紫宮しきゅうれども心は黔首けんしゅにあり』(第二十八)、『朕が心恐懼きょうくすること日夜まず』(第二十九)と仰せられ、今また『れをおもひてまこと惻隱そくいんせり』と仰せられて居るのに見ても、打ちつづく灾異さいいと凶作とに、天皇がいかに宸襟しんきんなやましたまひしかをはいすることが出來て、まことにかしこき次第である。