27 文武の庶僚に下し給へる詔 元正天皇(第四十四代)

文武ぶんぶ庶僚しょりょうくだたまへるみことのり(養老五年正月 續日本紀

至公無私國士之常風。以忠事君臣子之恆道焉。當須各勤所職退食自公。康哉之歌不遠。隆平之基斯在。灾異消上。休徵叶下。宜文武庶僚。自今以去若有風雨雷震之異。各存極言忠正之志。

【謹譯】至公しこうにして、わたくしなきは、國士こくし常風じょうふうなり。ちゅうもって、きみつかふるは、臣子しんし恆道こうどうなり。まさすべからく各々おのおのしょくとするところつとめ、退食たいしょくこうよりすべし。康哉こうさいうたとおからず、隆平りゅうへいもといここり。灾異さいいかみえ、休徵きゅうちょうしもかなはん。よろしく文武ぶんぶ庶僚しょりょういまより以去いきょ風雨ふうう雷震らいしんあらば、各々おのおの極言きょくげん忠正ちゅうせいこころざしそんすべし。

【字句謹解】◯至公 はいたつて、おほいに、きはめて。こうは正しくして偏頗へんぽのないこと、私の反對はんたい無私む ししてあからさまで正しきこと、公平・公正・公明正大。すなわちいたつて公明正大なること ◯ わたくし。公明正大の反對、公明ならざること、かたておち、ないしよごと、自己のみの利益りえきをはかること ◯國士 才德さいとくの一國をふ名士。國中こくちゅうにてすぐれたる人士じんし、國家を以て心とする人、天下の名士、すぐれたる人。史記し き刺客傳せきがくでんに出づる語、ちゅうに『謂一國之內所共推爲才士也』とあり ◯恆道 つねのみち、一定にして永久にかわらぬ道 ◯退食自公 朝廷から退下たいげし私宅にかへつて食事するを退食たいしょくといふ。てんじて官吏かんりが務めを終へて自宅にかえり休息する義。詩經しきょう召南篇しょうなんへんに『退、委蛇委蛇』とあり ◯康哉の歌 書經しょきょう益稷篇えきしょくへんに『股肱良哉、庶事』とあるに出でし語。天下の泰平を謳歌する義 ◯隆平 さかんにして平和なること、隆泰りゅうたいに同じ ◯灾異 さいさいに同じ。天の略 ◯休徵 きゅうは美の意、美し、よろし、よろこび、さいはひ。すなわちよきしるし、めでたきしるし。休兆きゅうちょうに同じ。漢書かんじょ帝紀せいていきに『嘉應、頌聲竝作』とあり ◯文武 文官と武官 ◯庶僚 しょはもろもろ、多くの。りょう官吏かんり、役人。すなわちもろもろの役人たち ◯極言 言葉をきはめて云ふ、充分にいひつくす ◯忠正 忠はまめ、まめやか、まこと、まごころ、己のまことをつくすこと。すなわちまめやかにして正しい、まことにして正しいこと。潜夫論せんぷろんに『人臣者以爲本』とあり。

【大意謹述】きはめて公正にしてわたくしのないのは國士のつねであつて、まごころをもつてきみに仕へるのは、臣子しんしのつねの道である。ゆえによろしく各自は、その職務をはげみ、公私を明らかにして、まづ公事こうじを先にし、私事し じを後にすべきである。さうすれば、やがて世は治まり、泰平の御代み よを謳歌する人民の喜びの歌聲うたごえも聞ゆるであらうし、國家が富みさかえてやすらかになるもといともなり、また天災地へんもなくなり、すべてのことが國家安泰のよき前兆となるであらう。それで文武の百官よ、今後もし暴風や大雨や雷鳴や地震などの天災地へんがあつたならば、それは政令よろしきを得ないための天譴てんけんであると思ひ、まごころから言葉をつくしいさめることを心掛けよ。

【備考】このみことのりは養老五年(皇紀一三八一年)の正月、朝賀ちょうがに際し、參集さんしゅうせる文武ぶんぶかん御戒飭ごかいちょくあそばされたのであるが、特に『至公しこうにしてわたくしなきは』云々うんぬんと、公正無私をおさとしになつて居るのは、當時とうじややもすれば公卿く げ諸臣が、わたくしのために民利みんり壟断ろうだんせんとするふうが見えてゐたからであらう。また風雨雷震らいしん等の灾異さいいを、政令よろしきを得ないための天譴てんけんとなされてゐることは、同年二月のみことのり(第二十九參照)において

 王者おうしゃの政令、事に便べんならざれば、天地譴責けんせきして以て咎徵きゅうちょうを示す

と仰せられてゐることによつても明らかである。