25 麥禾を兼ね種うるの詔 元正天皇(第四十四代)

麥禾ばくかうるのみことのり(靈龜元年十月 續日本紀

國家隆泰。要在富民。富民之本。務從貨食。故男勤耕耘。女脩絍織。家有衣食之饒。人生廉耻之心。刑措之化爰興。太平之風可致。凡厥吏民豈不勖歟。今諸國百姓未盡產術。唯趣水澤之種。不知陸田之利。或遭澇旱。更無餘榖。秋稼若罷。多致饑饉。此乃非唯百姓懈。固由國司不存敎導。宜令百姓。兼種麥禾。男夫一人二段。凡粟之爲物。支久不敗。於諸榖中。最是精好。宜以此狀。遍告天下。盡力耕種。莫失時候。自餘雜榖。任力課之。若有百姓輸粟轉稻者。聽之。

【謹譯】國家こっか隆泰りゅうたいは、そのようたみますにり。たみますのもとは、つとめて貨食かしょくしたがふ。ゆえおとこ耕耘こううんつとめ、おんな絍織じんしょくおさむ。いえ衣食いしょくあまりあれば、ひと廉耻れんちこころしょうじ、刑措けいおくここおこり、太平たいへいふういたすべし。およ吏民りみんつとめざらんや。いま諸國しょこくの百せいいま產術さんじゅつつくさず。水澤すいたくしゅうながして、陸田りくでんらず。あるい澇旱ろうかんはば、さら餘榖よこくなく、秋稼しゅうかまば、おお饑饉ききんいたさん。すなわだ百せいおこたりのみにあらず。もとより國司こくし敎導きょうどうそんせざるにる。よろしく百せいをして麥禾ばくかゑしむること、男夫だんぷ一人ひとりごとに二たんならしむべし。およあわものたる、ひさしきをささへてすたらず、諸榖しょこくうちおいて、もっと精好せいこうなり。よろしくじょうもっあまね天下てんかげ、ちからつくして耕種こうしゅし、時候じこううしなふことかるべし。自餘じ よ雜榖ざっこくは、ちからまかせてこれせよ。し百せいあわいたし、いねてんずるものあらばこれゆるせ。

【字句謹解】◯隆泰 さかんになり安らかに治まる ◯貨食 財貨ざいか食物しょくもつ、『つとめて貨食かしょくしたがふ』は各人がその業務にいそしみはげむこと ◯耕耘 たがやしくさぎること、農作をする意 ◯絍織 はたを織ること、前の耕耘こううんたいす「耕耘こううん絍織じんしょく」に就ては、北史ほくし蕭大圜傳しょうだいかでんに『侍兒五三、可充、家僮數四、足代』とあり、絍織じんしょくまたは織絍しょくじんに同じ ◯衣食の饒り じょうはゆたかに充分であまりあること、衣服や食物たべものがゆたかであまりある意 ◯廉耻 れんは心がきよくていさぎよきこと。心きよくして恥を知ること、すなわ性行せいこういさぎよくして節義せつぎを重んずる意 ◯刑措の化 刑措けいおくとは民、法をおかさず、刑廢けいはいして用ひざる義。史記し きに『成康之際、天下安寧、四十餘年不用』とある。敎化きょうか德化とっか・風習、ならはしの意 ◯吏民 は人を治むるもの、すなわ官吏かんり・役人。役人と人民 ◯勖む つとむ、勉む。人をはげまし勉めしむる ◯產術 生產のすべ、てだて。ここでは農作の方法の意 ◯水澤の種 水田からとる種、すなわいね ◯陸田 はたけ、はた、はたはた養老ようろう三年九月に『詔給天下民戸一町以上二十町以下、輸地子段粟三升』と見ゆ ◯澇旱 ろうろうに通じ、ながあめ・大雨、また行潦にわたずみ(雨が降つて地上に溜り流るる水、路上流水)。かんはひでり、久しく雨ふらず。すなわ澇旱ろうかんはながあめとひでりの意 ◯餘榖 あまりの榖物こくもつ、榖物のたくはへ ◯秋稼 とりいれたいして榖類こくるいを植ゑつけること、てんじて植ゑつけたる榖物、すなわ秋稼しゅうかは秋のとりいれ ◯饑饉 不作・凶作のために食物しょくもつ缺乏けつぼうすること ◯ おこたり、なまける ◯國司 むかし諸國におかれし地方官。かみすけじょうもく等の職員あり、その廳所ちょうしょ國衙こくがといひ、その治所ちしょ國府こくふと呼んだ。詳しくは第二十一〔註一〕を參照せよ ◯敎導 おしへ導くこと ◯麥禾 むぎあわとをいふ ◯敗らず 腐敗しない、くさらない ◯精好 すぐれてよい ◯輸す いたすに同じ、物を送りはこぶこと。ここでは輸貢ゆこうすなわちみつぎを送りはこぶ意。

【大意謹述】國家をさかんにしてやすらかならしむるためには、まづ人民を富ませねばならぬ。民を富ませるためには、財產や食物しょくもつゆたかにせねばならぬ。そこでむかしから男子は農業をはげみ、女子ははたを織るのである。家に衣食いしょくの貯へが充分であれば、人間は恥を知る心を生じ、したがつて罪人を罰するための刑法などは要らないやうな世の中となり、天下は太平となるであらう。これを思へば役人も、人民も各々おおおのその職務に勉勵べんれいせずにはられぬはずである。しかるにいま諸國の百せいを見るに、いまだ耕作の方法を充分にはつくしてらず、ただ水田ばかり作つて、はたけ利益りえきを知らない有樣ありさまである。それでなが雨や旱魃ひでりへば、たちまたくわへの榖物はなくなり、秋の收穫しゅうかくが無いと、たいてい饑饉ききん見舞み まはれちである。之はただ百せいがなまけ怠つて居るからのみではなく、言ふまでもなく國司こくし敎導きょうどうが、よろしきを得てゐないからである。今後は百せいをして田とはたけとを兼ねつくらしめ、男子一人について二たんむぎあわとをゑさせるやうにせねばならぬ。あわの如きは、ながく保存しても腐敗するやうなことがなく、諸榖の中で最もよいものである。かやうな次第であるから、よくこのことを天下に告げ、力をつくして耕作のぎょうはげみ、季節を失はないやうにせねばならぬ。ほその他の雜榖ざっこくは、それぞれ百せいの力におうじて、これをするやうにせよ。もし百せいの中で、いねの代りにあわみつぎとして納めたいと願ひ出るものがあつたならば、これを許すやうにせよ。

【備考】元明げんみょう天皇は、和銅わどう七年六月、親王おびとしんのう(後の聖武天皇)を立てて皇太子とせられたが、當時とうじ太子御年おんとしわづかに十四歳、幼冲ようちゅうにましましたので、その翌八年(皇紀一三七五年)九月、位を氷高ひだか親王ないしんのうゆずりたまうた。親王ないしんのう草壁くさかべ太子たいし御女おんじょにして、文武もんぶ天皇御姉おんあねにいまし、すなわち第四十四代元正げんしょう天皇であらせられる。

 天皇卽位そくいのはじめ、和銅わどう八年九月、左京職さきょうしきから瑞龜ずいき獻上けんじょうしたので、これにちなんで年號ねんごう靈龜れいき改元かいげん和銅わどう八年をもつて靈龜れいき元年とせられ、天下にれいして大赦たいしゃほどこしたまひ、また鰥寡かんか孤獨こどく救恤きゅうじゅつし、あまねく孝子こうし節婦せっぷを表彰せられたが、更に同年十月、すなわちこのみことのりを下して、百せい陸田りくでんの利をおしへ、麥禾ばくかを兼ね植ゑしめられたのである。