24 諸寺の田野を多く占むるを禁ずるの詔 元明天皇(第四十三代)

諸寺しょじ田野でんやおおむるをきんずるのみことのり和銅六年十月 續日本紀

諸寺多占田野。其數無限。宜自今以後。數過格者皆還收之。

【謹譯】諸寺しょじおお田野でんやめ、すうかぎし。よろしくいまより以後い ごすうきゃくぐるものは、これ還收かんしゅうすべし。

【字句謹解】◯田野 野山や田畑 ◯ きやく。王朝時代にりつりょうを執行するため、時勢におうじて臨時にはっせられた命令をいふ、「三だいきゃく」といふ如し。のり、規則 ◯還收 をさめかへさせる、取り上げる、沒收ぼっしゅうする。

【大意謹述】聞くところによれば、このごろ方々ほうぼうの寺院が、勝手に野山や田畑を獨占どくせんして、そのかずは限りないとのことである。はなはだ不都合な次第で、今後は規則のすうを越えてはならぬ。もし超過する場合には、これを取り上げるやうにせよ。

【備考】さきに和銅わどう四年十二月、天皇にはみことのり(第二十一參照)を下して、親王しんのう以下王公おうこう諸臣しょしんや各地の豪族ごうぞくが、山野さんや獨占どくせんして百せいなりわいを妨げるのを嚴禁げんきんせられたが、ここでは各地寺院の田野でんや獨占どくせんを更に禁ぜられたのである。きゃくとあるは規則の意であるが、はゆる「きゃくしき」が成文せいぶんの法則となつたのは、この時代よりもずつとのちで三代格だいきゃくうち、最も早く選定された弘仁こうにん格式きゃくしきの完成が、嵯峨さ が天皇弘仁こうにん十一年(皇紀一四八〇年)四月で、このみことのりを下された和銅わどう六年から百七年ものちのことであるから、ここのきゃく內規ないきともみるべきものであらう。ほ『諸寺云々』に就ては、僧尼令そうにりょうに『凡僧尼不得私蓄田宅財物、及興販出息』とあるも、一こう實行じっこうされなかつたので、この禁制びきんせいはっせられたのである。また天平てんぴょう十八年三月にも『太政官處分凡寺買地律令所禁、比年之間占買繁多、於理商量深乖憲法、宜令京畿內嚴加禁制』と見ゆ。