23 行旅の便を謀るの詔 元明天皇(第四十三代)

行旅こうりょ便べんはかるのみことのり和銅五年十月 續日本紀

諸國役夫及運脚者。還郷之日。粮食乏少無由得達。宜割郡稻別貯便地。隨役夫到任令交易。又令行旅人必齎錢爲資。因息重擔之勞。亦知用錢之便。

【謹譯】諸國しょこく役夫えきふおよ運脚うんきゃくものふるさとかえるの粮食りょうしょく乏少と ぼしく、たっするをるによしなしと。よろしく郡稻ぐんとうきて、べつ便地べんちたくわへ、役夫えきふいたるにしたがつて、ほしいまま交易こうえきせしむべし。また行旅こうりょひとをして、かならぜにもたらしてもとでし、つて重擔じゅうたんろうやすめ、ぜにもちふることの便べんなるをらしめよ。

【字句謹解】◯役夫 賦役ぶやく人夫にんぷ、公用に徵發ちょうはつされて働くつかひおとこ ◯運脚の者 荷物を運搬する人夫にんぷ、特に貢調こうちょうを運ぶ脚夫きゃくふ元正げんしょう天皇靈龜れいき二年四月のみことのりに『およ貢調こうちょう脚夫きゃくふ入京にゅうきょうの日』云々うんぬんとあり。運脚うんきゃくに就ては、養老ようろう四年三月紀、天平てんぴょう寶字ほうじ元年十月のみことのり及び賦役令ぶやくりょうつまびらかである ◯ ふるさと、郷里きょうり ◯粮食 かて、食べ物、糧食りょうしょく ◯郡稻 郡司ぐんじ統轄とうかつする郡衙ぐんがに於て取扱ふ田租でんそいね ◯便地 便利な土地、交通の便のよい場所 ◯任に ほしいままに。任意に、隨意ずいいに、自由に ◯交易 交換、とりかへつこ。當時とうじいまだ物々交換がしゅで、人々は貨幣の使用をよくは理解してゐなかつた ◯行旅の人 たびびと、旅行をする人 ◯齎して もたせる、所持させての意 ◯重擔の勞 重い荷物をかついで歩く勞力ろうりょくすなわち貨幣を使用せず物々交換のために重い物をかついで歩く無駄な勞力ろうりょくの意 ◯錢を用ふることの便 貨幣を使用することがどんなに便利なものであるかをの意。の〔註一〕用錢ようせん便べんを參照せよ。

〔註一〕用錢之便 當時とうじの民は一般に物々の直接交換に慣れて、いまだ貨幣使用の便利なことを理解しなかつた。當時とうじ貨幣流通がいかに困難であつたか、いひかへると一般人民がぜにを使用することをいかに嫌つてゐたかといふことは、和銅わどう四年十月、元明げんみょう天皇が『ぜにたくわふる者にくらいさずくるの制』を立てさせられ

 じゅ六位以下、ぜにたくわへて一十かん以上を有する者は、位一階を進めじょし・・

おおせられて居る一によつても知ることが出來る。當時とうじの民がなぜかやうに、貨幣流通に知識と理解とをもたなかつたかといふに、それを說くには、づわが國鑄錢ちゅうせんの歷史について一ごんせねばならぬ。日本書紀顯宗けんそう天皇三年のくだりに『あわこくあた銀錢ぎんせんもん』とあるが、同じく、天武てんむ天皇二年のくだりに『對馬つしま始めて白金しらかね(銀の意、今の白金に非ず)をだす』とあるのを見ると、顯宗朝けんそうちょう銀錢ぎんせんは、おそらく外國から輸入したものと思はれる。天武てんむ天皇の五年、はじめて鑄錢司ちゅうせんしを設けて、正式に錢貨せんかを造らしめ、その十一年、みことのりして銀錢ぎんせんめてもっぱ銅錢どうせんを用ひしめられたが、更にいくばくもなく改めみことのりして、銅錢・銀錢をまじへ用ひしめ給うたこれ等の史實しじつから考へると、わが國銀貨ぎんか鑄造ちゅうぞうは、天武天皇ちょうに始まるものの如くである。

 越えて元明げんみょう天皇御卽位ごそくいの翌年(慶雲五年卽ち皇紀一三六八年)正月、和銅わどう武藏國むさしのくに秩父郡ちちぶごおりからけんじたので、みことのりして年號ねんごう和銅わどう改元かいげん、天下の罪人を大赦たいしゃし、孝子こうし節婦せっぷしょうし、その二月はじめて銀錢ぎんせんを、同じく八月銅錢どうせん鑄造ちゅうぞうせられた。いづれも錢文せんもん和同わどう開珎かいほう(同は銅の略、珎は寶の略ならん)とあり、ぜにもんのあるのはこれをもつて嚆矢こうしとする。ところが間もなく、これを模倣もほうしてひそか贋造がんぞうするものが現はれたので、和銅わどう二年正月、れいして私鑄錢しちゅうせんを禁じ、きんを犯せるものを罰すべきをみことのりし、八月、銀錢ぎんせんめてもっぱ銅錢どうせんを用ひしめられた。しかるに當時とうじの民は、前述の如く、一般に物品の直接交換に慣れて、ぜにの使用を喜ばず、ほとんどこれを使用するものはまれであつた。そこで四年五月、制を立ててぜにもんを以てこくしょうてて通用せしめ、ぜに價値か ちを知らしむるため、同年十月ぜにたくわふるものに位を授くるの制を立て、みことのりはっせられた。

 ぜにようたる、財貨かへいを通じて有無う むふる所以ゆえんなり。當今とうこんの百せい習俗しゅうぞくに迷ひ、いまかいせず。わずかに賣買ばいばいをなすといえども、ぜにたくわふる者なし。多少たしょうしたがひ、節級せっきゅうしてくらいさずけん。じゅ六位以下ぜにたくわへて一十かん以上を有する者は、くらいかいを進めじょし、二十貫以上は二階を進め敍し、初位以下五貫ごとに一階を進めじょす。と。

かくて漸次ぜんじ一般に貨幣の流通をみるに至つたが、その後も私鑄しちゅう惡貨あっかがあつたと見え、授受じゅじゅの際にぜにえらぶものがあり、七年九月、せいしてぜにえらぶを禁じたまひ、惡錢あくせん主客しゅかく立ちひの上でこれをこぼち、市司し しに送らしめられた。以來世上せじょう一般、ようやく貨幣の便を知るに至つたのである。

【大意謹述】諸國の賦役ぶやく人夫にんぷや、貢調こうちょうを運搬する人夫にんぷたちが、郷里きょうりかえらうとするに際し、途中食物たべものの不足のために、郷里に達することのできないものが有るさうである。そこで郡衙ぐんが租稻みつぎのいねを分け、別に便利な場所に貯へて置いて、そこを通行する役夫えきふたちが、自由にこれを利用することが出來るやうにせよ。また旅人には必ずぜにをもたせて途中のもとでにさせ、それによつて重い物をかついで歩く勞力ろうりょくもなくなり、またぜにを使ふことがはなはだ便利なものであるといふことを知らしめるやうにせよ。

【備考】このみことのりには二つの意義があるとはいすべきである。すなわち前段は、みちうる窮民きゅうみん救恤きゅうじゅつせられ、後段は貨幣使用の便を知らしめんとせられしことである。前段の目的のためには、更にその翌年、すなわ和銅わどう六年三月次の如きみことのりを下されて居る。

 負擔ふたんやから、久しく行役こうえきに苦しみ、資粮しりょう具備ぐ びして納貢のうこう恒數こうすうぎ、重負じゅうふ減損げんそんし、みちうるの少なからざるをおそる。よろしくかく嚢錢のうせんを持ち、當盧とうろきゅうし、なが勞費ろうひはぶき、往還おうかん便べんしむべし。よろしくこく郡司ぐんじ豪富ごうふの家につのり、米を路側ろそくに置き、賣買ばいばいまかすべし。と。

これみことのりによるも、いかに天皇みちうる窮民きゅうみんのために御軫念ごしんねんあらせられたかをはいすることが出來る。先には『郡稻ぐんとうきて別に便地べんちに貯へ、役夫えきふの到るにしたがつて、ほしいまま交易こうえきせしむべし』とおおせられ、ここにはまた『豪富ごうふの家につのり、米を路側ろそくに置き、賣買ばいばいまかすべし』とおおせられて居る。まことに仁慈じんじあふるるお言葉と申し上ぐべきである。

 つぎに後段の貨幣使用の便を知らしめようとせられしてんについては、すでに〔註一〕便くだりにおいて述べた通り、當時とうじいまだ一般民衆は貨幣にたいする理解をもたなかつたので、特に天皇行旅こうりょに託して、貨幣使用の便利なことを理解せしめようと遊ばされたのである。ほこのみことのりについで、六年三月、更に『用錢ようせん强制きょうせいみことのり』をはっせられ

 田を賣買ばいばいするには、ぜにを以てあたいとなせ。他物たぶつあたいとなさば、ならびの物、共にかんぼっせよ。あるい糺告きゅうこくする者あらば、すなわぐる人にきゅうし、り及び買ふ人は、ならび違勅いちょくつみせよ。

おおせられて居る。今日こんにちの貨幣制度なるものが、その創始そうし時代、いかに爲政者いせいしゃを困惑せしめたかといふことは、これみことのりによつても知ることが出來る。