17 窮民を恤むの詔 天武天皇(第四十代)

窮民きゅうみんあわれむのみことのり(朱鳥元年七月 日本書紀

天下百姓。由貧乏而貸稻及貨財者。乙酉年十二月三十日以前。不問公私皆免原。

【謹譯】天下てんかの百せい貧乏びんぼうつていねおよ貨財かざいいらもの乙酉年きのととりのとし十二がつ三十にち以前いぜんのものは、公私こうしはず、みな免原ゆ るせ。

【字句謹解】◯百姓 おほみたから。人民、國民の意、蒼生そうせい億兆おくちょうに同じ ◯貸す いらす。貸して利息をとること。『いらしいね』などといふ ◯乙酉年 きのととりの年、朱鳥すちょう改元の前年、すなわ白鳳はくほう十三年(皇紀一三四五年)にして、このみことのりを下されし前年にあたる。日本書紀第二十九かんに、天武てんむ天皇白鳳はくほう九年を辛巳かのとみしるせり ◯免原 ゆるすこと。げんもゆるす意。同樣どうようの用例としては晉書しんしょ潘岳傳ばんがくでんに『會詔之』とあり。

【大意謹述】貧乏をして居る人民に、いね金錢きんせん、財產等を貸して居るものは、昨年(白鳳十三年乙酉年)十二月三十日以前のものに限り、公私おおやけわたくしいづれを問はず、すべてこれを免除するやうにせよ。

【備考】壬申じんしんらん後、大和國やまとのくに飛鳥あすか淨見原宮きよみはらのみやにおいて御卽位ごそくい以來天皇には、意を治道ちどうにそそがせられ、あるいは法令を定め(十年二月)、恩赦おんしゃほどこし(五年八月)、はじめて男女結髪けっぱつりょうはっせられ(十一年四月)、また服飾を制するみことのりを下して新たに衣服の制を定めたまひ(十三年四月)、更に朝禮ちょうれいを改正し(十一年九月)、歌笛かてき音樂おんがく奬勵しょうれいせられ(朱鳥元年七月)、神祇しんぎまつり(十二年正月)、佛敎ぶっきょう尊崇そんそうせられ(八年十月)、そのりょう威儀い ぎえつして軍事を奬勵しょうれい(十三年四月)せらるるとう、ほとんど大化たいかの新政に大改修を加へて、大いに治績ちせきげられたので、世にこれをしょうして淨見原きよみはら朝廷のと呼びたてまつつた。こと天皇には意を窮民きゅうみんの上にそそがせ給ふこと深く、先に貧富ひんぷを三等に簡定かんていして、中戸ちゅうこ以下に貸稅たいぜいすべきみことのりを下されたが(四年四月)、更に朱鳥すちょう改元の夏七月、このみことのりはっしてあまねく天下の窮民きゅうみんあわれみたまうたのである。かつて天皇が、群臣ぐんしん諸僚しょりょうおよび百せいに下されしみことのり(十二年正月)の一節に

 それ天瑞てんずいは、まつりごとを行ふの理天りてんの道にかなふときはすなわこれおうず。ここに今ちんが世にあたりて、年毎としごとに重ねて至れり。一はすなわち以ておそれ、一はすなわち以て喜ぶ。

といふお言葉がある。かほどの仁政じんせいきたまひ、つ『一はすなわち以ておそる』と、ひたすら君德くんとくの足らざるをこれおそるとおおせられし敬虔けいけんにして謙讓けんじょうなる大御心おおみこころを思へば、まことにかしこきわみである。窮民きゅうみんあわれみたまひしこのみことのりの如きも、かかるありがた大御心おおみこころ御發露ごはつろはいすべきである。