16 百官に下し給へる詔 天武天皇(第四十代)

百官ひゃっかんくだたまへるみことのり(九年十一月 日本書紀

若有利國家寬百姓之術者。詣闕親申。則詞合於理立爲法則。

【謹譯】國家こっかし、百せいゆたかにするのすべものは、みかどいたりてしたしくもうせ。すなわことばはば、てて法則ほうそくさん。

【字句謹解】◯ ゆたか、ゆたかに同じ、さかえる ◯ すべ、てだて。方策ほうさく、方法 ◯ 宮門きゅうもんてんじて皇居の意。

【大意謹述】もし國家をし、民をゆたかならしむることについて考へのある者は、自身朝廷にきたり、親しく奏上そうじょうせよ。その言葉がもし道理にかなふものであつたならば、取つて以て法則とするであらう。

【備考】思ふに天皇は、大化たいか改新かいしんについて兼ねて異見いけんをもつてられたので、壬申じんしんらん後、飛鳥あすか淨見原宮きよみはらのみやにおいて卽位そくいあらせられて以來、銳意えいい、大化以降の制度を改修せられた。そのおもなるものは

一、朝儀ちょうぎ立禮りつれいふく

二、諸王以上を十二階に、諸臣を四十八階にするとう從來じゅうらい爵位しゃくいを改めて位階いかい增加ぞうか

三、巡察使じゅんさつしを創設して地方につかわし、國司こくし郡司ぐんじの政治を視察せしめ

四、兵政へいせいの長官を置いて武備ぶ びげんにし

五、八しきかばねを改めて功臣こうしんたまひ、しゃくと同上のものたらしめられしとうである。

 かやうに天皇は、御親政ごしんせいとともに、諸制度の改善を念とせられたので、かく百かんみことのりを下して、ひろく臣下しんかの意見をちょうせられしものであらう。その翌十年二月『律令りつりょうを定むるのみことのり』を下して

 律令りつりょうを定め法式ほうしきを改めんと欲す

おおせられ、更に同年四月、禁式きんしき九十二じょうを定められ、その後氏上うじのかみを定め、男女結髪けっぱつりょうを出し、百りょう威儀い ぎえつして軍事を奬勵しょうれいし、男女服裝の法を定め給ふ等、ひろく各方面にわたり新制度を立てさせられたのである。