14 貸稅の詔 天武天皇(第四十代)

貸稅たいぜいみことのり(四年四月 日本書紀

諸國貸稅。自今以後。明察百姓。先知富貧。簡定三等。仍中戸以下應與貸。

【謹譯】諸國しょこく貸稅いらしのおおちからは、いまより以後い ごあきらかに百せいて、富貧ふひんり、三とうえらさだめて、すなわ中戸ちゅうこより以下い かには、いらしおうじてあたへよ。

【字句謹解】◯貸稅 孝德紀こうとくき大化たいか二年に『貸稻いらしのいね』とあり、雜令ざつりょうにその規程きていみゆ。國司こくし窮民きゅうみん官稻かんとう貸與たいよして、その利息りそくおさめざりしをいふ ◯百姓 もろもろのくにたみ、ひろく一般人民を指す ◯三等 上戸じょうこ中戸ちゅうこ下戸げ こをいふ。通證つうしょうに『此上戸・中戸・下戸』を『猶言上農・中農・小農』とあり。田令義解でんりょうのぎげつまびらかである ◯簡定 えらびさだめる ◯ いらし。貸しあたへること。前記『貸稅たいぜい』の項參照。

【大意謹述】諸國における貸稅いらしのおおちからについては、今後はよく民の實情じつじょうをしらべて、まづその貧富ひんぷを知り、これを上戸じょうこ中戸ちゅうこ下戸げ この三等にえらび定めて、中戸ちゅうこ以下にたいしては、便宜べんぎ貸してやるやうにせよ。

【備考】壬申じんしんらん後、天皇飛鳥淨見原宮あすかのきよみはらのみや(大和國高市郡高市村大字上居)におわして御位みくらいにつかせられ、大いに意を治道じどうにそそぎ給ふ。

 天皇資性しせい英邁えいまいにわたらせられたが、ことにいまだ大海人皇子おおあまのおうじと申しあげし時代、齊明さいめい天皇および中大兄皇子なかのおおえのおうじ(後の天智天皇)の西征せいせいの間、京師けいしに留守して、親しく國政こくせい參與さんよされてゐるので、つとに政治に通じ給ひ、登極とうきょくのち壬申じんしん功臣こうしんほうじ、みずか萬機ばんきに臨み給ひ、大臣や大連おおむらじなどの輔佐ほ さなくして諸制度を改革せられ、朝廷の威儀い ぎ儼然げんぜんたるものあるに至つた。また伊勢神宮を二十年ごとに改造せられるなど敬神けいしんじつげられ、近侍きんじ稗田阿禮ひえだのあれをして古事記口誦こうじゅし、あるい記錄きろくせしめて文學の隆興りゅうこうをはかり、更に僧侶をしょうじて佛敎ぶっきょうの隆盛をくわだてられ、百せい貧富ひんぷを調べて貸稅いらしのおおちからみことのりを下したまふとう、意を治道じどうはげみ給うたので、庶政しょせい大いにあがり、いはゆる淨見原きよみはら朝廷のをみるに至つたのである。