11 土地兼幷を禁ずるの詔 孝德天皇(第三十六代)

土地と ち兼幷けんぺいきんずるのみことのり(大化元年九月 日本書紀

自古以降。毎天皇時置標代民垂名於後。其臣連等伴造國造。各置己民恣情驅使。又割國縣山海林野池田以爲己財爭戰不已。或者兼幷數萬頃田或者全無容針少地。及進調賦時。其臣連伴造等先自收歛然後分進。脩治宮殿築造園陵。各率己民隨事而作。易曰。損上益下。節以制度不傷財不害民。方今百姓猶乏。而有勢者分割水陸以爲私地。賣與百姓年索其價。從今以後不得賣地。勿妄作主兼幷劣弱。

【謹譯】いにしえより以降このかた天皇てんのう時毎みよごと代民こしろのたみしるして、のちる。おみむらじ伴造とものみやつこ國造くにのみやつこおのおのおのたみき、こころほしいままにして驅使く しす。また國縣こおり山海さんかい林野りんや池田ちでんきて、もっおのざいし、あらそたたかふことまず。もの數萬頃すうまんけいあわせ、ものまったはりるるの少地しょうちもなし。調賦みつぎすすむるときおよび、おみむらじ伴造とものみやつこみずか收斂しゅうれんして、しかしてのちわかすすめ、宮殿おおみや脩治しゅうちし、園陵みささぎ築造ちくぞうするに、おのおのおのたみひきゐて、ことしたがつてつくる。えきいわく『かみそんじてしもえきす』と。せっするに制度せいどもってして、ざいそこなはず、たみがいせざれ。方今このごろせいとぼし。しかるにいきおいあるもの水陸たはた分割ぶんかつして、もっわたくしし、百せいあたへて、ねんねんあたいもとむ。いまより以後い ごるをず。みだりしゅとなりて、劣弱れつじゃくあわすることなかれ。

【字句謹解】◯こしろのたみ 子代こしろの民、又は御子代みこしろの民。上代じょうだい天皇・皇后・皇子の御子み こなき時、その御名み なを一ぐんの民に負はしめて、後代の紀念きねんとせられたが、その子代こしろと定められし人民を子代こしろたみといふ。〔註一〕を參照せよ。に就ては通證つうしょうに言置標題代號之民也とみゆ ◯ おみ、かばねの一で大身おおみ(おみ)の意、上代には貴族の上流にくらいせる一階級にして、大臣はその族から選ばれたが、大化たいか改新かいしんにより、かばねの第六位となる ◯ むらじ。神別しんべつかばねの一で朝政ちょうせいあずかりしもの、八しきかばねの第七位 ◯伴造 とものみやつこ。上古じょうこ諸部しょぶおさとして、その部屬ぶぞくつかさどりし世襲せしゅうの職 ◯國造 くにのみやつこ。上古、國としょうせし一の行政區劃くかく主宰しゅさいせし世襲せしゅうの官名、後世の郡司ぐんじあたる ◯驅使 おひつかふ。人を牛馬ぎゅうばのやうに追ひ立て使ふ、驅役くやく ◯數萬頃 けい田地でんちしょう廣大こうだいなる田地でんちの義 ◯調賦 調ちょうはつき、すなわちみつぎ。はねんぐ、わりつけて取るみつぎもの ◯收斂 しゅうはをさめ、れんはあつめとりこむ ◯脩治 しゅうしゅうに通ず、をさめ整へ、つくろひなほす ◯園陵 みささぎ、帝陵ていりょう ◯率己民云々 宮殿や園陵みささぎの築造修繕などの場合に、おみむらじが自己の私民しみんを率ゐておもむきしをいふ ◯ 易經えききょうの略、五きょう(易經・書經・詩經・春秋・禮記)の一にして、しゅうにはじまりしえき經典きょうてん云々うんぬんとは、易經えききょう益卦えきけたんに『益損上益下、民悦无疆』とあるを指されしもので、ここに特にこのげんを引かれたのは、おみむらじを損して、一般百せい窮乏きゅうぼうを救ひえきせしめむとの御意ぎょいによるものである ◯水陸 たはた、すなわ水田すいでん陸田りくでんの意 ◯兼ね幷す へいあわす、あわす、あはせて一にする。

〔註一〕みこしろのたみ 御子代みこしろたみの意。上代じょうだい天皇・皇后・皇子達の御子み このおはせぬ時、または皇子おうじ御功業ごこうぎょうの記念などを後世こうせいのこすため、る一部落ぶらくにその名を負はせてぼうとよび、皇室直轄ちょっかつの民とした、これを御子代みこしろ(或は子代)の民とよんだ。たとへば垂仁すいにん天皇皇子おうじ伊登志和氣い と し わ けおうのための伊登志部い と し べ日本武尊やまとたけるのみこと武部たけべの如きその一例である。

【大意謹述】古來こらいわが國においては、天皇御代み よごとに、御子代みこしろの民をおいて、名を後の世までもきたつた。ところがそのおみむらじ伴造とものみやつこ國造くにのみやつこはおのおの勝手にわたくしの民を置き、ほしいままにこれを追ひ使ひ、また國やけん山海さんかい林野りんや田池でんちなどを勝手に分割しておのれの私財となし、各族あいあらそたたかつて、むところを知らず、したがつてる者は數萬頃すうまんけいひろ田地でんち獨占どくせんし、る者は全く針をるる程に狭小きょうしょう田地でんちをも、所有しない有樣ありさまである。しかも朝廷への貢物みつぎものは、そのおみむらじ伴造とものみやつこがまづみずか收斂おさめとりこんだのち殘餘ざんよわかち納め、宮殿の修理や帝陵みささぎの築造などに際しても、各々自己の私民しみんを率ゐて、事にしたが有樣ありさまである。易經えききょうに『かみを損じてしもえきす』といふ語がある。すなわち制度をもつてよく調節し、しも人民の財產をそこなつたり、下民げみんを苦しめたりしてはならぬ。しかも近年民が困窮こんきゅうして居るのにじょうじ、各地の豪族ごうぞくども田畑でんばた山澤さんたくを勝手に分割して私有し、人民にこれをあたへて、年々不當ふとう利益りえきおさめて居る。今より以後は地をることを禁ずる。またみだりあるじとなつて、人民を私有することはできない。

【備考】これよりき、大化たいか元年八月、天皇東國とうごく國司こくしを任命したまひ

 汝等なんじら、國にかば、公民こうみんの戸籍を作り田畝でんぽ校勘こうかんし、薗池えんち水陸すいりくの利は民とこれを共にすし。國司こくしは、その任國にんこくにて罪を裁判すべからず。賄賂わいろむさぼるべからず。公事く じにて上京する時は部内の馬にり、つ部內の食を取るべし。法にしたがふものはしょうし、たがふものは爵位しゃくいくだすべく、賄賂わいろを取れるものはの二倍をちょうす。

このみことのりを下し、ひろく地方政治の大方針を定められ、國家經綸けいりんの根本をお示しになつた。またこの日、禁門きんもんつりがねけ、ちょうはこを設けて、あまねく國民のために憂訴ゆうそみちを開かれた(第十、鍾・匱を設くるの詔參照)。更に翌九月、使つかいを諸國につかわして民のかずろくせしめ給ひ、この時くだされたのがすなわ詔勅ほんしょうちょくである。この詔勅しょうちょくによつて、時弊じへいの根源をなせる豪族ごうぞくの土地兼幷けんぺい儼乎げんことして禁ぜられ、百せい疾苦しっくすくはれたのであるが、その眼目がんもくは土地制度の大改革にあり、ちこの精神せいしん具體ぐたい化・法文ほうぶん化されたのが、すなわ大化たいか改新かいしん詔勅しょうちょくである。大化改新詔勅は、その翌大化たいか二年(皇紀一三〇六年)正月元日、朝賀ちょうがれい終つてのち渙發かんぱつされたが、大要たいよう(一)土地人民私有の禁、(二)地方區劃くかくの改正、(三)戸籍及び田租でんそ、(四)調ちょう及びようの制度の四大項目に分れてゐる。かかる重大なる政事革新が蘇我入鹿そがのいるか誅戮ちゅうりくの他、ほとんど血をみることなくして完成したのは、孝德こうとく天皇中大兄皇子なかのおおえのおうじ(後の天智天皇)および藤原ふじはら鎌足かまたり雄略ゆうりゃく英斷えいだんによるものである。ほこのみことのりは土地兼幷けんぺいを禁じて一般窮民きゅうみんを救ひ、おみむらじや各地の豪族ごうぞくどもに一大痛棒つうぼうあた へられたのであるが、多年たねん搾取さくしゅあえいでゐた一般大衆が、このみことのりはいしていかに喜んだかといふことは、日本書紀第二十五卷、孝德こうとく天皇大化たいか元年九月のくだりに『百せい大悦たいえつ』の文字のあるのによつても知ることが出來る。