7 田宅を全くするの詔 仁德天皇(第十六代)

田宅でんたくまったくするのみことのり(十一年四月 日本書紀

今朕視是國者。郊澤曠遠而田圃少乏。且河水横逝以流末不駛。聊逢霖雨。海潮逆上而巷里乘船。道路亦埿。故群臣共視之。決横源而通海。塞逆流以全田宅。

【謹譯】いまちんくにれば、郊澤こうたく曠遠こうえんにして、田圃でんぽ少乏すくなく、河水かすいよこながれて、流末かわしりはやからず。いささ霖雨りんうへば、海潮うしお逆上さがのぼりて、巷里むらざとふねり、道路どうろまたういぢあり。ゆえ群臣ぐんしんとも横源おうげんさぐりうみつうじ、逆流ぎゃくりゅうふさぎてもっ田宅でんたくまったくせよ。

【字句謹解】◯是の國 攝津國せっつのくに、特に難波なにわ地方を指す。天皇難波なにわ(今の大阪市)に遷都せんと高津宮たかつのみやに居たまふ ◯郊澤曠遠 こうは野原、たく池泉ちせん、野原や池や河川が多くひろい ◯田圃少乏 田や畑がすくない ◯霖雨 ながあめ ◯ どろ、ひぢりこ。どろに同じ ◯田宅 田畑や家屋敷いえやしき

【大意謹述】攝津國せっつのくに難波なにわ地方の地勢ちせいをみるに、野原や河川・池泉ちせん等が多くて、田やはたは極めて少い。河水かすいは横に流れて、しかも流れがはやくないので、少しばかりの霖雨ながあめでも、すぐに海水が逆流しきたり、ために町の中をくにも船にらねばならず、その上道路は泥濘でいねいぼっするといふ有樣ありさまである。それでよく實地じっちを視察し、横の流れのみなもとを切りひらいて河水かすいを海に通じ、逆流をふせいで、田畑や家屋敷いえやしき等を安全ならしめよ。

【備考】この聖勅せいちょくはっせらるるや、天皇は、十一年、宮城きゅうじょうの北方の溝渠こうきょをうがちて西海せいかいに通じたまふ。これを堀江ほりえとよび、今の難波なにわ(大阪市)の堀江ほりえである。また同年更に茨田堤まんだのつつみ(今の淀川左岸の堤防)を築きて、北河ほっか氾濫はんらんを防ぎたまふ。更に十四年、橋を猪甘津いかいのつ(攝津國東成郡)にして小橋こばしと名づけ、宮城きゅうじょうの南門から丹比邑たじひむら(河內)に通ずる大道路おおどうろを開き、また大溝おおみぞ感玖こむく(河內國石川郡)に穿うがち、石川いしかわの水を四ゆうに注いで、新田しんでんまん餘頃よしろを得させられる等、農業をすすめ、土木事業をおこし、ひたすら民利みんりをはかり給うたので、つたへて聖帝せいていしょうしまつつた。