4 人民を校し課役を科するの詔 崇神天皇(第十代)

人民じんみんこう課役かえきするのみことのり(十二年三月 日本書紀

朕初承天位。獲保宗廟。明有所蔽。德不能綏。是以陰陽謬錯。寒暑失序。疫疾多起百姓蒙災。然今解罪改過。敦禮神祇。亦垂敎而綏荒俗。擧兵以討不服。是以官無廢事。下無逸民。敎化流行。衆庶樂業。異俗重譯來海外旣歸化。宜當此時更校人民。令知長幼之次第及課役之先後焉。

【謹譯】ちんはじめて天位てんいけ、宗廟そうびょうたもつことをたれども、めいおおはるるところあり、とくやすんずることあたはず。ここもっ陰陽なつふゆ謬錯あやまりたがひ、寒暑かんしょじょうしなひ、疫疾えきしつしきりおこりて、百せいわざわいこうむれり。しかるにいまつみはらあやまちあらため、あつ神祇しんぎうやまひ、またおしえれて荒俗こうぞくやすんじ、へいもっ不服まつろわぬものてり。ここもっかん廢事はいじなく、しも逸民いつみんなし。敎化きょうか流行りゅうこうして衆庶しゅうしょぎょうたのしみ、異俗いぞくおさかさねてきたつて海外かいがいすで歸化き かす。よろしくときあたりて、さら人民じんみんかんがへて、長幼ちょうよう次第しだいおよ課役かえき先後せんごらしむべし。

【字句謹解】◯宗廟 祖先のおたまやの意であるが、ここでは國家または社稷しゃしょくの義 ◯陰陽謬錯 陰陽いんようは天地間の萬物ばんぶつを生成するあい反する二つの陰陽いんように就ては第四十二の字句謹解きんかい欄に詳說しょうせつす。は天候氣象不順の義 ◯神祇を禮ひ 天神てんしん地祇ち ぎまつる。〔註一〕を參照 ◯荒俗 未開野蠻やばんのすさんだ風俗習慣 ◯不服 皇威こうい服從ふくじゅうせざる凶賊きょうぞく ◯廢事 むだなこと ◯逸民 のらりくらりと遊び暮す民、遊民ゆうみん ◯異俗 風俗をことにする民族、すなわち異民族、ここでは任那みまなじんを指す。〔註二〕を參照せよ ◯譯を重んじ おさは約束の義、すなわち約束を重んずること。ほ『おさ』はかんの方言で、あるいおさと同じくおさむる意ならんとの說もある ◯歸化 他國の國籍こくせきを取得して、その國民となること。令義解りょうのぎげに『謂遠方之人欽化內歸』とあり ◯人民を校へ 人民の民力や負擔ふたん力を調べ考へての義 ◯長幼の次第 りょうの制に正丁せいてい次丁じてい中男ちゅうなんの差別があり、年度に就て調庸ちょうように差のあるをいふ ◯課役の先後 令義解りょうのぎげとは調ちょう及び副物ふくぶつ田租でんそたぐいとはよう及び雜徭ざつようたぐいとあり。その先後せんごとは同りょうに『國司皆須親知貧富強弱、因對戸口、卽作九等、定簿預爲次第、依次赴役』とあるをいふ。

〔註一〕神祇を禮ひ このみことのりに『あつ神祇しんぎうやまひ』とあるは、七年春二月、天皇かん淺茅原あさぢがはらみゆきし、八十萬やそよろずの神にぼくして、大物主神おおものぬしのかみを祭りたまひしを指す。天皇また齋戒さいかい沐浴もくよくして殿內を潔淨けつじょうせられ、以てわざわいを消さんことをいのりたまふ。ほ別に八十萬やそよろずの神を祭り天社あまつやしろ國社くにつやしろ神地かんどころ神戸かんべを定めたまうたので、ここにおいて疫疾えきしつはじめてみ、としゆたかに民そのやすんずるに至つたといふ。

〔註二〕任那人の來朝 崇神すじん天皇ちょう任那みまなの使者蘇那曷叱智そ な か ち し來朝らいちょうそうしていわく『しんが國の東北に三もんの地あり地方三百、土地肥え民富めり。しかるにいま新羅しらぎとこの地にあらそひ、民、えきに苦しむ。りて將軍しょうぐん貴國きこくよりひこの地を治めしめ、つ永くこの地を貴國にけんぜん』と。すなわ天皇鹽乘津彥しおのりつひこに命じて、きてその地をしずめしめ給ふ。鹽乘津彥しおのりつひこ任那みまなに留つてみこともちとなる。これが任那みまな日本府にほんふの起源である。また日本書紀の一書には、同國人都奴我阿羅斯等つ ぬ が あ ら し と來朝らいちょうのことも見えて居る。

【大意謹述】ちんはいま天子の位にき、祖宗そそう偉業いぎょうをうけつぎ、國家をたもつことを得たが、不明にしてまつりごとそのとうを得ず、また不德ふとくにして民を安心させることが出來ず、そのために天のとがめによるものか、天候氣象が不順で、四時しいじの氣候も惡く、その上に又はやりやまひまでもしきりに流行して、民はわざわひをこうむるに至つた。しかるにいま罪をはらひあやまちを改め、あつく天神てんしん地祇ち ぎをまつり、またおしへをれて未開野蠻やばんのすさんだ風俗習慣をめやすんじ、更に兵(四道將軍を指す)をつかわして王化おうかに服せざる遠國の賊徒ぞくとを討ち平らげたので、ここにおいてかんには無駄なことがなくなり、しもには遊民ゆうみんがなくなり、社會しゃかい敎化きょうか美風びふうが流行して、人々は安らかに、家業をたのしみ、その上に異民族たる任那みまなじんまで海を越えきたつて、わが國に歸化き かするに至つた。そこでの時にあたり、更に人民の民度みんど民力みんりょく等を調べ考へて、長幼ちょうようの次第や、租税そぜい賦課ぶ かの順序先後せんご等をよく知らしむるであらう。

【備考】この聖勅せいちょく發布はっぷに先立ち、天皇には、その前々年すなわ卽位そくいの十年(皇紀五七三年)、四どう將軍しょうぐん(大彥命おおひこのみこと渟川別命ぬなかわわけのみこと吉備津彥命きびつひこのみこと丹波道主命たにわのみちぬしのみこと)を四方に遣はし、人民を綏撫すいぶし、命にしたがはざるものをたしめ給うた。翌十一年四月、四どう將軍はいづれも京師けいしかえつて、四方の平定せるさま民情みんじょう等について奏上そうじょうする所があつた。そこで天皇には翌十二年三月、この聖勅せいちょくはっして『ひろく人民をこうして課役かえきすべきむね』を告げたまひ、同年九月を以てこれを實施じっしし給うたのである。當時とうじこれを『おとこ弓弭ゆはずみつぎおんな手末たなすえみつぎ』とよび、男子は弓矢を以てたる獸類じゅうるい皮角ひかくたてまつり、女子は手工しゅこうによつて成れる布帛ふはくたてまつつた。これがである。思ふに、四どう將軍發遣はっけんの結果、四ほうの民、王化おうかうるおふに至つたので、このことがあつたのであらう。また天皇は諸國にちょくして船舶を作つて運漕うんそう便べんせしめ、更に池溝ちこう掘開くっかいして灌漑かんがい便べんせしめ給ふ等、勵精れいせいはかりたまうたので、風雨ふううときしたがひ百せい富みさかえ、天下よく治まるに至つた。天皇しょうして御肇國天皇はつくにしらすすめらみこととよびたてまつるのもゆえありといふべきであらう。こと任那みまなの使節蘇那曷叱智そ な か ち し來朝らいちょうしたのもこの御代み よで、天皇御德おんとくは、じつに海外異民族にまでも及んだのである。ほこのみことのりの『朕初承天位、・・百姓蒙災』迄の三十五字は漢書かんじょ帝紀せいていき鴻嘉こうか元年二月のみことのりに『、刑罰不中、衆寃失職趨闕告訴者不絕、、日月不光、云々』とあるを參考されしものとおぼゆ。