1 天孫降臨の神勅 天照大御神

天孫てんそん降臨こうりん神勅しんちょく日本書紀

葦原千五百秋之瑞穗國。是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。寶祚之隆當與天壤無窮者矣。

【謹譯】葦原あしはら千五百ち い ほあき瑞穗國みづほのくには、これ子孫うみのこきみたるべきのくになり。よろしく爾皇孫いましすめみまゆいらせ、行矣さきくませ寶祚あまつひつぎさかえまさんこと、天壤あめつちともきわまりなかるべし。

【字句謹解】◯葦原 あしはら。草木そうもく靑々あおあおとしげれるひろ野原の意で、わが國土の廣大こうだい豊饒ほうじょうとを意味する ◯千五百秋 ちいほあき。限りなく長き年月としつき、永遠のとしつき。千萬歳せんまんざいのことで、すなわ葦原あしはらの空間的の意にたいし國土の時間的永遠を意味する語 ◯瑞穗國 みづほのくに。國民の生命を永遠に保持するに足る五こくゆたかにみのる國。みのりゆたかな國土の意。すなわち『葦原あしはら千五百ち い ほあき瑞穗國みづほのくに』とは、めぐみゆたかな土地豐穰ほうじょうの國、すなわ善美ぜんびなるわが日本國といふ意 ◯子孫の王たるべきの地 わが子孫が天子てんしとして君臨すべき國の意で、すなわちこの日本國は、天祖てんそ後裔こうえいが、萬世ばんせいけい、永遠に君臨せねばならぬ國の意。このごんで、君臣くんしんぶんげんとして定まつたのである。ほこの言外げんがいに、義の關係かんけい以外、人情の自然にたいするあたたかい君臣の愛情の御意ぎょいの含まれてゐるのを見のがしてはならぬ ◯爾皇孫就て治らせ なんぢ皇孫こうそん、國家統治とうぢの位について、天下をしろしめせとの御意ぎょいであるが、このといふお言葉は特に意味い み深長しんちょうで、よくあじわはねばならぬ。らす(又は治ろしめす)は御自身ごじしんむなしうして、あまねく民のこえれ、これを美化して公平なる政治を行ふことである。一げんにしていへば『徳治とくぢ主義の政治』のひで、すなわ天皇はただたんに、法理ほうり上の絕對ぜったい者であるばかりでなく、一面最高の道德的存在として、至大しだいなる君德くんとくを以て萬民ばんみんに臨み、權力けんりょく專制せんせいはいし、國民の要求や時勢の動向等にもよく注意し、よつて以て民心みんしんやすんじ、君德くんとくを養ひ、ほまた異民族をもわれに同化し、國民生活の安寧あんねい幸福をはからねばならぬとおさとしになつたのである。ほ『皇孫すめみま』の御孫み ますなわ天照大御神あまてらすおおみかみの意 ◯さきくませ さきくはさきく此處こ こではさきくましませ、さかえませの意。すなわ將來しょうらいながく御機嫌よく、油斷ゆだんせずに君道くんどうまっとうし、いやさかえに榮えねばならぬぞよと、皇孫こうそん鼓舞こ ぶ激勵げきれいされし祝福の御言葉おことばはいすべきである ◯寶祚 あまつひつぎ、天子の御位みくらい ◯天壤と與に窮りなかるべし 神聖しんせいなる皇位は一けいを以て萬世ばんせいわたり、皇運こううん天地と共にきわまりなく、永遠にさかゆることに何のうたがいがあらうかと、さかんなる日本皇統こうとう將來しょうらいを祝福したまへるお言葉である。ほこのお言葉は、寶祚ほうそ隆昌りゅうしょうと共に、日本國民將來しょうらいさかえをも祝福したまへるものとはいすべきである。

【大意謹述】豐葦原とよあしはら瑞穗國みづほのくには、代々わが子孫が天子たるべき國である。なんぢ皇孫こうそん皇位いて、天下をしろしめせ。さうすると神聖しんせいなる皇位は、一けいを以て萬世ばんせいにわたり、皇運こううん天地あめつちとともにきわまりなく、永遠にさかゆるに相違そういない。

【備考】この神勅しんちょくに現はれて居る皇祖こうその御理想は、大體だいたい四つの要素に區別くべつすることが出來る。すなわち一は我が大八洲おおやしまのくにの優秀性にたいする御自覺ごじかく、二は皇位萬世ばんせいけいとせられしこと、三は『しらす』の政治を理想とせられしこと、四は皇統こうとうによつて統治とうぢせらるるわが國は、天地あめつちとともにさかえてきわまりなしとおおせられしことである。この神勅しんちょくにおいて皇祖こうそは、わが國の主權しゅけんじゃたる天皇の地位は、一けい萬世ばんせいにわたり最高絕對ぜったいであるといふことをお示しになつて居るが、ことにそれは單に法理的に最高絕對ぜったいであるばかりでなく、道德的にも最高なものであり、したがつて君德くんとくれ、蒼生そうせいやすんじ、民德みんとくを養ふことを以て天皇精神せいしんとせねばならぬといふことを、さとし給うたのである。この神勅しんちょくによつて人君じんくん大道たいどう臣子しんし本分ほんぶんげんとして明かにせられ、萬世ばんせいにわたり大盤石だいばんじゃくの如く確固かっこ不動なるわが國體こくたいの基礎がここに全く確立するに至つたのである。じつ君臣くんしんぶん天地とともに定まり、萬古ばんこ不易ふえきである一は、わが國體こくたい精華せいかであつて、興亡こうぼうきはまりなき人類史ちゅう、ひとりわが大日本帝國が、建國以來二千六百年、金甌きんおう無缺むけつを世界に誇りうるのは、建國の精神がここにあるからである。

 むろん西洋や支那し なにおいても、帝王の認識は成立してゐる。だが支那や西洋における帝王なるものが、わが天皇同日どうじつに論じうるものでないことは言ふまでもない。ジエームス・ブライス James Bryce はその著『近代民主政治』において、『近代國家における主權しゅけん統治權とうぢけんは、投票けんを有する民衆の上に在る』といふことを明白に斷定だんていして居る。また近世デモクラシーの勃興ぼっこうは、フランス革命端緒たんしょとするが、そのフランス革命の指導原理であり、近世デモクラシーの經典けいてんであるルソー Rousseau の民約論みんやくろんは、その第三篇十六章において

 政府設立の行爲こういは、國民と元首げんしゅとの間に結ばれた契約であつて、この契約のもと元首げんしゅは支配の義務があり國民は服從ふくじゅうの義務がある。

といふことに就て述べてゐる。同書に現はれたルソーの思想を要約すると

 君臣關係かんけいはもと便宜べんぎ的のものであつて、主權しゅけんは人民にあり、君主は要するに國民の吏員りいんたるにすぎない。

 したがつて國民に都合がわるければ、いつでも革命を起して君主を打倒するのは當然とうぜんである。

といふことになる。いふまでもなくフランス革命は、この思想の實現じつげんにすぎないが、更にこの思想は發展はってんして近世デモクラシーの基礎理論となつたのである。すなわ西歐せいおう人の帝王かんは、これを一げんにしていへば、徹頭てっとう徹尾てつび御都合ごつごう主義であり、便宜べんぎ主義といふことになる。

 しからば支那人の帝王かんはどうか?しばらく「孟子もうし」の言葉をかりて、これを說明しよう。周知しゅうちの如く「孟子もうし」は、いはゆる四しょの一として古來「論語ろんご」とならび、聖賢せいけんの書として重んぜられたものであるがその盡心じんしん下篇かへん

 孟子曰、民爲貴、社稷次之、君爲輕、是故得乎丘民而爲天子。

とある。すなわち第一にとうといものは民で、社稷しゃしょく(國家)これに次ぎ、君主は最もかろしとして居る。丘民きゅうみんといふのは田夫でんぷ野人やじんひで、田夫でんぷ野人やじんの心をうれば、誰でも天子となるといふのであるから、天子は田夫でんぷ野人やじん推戴すいたいによつて初めてきみとなるわけで、これを逆にいへば、人民によつて推戴すいたいされた王は、やがてまた人民によつて任意にはいせられることとなる。離婁りろう下篇かへん

 君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。

とあるのは、明らかにこの思想の現れで、これは君臣の關係かんけいが單に便宜べんぎ的であり、功利こうり的であるからである。功利こうりもとづ便宜べんぎのためにするのであるから、一旦利害があい反すれば、當然とうぜん君民くんみん兩者の關係かんけいたちま斷絕だんぜつして、ここに革命が起るのである。ゆえ萬章ばんしょう下篇かへん

 君有大過則諫、反覆之而不聽、

といふ所以ゆえんである。

 すなわちかく見きたれば、孟子もうしの思想は、時とところと表現の形式とをことにしてこそれ、君臣の關係かんけいかんする限りルソーの思想と全くえらぶところがない。人民はその欲するところにしたがつて君主を立て、またその希望のままにこれをはいすることを認めたてんにおいて、兩者は全く異曲いきょく同工どうこうである。「孟子もうし」がいかに多くの美言びげんを含むも、その思想の根本において、斷然だんぜんわが國體こくたいあいれず、わが國民道德と衝突するものであることは、以上によつて明らかであらう。これを要するに、西洋および支那における君臣關係かんけいは、徹頭てっとう徹尾てつび便宜べんぎ主義であり、御都合ごつごう主義であり、したがつて彼等の歷史の多くのページが、帝位ていい簒奪さんだつを目的とするあらそひか、でなければ主權者しゅけんじゃと國民の血なまぐさき鬪爭史とうそうしであることに、少しの不思議もない。

 しかるにわが國にあつては、この皇祖こうそ神勅しんちょくに明らかであるやうに、建國の當初とうしょにおいてすでに君臣のぶんを明らかにせられ、人君じんくん大道たいどう臣子しんし本分ほんぶんとを、げんとしてお定めになつて居る。しかも、これを貫くにとくをもつてせられたことは、まことに御意義ご い ぎふかきものとはいすべきである。單に天皇が、法理的に最高絕對ぜったいであるばかりでなく、道德的にも最高の地位になければならぬといふことを、天祖てんそがこの神勅しんちょくにおいて、おさとしになつてゐることを、われ等は見のがしてはならぬ。明治天皇

 皇祖こうそ皇宗こうそうくにはじムルコト宏遠こうえんニ、深厚しんこうナリ

おおせられたのは、すなわちこれである。日本國民たるものは、よろしくこの國體こくたい淵源えんげんたる神勅しんちょく御精神ごせいしんを信念として、臣子しんし本分ほんぶんあやまつてはならぬ。