大日本詔勅謹解1 思想社會篇 序

 古來こらい本居もとおり宣長のりながの『續紀しょっき歷朝れきちょう詔詞解しょうしかい』をほかにしては、全く歷朝れきちょう詔勅しょうちょく注疏ちゅうそあるを聞かず、したがつて皇祖こうそ以降、孝明こうめい天皇にいたる二千五百年間の詔勅は、空しく高閣こうかくつかねられ、ほとんど一般大衆のまなこれることなくして今日に及んでゐる。しかも本居もとおりおうの『續紀歷朝詔詞解』の如きも、わづかに日本紀しょくにほんぎ所載六十二篇に就て註解ちゅうかいせるのみである。かくて皇祖こうそ以來、孝明こうめい天皇にいたる二千篇の歷朝詔勅は、國民の現實げんじつ生活に何等關連かんれんをも持たないものとして、今日まで空しく放置されきたつた感がある。けだし明治以前における詔勅は、ことごとく難解なる漢文體かんぶんたいを以て記され、したがつてその理解は容易でなかつたために、ここに至つたものであらうか。たとへばこれを日本にほん書紀しょき以下、六國史りくこくし所載詔勅についていふも、きはめて難解なる漢文體かんぶんたいを以て、その文辭ぶんじを修飾せるもの多く、こと詩經しきょう書經しょきょう易經えききょう禮記らいき論語ろんご孟子もうし中庸ちゅうよう等をはじめ、左傳さでん史記し き漢書かんじょ後漢書ごかんじょ以下隋書ずいしょにいたるまで、あまねくこれを渉獵しょうりょうして彼我ひ が事實じじつ對照たいしょうし、あいたるものは、その文辭ぶんじつて無理にわが史實しじつめしもの等少くなく、加ふるにその修辭しゅうじは、六朝りくちょう餘弊よへいをうけて、ことさらに文を四六文につづりしために、みずから用語に無理あるをまぬがれず、したがつてこれを完全に理解するには、四六經りくけいの義理に精通せいつうし、つ和漢の史實しじつ知悉ちしつせざるべからず、その至難なるして知るべきである。

 思ふに書紀以下の國史こくしを記すに、ことさら漢文體かんぶんたいを用ひたのは、假名か なきの冗長じょうちょうと音訓混用の不便を除き、あわせて文章に莊重味そうちょうみを加へるためであつたらうと思はれるが、今日から考へて、特に日本書紀が、御歷代ごれきだい詔勅ことごと漢譯かんやくせる一は、じつ千秋痛恨事つうこんじといふべきものであつた。日本紀しょくにほんぎする文武もんぶ天皇以下の卽位そくい讓位じょうい等の詔勅は、ことごとく世にいはゆる宣命せんみょうぶんであつて、醇雅じゅんが流麗りゅうれいあおたっとむべきものであるが、書紀はことごとくこれを漢譯かんやくして、一もそのしんつたへてゐない。もし一二篇でも、優雅な原文のままの詔勅つたはつてゐたならば、いかにいかめしくうるはしきものであつたらうかと思はれるのであるが、それをうかがひ知ることの出來ないのは、じつおしみてもあまりある事である。本居翁もとおりおう神代紀じんだいき髻華山蔭けいかざんいんにおいて

 ぶんあらためざまによりては、そのことこころも、みずかいにしへのつたへのおもむきとはたがへることもあり、あるいはいかなるよしともきこえがたくなりぬるふしさへ、をりをりまじりなどして、おおかたかみの心はうずもれはてて、世に知る人なくなむなれりける

たんじて居るのは、もっともといふべきであらう。

 さてひるがえつて現下のわが國狀こくじょうみるに、滿洲まんしゅう事變じへん以來の國內情勢は、急激なる國家主義思想の勃興し、こと從來じゅうらい社民主義もしくはマルクス主義の影響下にあつた無產むさん政黨せいとうや組合の中からさへも、いはゆる淸算せいさん運動が急激に擡頭たいとうし、國家主義ないし皇道こうどう日本主義への轉向てんこう斷行だんこうするものが續出ぞくしゅつして、明治以來かつて見なかつたほどに、思想上日本の再認識運動が、眞劍しんけんに叫ばれて居る。この事實じじつは、現下日本の客觀きゃっかん情勢と祖國意識の緊迫とが、もはやマルキシズムや非日本的思想の存在を許さなくなつたことを物語るものであり、同時にそれはまた、日本人の信念・志向・要求は、もはや一切の主義も主張も、天皇意識に徹底した日本的理論の上に建設されねばならぬといふことを民衆が自覺じかくするに至つた證左しょうさともみることが出來る。しかも今日の日本は、各種の否定があつて、いまだ强力なる肯定が現はれてゐない。政黨せいとう政治に疑問をもたれながら、これに代る新政治形態がいまだ示されず、共產主義の否定があつて、いまだ日本精神による指導理論が示されてゐない。この時にあたり、皇祖こうそ以來の詔勅を通じてはいせらるる列聖れっせい御精神ごせいしん闡明せんめいし、日本精神の淵源えんげんを明らかならしむると共に、政治・經濟けいざい・思想・社會しゃかい・道德・敎育・軍事・外交・神祇しんぎ佛敎ぶっきょう等の各部門にかんする詔勅をそれぞれ類聚るいじゅう謹述きんじゅつして、非常時國難こくなん當面とうめんせる日本に、新たなる方向を明示めいじすることは、刻下こっか喫緊きっきん要務たるを信ずるものである。すなわ淺學せんがく菲才ひさいをもみず、あえ聖勅せいちょく衍義えんぎの一大淨業じょうぎょう碎心さいしんきたりたる所以ゆえんである。

 本稿ほんこう執筆以來、齋戒さいかい沐浴もくよく、一切の訪客ほうかくし、兢兢きょうきょうとして筆を進めしも、一個の管見かんけん往々にして述べてくさざるものあるをおそる。これ一に著者不學ふがくの致すところであるが、もしもとかいあやまるところあらば、ことごとくこれ一身の罪にして、讀者どくしゃさいわいにこれをりょうとせられよ。つつしんで大方たいほう垂示すいじ叱正しっせいとをひ、將來しょうらい研尋けんじ討覈とうかくす。

 昭和八年十二月一日  森 淸人 謹識