大日本詔勅謹解2 道德敎育篇

51 故楠木正行追賞ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

故こ楠木くすのき正行まさつら追賞ついしょうノ勅語ちょくご(明治十年二月十七日) 【謹譯】汝なんじ正行まさつら、父ちちノ志こころざしヲ繼つキ、力ちからヲ王事おうじニ盡つくシ、遂ついニ國難こくなんニ斃たおル。朕ちん其その世忠せちゅうヲ追感ついか…

50 故武內宿禰追賞ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

故こ武內宿禰たけのうちすくね追賞ついしょうノ勅語ちょくご(明治十年二月十七日) 【謹譯】汝なんじ歷朝れきちょうニ奉仕ほうしシ、萬機ばんきヲ輔翼ほよくス。朕ちん深ふかク之これヲ追感ついかんス。今いま大和やまとニ幸こうスルニ因よリ、使つかいヲ遣…

49 故藤原不比等追賞ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

故こ藤原ふじはら不比等ふ ひ と追賞ついしょうノ勅語ちょくご(明治十年二月十日) 【謹譯】汝なんじ不比等ふ ひ と、父ちちニ繼ついテ皇室こうしつニ功勞こうろうアリ、且かつ律令りつりょうヲ鑒修かんしゅうス。朕ちん之これヲ追感ついかんス。今いま大和…

48 華族會館ニ臨ミテ華族ニ下シ給ヘル勅諭 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞく會館かいかんニ臨のぞミテ華族かぞくニ下くだシ給たまヘル勅諭ちょくゆ(明治八年十月七日 三條實美公 年譜) 【謹譯】朕ちん茲ここニ親臨しんりんシ、汝等なんじら華族かぞくニ宣示せんしス。朕ちん曩さきニ汝等なんじらニ諭さとス所ところアリ。…

47 開成學校開業式ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

開成かいせい學校がっこう開業式かいぎょうしきノ勅語ちょくご(明治六年十月九日 太政官日誌) 【謹譯】開成かいせい學校がっこう經營けいえい方まさニ功こうヲ竣おフ。朕ちん今いま其その開業かいぎょうヲ親視しんしシ、茲ここニ學術がくじゅつノ進歩しん…

46 開成學校開業式ノ時ニ雇敎師ニ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

開成かいせい學校がっこう開業式かいぎょうしきノ時ときニ雇やとい敎師きょうしニ下くだシ給たまヘル勅語ちょくご(明治六年十月九日) 【謹譯】開成かいせい學校がっこう經營けいえい、方まさニ功こうヲ竣おフ。朕ちん今いま群僚ぐんりょうヲ率ひきヰテ、茲…

45-2 改曆ノ詔 明治天皇(第百二十二代)

改曆かいれきノ詔みことのり(第二段)(明治五年十一月九日) 【謹譯】蓋けだシ太陽曆たいようれきハ太陽たいようノ躔度てんどニ從したがツテ月つきヲ立たツ。日子にっし多少たしょうノ異いアリト雖いえどモ、季候きこう早晩そうばんノ變へんナク、四歳さい…

45-1 改曆ノ詔 明治天皇(第百二十二代)

改曆かいれきノ詔みことのり(第一段)(明治五年十一月九日) 【謹譯】朕ちん惟おもフニ我邦わがくに通行つうこうノ曆こよみタル太陰たいいんノ、朔望さくぼうヲ以もっテ月つきヲ立たテ太陽たいようノ躔度てんどニ合がっス。故ゆえニ二三年間ねんかん必かな…

44-5 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくヲ召めシ給たまヒテ留學りゅうがく及および海外かいがい周遊しゅうゆうヲ奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第五段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌) 【謹譯】誠まことニ能よク人々ひとびと此ここニ注意ちゅういシ、勤勉きんべんノ力ちから…

44-4 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくヲ召めシ給たまヒテ留學りゅうがく及および海外かいがい周遊しゅうゆうヲ奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第四段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌) 【謹譯】且かつ我邦わがくに女學じょがくノ制せい未いまタ立たたサルヲ以もっテ、婦女ふ…

44-3 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくヲ召めシ給たまヒテ留學りゅうがく及および海外かいがい周遊しゅうゆうヲ奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第三段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌) 【謹譯】夫そレ勤勉きんべんノ力ちからヲ致いたスハ、智ちヲ開ひらキ才さいヲ研みがクヨ…

44-2 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくヲ召めシ給たまヒテ留學りゅうがく及および海外かいがい周遊しゅうゆうヲ奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第二段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌) 【謹譯】特とくニ華族かぞくハ國民こくみん中ちゅう貴重きちょうノ地位ち いニ居おリ、衆…

44-1 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくヲ召めシ給たまヒテ留學りゅうがく及および海外かいがい周遊しゅうゆうヲ奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第一段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌) 【謹譯】朕ちん惟おもフニ宇內うだい列國れっこく、開化かいか富强ふきょうノ稱しょうア…

43 文部省雇米國人「フルベツキ」ニ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

文部省もんぶしょう雇やとい米國人べいこくじん「フルベツキ」ニ下くだシ給たまヘル勅語ちょくご(明治四年十月五日) 【謹譯】汝なんじ久ひさシク我邦わがくにニ在あリ、敎導きょうどうヲ奉ほうシ、生徒せいとヲ訓導きょうどうス。朕ちん深ふかク之これヲ嘉…

42-2 服制ヲ改ムルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

服制ふくせいヲ改あらたムルノ勅語ちょくご(第二段)(明治四年九月四日 岩倉公實記) 【謹譯】夫そレ神州しんしゅう、武ぶヲ以もっテ治ちスルヤ固もとよリ久ひさシ。天子てんし親みずかラ之これカ元帥げんすいト爲なリ、衆庶しゅうしょ以もっテ其風そのふ…

42-1 服制ヲ改ムルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

服制ふくせいヲ改あらたムルノ勅語ちょくご(第一段)(明治四年九月四日 岩倉公實記) 【謹譯】朕ちん惟おもフニ風俗ふうぞくナル者もの、移換いかん以もっテ時ときノ宜よろシキニ隨したがヒ、國體こくたいナル者もの、不拔ふばつ以もっテ其その勢いきおい…

41 故大石良雄等を追賞するの勅語 明治天皇(第百二十二代)

故こ大石おおいし良雄よしたか等らを追賞ついしょうするの勅語ちょくご(明治元年十一月五日 法令全書) 汝良雄等固執主從之義、復仇死於法。百世之下、使人感奮興起。朕深嘉賞焉。今幸東京、因遣使權辨事藤原獻、弔汝等之墓、且賜金幣。宣。 【謹譯】汝なん…

40 故藤原藤房を追賞するの勅語 明治天皇(第百二十二代)

故こ藤原ふじはら藤房ふじふさを追賞ついしょうするの勅語ちょくご(明治元年九月二十二日 法令全書) 富元弘之年、效力皇室、至忠惻怛。千秋之下、使人景慕不止。近江國妙感寺汝之古跡。近接東巡之道、追感殊深。因爲慰汝之靈魂、遣使石山右兵衞權佐藤原基…

39-5 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうを行おこなふの制せい(第五段)(貞觀二年十月 三代實錄) 宜自今以後立於學官、敎授此經、以充試業。庶革前儒必固之失、遵先王至要之源。但去聖久遠、學不厭博。若猶敦孔注有心講誦、兼聽試用莫令失望。 【謹譯】宜よろしく自…

39-4 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうを行おこなふの制せい(第四段)(貞觀二年十月 三代實錄) 然則孔鄭之注並廢於時、御注之經獨行於世。而唯傳彼注未讀件經。假之通論未爲允慥。鄭孔二注卽謂非眞、御注一本理當遵行。 【謹譯】然しからば則すなわち孔こう・鄭じ…

39-3 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうを行おこなふの制せい(第三段)(貞觀二年十月 三代實錄) 於是、當時有識碩德名儒、咸集廟堂恭尋聖義、妙理甚深常情難測、同共嗟服伏請頌傳。侍中安陽縣男乾曜等奏曰、天文昭爛洞合幽微、望卽施行佇光來葉。制曰可。 【謹譯】…

39-2 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうを行おこなふの制せい(第二段)(貞觀二年十月 三代實錄) 今案、大唐玄宗開元十年、撰御注孝經作新疏三卷。以爲、世傳鄭注比其所注、余義理專非。又稽之鄭志、康成不注孝經。安國之本梁亂而亡。今之所傳出自劉炫。事義紛薈誦…

39-1 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうを行おこなふの制せい(第一段)(貞觀二年十月 三代實錄) 哲王之訓以孝爲基。夫子之言窮性盡理、卽知一卷孝經十八篇章、六籍之根源百王之模範也。然此間學令、孔鄭二注爲敎授正業。厥其學徒相沿、盛行於世者、安國之注、劉炫…

38 宴飮をなし美服を著するを禁ずるの詔 文德天皇(第五十五代)

宴飮えんいんをなし美服びふくを著ちゃくするを禁きんずるの詔みことのり(嘉祥三年四月 文德實錄) 易月之制、雖據舊章、臣子之道須存心喪。宜仰有志朞年之內、禁宴飮作樂、及著美服。 【謹譯】月つきを易かふるの制せい、舊章きゅうしょうに據よると雖いえ…

37 武藏國多摩郡の節婦眞刀自咩を賞するの勅 仁明天皇(第五十四代)

武藏國むさしのくに多摩郡たまごおりの節婦せっぷ眞刀自咩ま と じ めを賞しょうするの勅みことのり(承和十三年五月 續日本後紀) 宜特授位二階、兼終身免同戸田租。 【謹譯】宜よろしく特とくに位い二階かいを授さずけ、兼かねて身みを終おふるまで同戸ど…

36 加賀國の孝子財部繼麻呂を旌表せしむるの勅 仁明天皇(第五十四代)

加賀國かがのくにの孝子こうし財部たからべの繼麻呂つぐまろを旌表せいひょうせしむるの勅みことのり(承和四年十一月 續日本後紀) 宜叙三階、終身免其戸租、旌表門閭、令衆庶知。 【謹譯】宜よろしく三階かいに叙じょし、身みを終おわるまで其その戸租こ …

35 五位以上の高年者朝會に預らざるの制 嵯峨天皇(第五十二代)

五位い以上いじょうの高年者こうねんしゃ朝會ちょうかいに預あずからざるの制せい(弘仁十三年二月 類聚國史) 五位已上高年者不預朝會。但賜節祿而已。 【謹譯】五位い已上いじょうの高年者こうねんしゃは朝會ちょうかいに預あずからず。但ただし節祿せつろ…

34-2 朝堂禮法の制 嵯峨天皇(第五十二代)

朝堂ちょうどう禮法れいほうの制せい(第二段)(弘仁十年六月 日本紀略) 省臺長官初就位者、輔弼已下及所管寮司長官已下皆起。刑部大判事效之。輔弼初就位者、省寮寮司主典已下皆起。判事屬效之。若長官先在座者不起。寮司長官就位者、主典已下不起。但於…

34-1 朝堂禮法の制 嵯峨天皇(第五十二代)

朝堂ちょうどう禮法れいほうの制せい(第一段)(弘仁十年六月 日本紀略) 諸司於朝堂見親王大臣、以磬折代跪伏、以起立代動座。太政官少辨已上初就位者、外記左右史以下皆起。若大辨一人先就位者、見後來大辨已下不起。中辨已下先就位者、見後來大辨卽起。 …

33 禮容を敎習するの勅 嵯峨天皇(第五十二代)

禮容れいようを敎習きょうしゅうするの勅みことのり(弘仁九年正月 類聚國史) 比年賀正之臣不諳禮容。俛仰之間、或致違失。威儀有闕、積慣無改。宜令所司、毎至一季冬月預加敎習、俾容止可觀、進退可度。但參議幷三位已上不在此限。 【謹譯】比年このごろ賀…

32 夷俘を訓導するの勅 嵯峨天皇(第五十二代)

夷俘い ふを訓導くんどうするの勅みことのり(弘仁七年八月 類聚國史) 夷俘之性異於平民。雖從皇化野心尙存。是以先仰諸國令加敎喩。今因幡、伯耆兩國俘囚等、任情入京越訴小事。此則國吏等撫慰失方、判斷乖理之所致也。自今以後篤加訓導、有如此者專當國司…

31-2 病を看養し屍を収斂するの勅 平城天皇(第五十一代)

病やまいを看養かんようし屍かばねを収斂しゅうれんするの勅みことのり(第二段)(大同三年二月 類聚國史) 又頃者疫癘、死者稍多。屍骸無斂、露委路傍。甚乖掩骼埋胔之義。宜令諸國巡撿看養、一依先格。所有之骸皆悉収斂焉。 【謹譯】又また頃者このごろ疫…

31-1 病を看養し屍を收斂するの勅 平城天皇(第五十一代)

病やまいを看養かんようし屍かばねを収斂しゅうれんするの勅みことのり(第一段)(大同三年二月 類聚國史) 今聞。往還百姓在路病患、或因飢渇卽致死亡。是誠所司不存格旨、村里無意看養也。 【謹譯】今聞いまきくならく、往還おうかんの百姓ひゃくせい、路…

30 長門國司を戒むるの勅 平城天皇(第五十一代)

長門ながと國司こくしを戒いましむるの勅みことのり(大同元年七月 日本後紀) 關津之制爲察衆違。苟有阿容何設朝憲。今聞、長門國司勘過失理、衆庶嗷嗷。自今以後不得更然。若有違犯特寘重科。 【謹譯】關津かんしんの制せいは衆違しゅういを察さっすること…

29-3 勸學田を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

勸學田かんがくでんを置おくの勅みことのり(第三段)(延曆十一年閏十一月 日本紀略) 庶、崐墟之璞、藉琢磨而騰輝、稽峯之箭資括羽而增美、然後採擇英髦用秉庶績。論其弘益、豈不大哉。 【謹譯】庶ねがはくば崐墟こんきょの璞ぼく、琢磨たくまを藉かりて輝…

29-1 勸學田を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

勸學田かんがくでんを置おくの勅みことのり(第一段)(延曆十二年九月 日本紀略) 古之王者敎學爲先。訓世垂風莫不由此。朕留心膠庠屬想儒宗、修鄒魯之前蹤弘洙泗之往烈。而經籍之道、于今未隆、好學之徒無聞焉。 【謹譯】古いにしえの王者おうじゃは敎學き…

29-2 勸學田を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

勸學田かんがくでんを置おくの勅みことのり(第二段)(延曆十一年閏十一月 日本紀略) 今盖簞食瓢飮非性所安。皷篋横經中途而止。永言其弊情深興復。其去天平寶字元年所置大學寮田三十町、生徒稍衆不足供費。宜更加置前件水田通前一百三十餘町、名曰勸學田…

28 漢音を熟習するの勅 桓武天皇(第五十代)

漢音かんおんを熟習じゅくしゅうするの勅みことのり(延曆十一年閏十一月 日本紀略) 明經之徒不正習音。發聲誦讀旣致訛謬。熟習漢音。 【謹譯】明經みょうぎょうの徒と、習音しゅうおんを正たださず。發聲はっせい誦讀しょうどく旣すでに訛謬かびょうを致い…

27 老を養ふの詔 桓武天皇(第五十代)

老おいを養やしなふの詔みことのり(延曆六年三月 續日本紀) 養老之義、著自前修。歷代皇王率由斯道。方今時屬東作、人南赴畝。廼睠生民情深矜恤。其左右京五畿內七道諸國、百歳已上各賜榖二斛、九十已上一斛、八十已上五斗、鰥寡孤獨及癈疾之徒者、量其老…

26 天長節を定むるの勅 光仁天皇(第四十九代)

天長節てんちょうせつを定さだむるの勅みことのり(寶龜六年九月 續日本紀) 十月十三日、是朕生日。毎至此辰、感慶兼集。宜令諸寺僧尼、毎年是日轉經行道、海內諸國幷、宜斷屠。內外百官賜酺宴一日、仍名此日爲天長節。庶使廻斯功德、虔奉先慈、以此慶情、…

25 諸國史生の任限を四歳とするの勅 淳仁天皇(第四十七代)

諸國しょこく史生しせいの任限にんげんを四歳さいとするの勅みことのり(天平寶字二年十月 續日本紀) 諸國史生、遷易依格待滿六年者。望人旣多、任所良少。由此、或有至於白頭不得一任、空歸故郷、潜抱怨歎。自今以後宜以四歳爲限、遍及群人。 【謹譯】諸國…

24 老丁耆老を憫むの勅 孝謙天皇(第四十六代)

老丁ろうてい耆老きろうを憫あわれむの勅みことのり(天平寶字二年七月 續日本紀) 東海東山道問民苦使、正六位下藤原朝臣淨辨等奏儞、兩道百姓盡頭言曰、依去天平勝寶九歳四月四日恩詔、中男正丁並雖加一歳、老丁耆老倶脫恩私。望請、一准中男正丁、欲霑非…

23 端五の節を停むるの詔 孝謙天皇(第四十六代)

端五たんごの節せちを停とどむるの詔みことのり(天平寶字二年三月 續日本紀) 朕聞、孝子思親、終身罔極。言編竹帛千古不刊。去天平勝寶八歳五月先帝登遐。朕、自遭凶憫、雖情感傷、爲禮所防、俯從吉事。但毎臨端五、風樹驚心、設席行觴、所不忍爲也。自今…

22 集會飮酒を禁ずるの詔 孝謙天皇(第四十六代)

集會しゅうかい飮酒いんしゅを禁きんずるの詔みことのり(天平寶字二年二月 續日本紀) 隨時立制、有國通規、議代行權、昔王彝訓。頃者民間宴集、動有違𠎝。或同惡相聚濫非聖化、或醉亂無節、便致鬪爭。據理論之、甚乖道義。自今已後、王公已下、除供祭療患…

21-3 諸學生の所課を勉勵するの勅 孝謙天皇(第四十六代)

諸學生しょがくせいの所課しょかを勉勵べんれいするの勅みことのり(第三段)(天平寶字元年十一月 續日本紀) 竝應任用。被任之後、所給公廨、一年之分、必應令送本受業師。如此則有尊師之道終行、敎資之業永繼。國家良政、莫要於茲。宜告所司、早令施行。 …

21-2 諸學生の所課を勉勵するの勅 孝謙天皇(第四十六代)

諸學生しょがくせいの所課しょかを勉勵べんれいするの勅みことのり(第二段)(天平寶字元年十一月 續日本紀) 其須講、經生者三經、傳生者三史。醫生者太素、甲乙、脈經、本草。針生者素問、針經、明堂脈決。天文生者、天官書、漢晉天文志、三色簿讃、韓揚…

21-1 諸學生の所課を勉勵するの勅 孝謙天皇(第四十六代)

諸學生しょがくせいの所課しょかを勉勵べんれいするの勅みことのり(第一段)(天平寶字元年十一月 續日本紀) 如聞、頃年諸國博士醫師、多非其才。託請得選、非唯損政、亦无益民。自今已後、不得更然。 【謹譯】如聞きくならく、頃年このごろ諸國しょこくの…

20 天皇・皇后の御名を冒すを禁ずるの勅 孝謙天皇(第四十六代)

天皇てんのう・皇后こうごうの御名み なを冒おかすを禁きんずるの勅みことのり(天平寶字元年五月 類聚三代格) 頃者百姓之間、曾不知禮。以御宇、天皇及皇后等御名、有著姓名者。自今以後、不得更然。所司或不改正、依法科罪。主者施行。 【謹譯】頃者この…

19 雙六を禁ずるの勅 孝謙天皇(第四十六代)

雙六すごろくを禁きんずるの勅みことのり(天平勝寶六年十月 續日本紀) 官人百姓、不畏憲法、私聚徒衆、任意雙六。至於淫迷、子無順父、終亡家業、亦(虧)孝道。因斯遍仰京畿七道諸國、固令禁斷、其六位已下、無論男女、決杖一百、不須蔭贖。但五位者、卽解…

18 朝廷の禮儀を停むるの詔 元正天皇(第四十四代)

朝廷ちょうていの禮儀れいぎを停とどむるの詔みことのり(養老六年正月 續日本紀) 朕以不天奄丁凶酷、嬰蓼莪之巨痛、懷顧復之深慈。悲慕纏心不忍賀正。宜朝廷禮皆儀悉停之。 【謹譯】朕ちん、不天ふてんを以もって奄たちまち凶酷きょうこくに丁あたり、蓼莪…