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10-8 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第八段)(大化二年三月 日本書紀

別鹽屋鯯魚、神社福草、朝倉君、椀子連、三河大伴直、蘆尾直、此六人奉順天皇。朕深讃美厥心。宜罷官司處處屯田、及吉備島皇祖母處處㒃稻、以其屯田、班賜群臣及伴造等。又於脫籍寺、入田與山。

【謹譯】べつ鹽屋連しおやのむらじ鯯魚このしろ神社福草かみこそのさきくさ朝倉君あさくらのきみ椀子君まりこのきみ三河大伴直みかわのおおとものむらじ蘆尾直すすきおのあたいの六にん天皇てんのうしたがたてまつる。ちんふかこころ讃美さんびす。よろしく官司つかさ處處ところどころ屯田み たおよ吉備島皇祖母きびしまのすめみおや處處しょしょ㒃稻いらしのいねめ、屯田み たもって、群臣ぐんしんおよ伴造とものみやつこわかたまふべし。またせきれたるてらに、やまとをれよ。

【字句謹解】◯鹽屋連鯯魚 鹽屋連しおやのむらじ武內宿禰たけのうちのすくねの子の葛城曾都彥かつらぎのそつひこだとしょうせられてゐる ◯神社福草 神社かみこそせいであるが、系統は不詳ふしょう ◯椀子連 このむらじ日臣命ひのおみのみことせいの孫にあた金村大連かなむらのおおむらじであるといはれる ◯三河大伴直 大伴部直おおともべのあたいの一族が三河みかわに居た時のしょうであらうといはれる ◯蘆尾直 この系は未詳みしょうである ◯官司の處處の屯田 現在官吏かんりの統治してゐる諸々の御料田ごりょうでん ◯吉備島皇祖母 天皇御母君おんははぎみにまします吉備姬王き び ひ めのことを申したてまつる。『皇極紀こうぎょくき』の二年九月にこうぜられた。島とは大和國やまとのくに高市郡たけちごおりのある所で、その地にましました ◯㒃稻 一ぽんには貸稻かしいねとあり、小作人こさくにんに作らせてゐる田の意 ◯籍に脫れたる 寺院として朝廷に報告されず、したがつて何等なんら恩典おんてんよくしなかつた平寺ひらでら。これに山又は田をたまわつたのである。

【大意謹述】その鹽屋連しおやのむらじ鯯魚このしろ神社福草かみこそのさきくさ朝倉君あさくらのきみ椀子君まりこのきみ三河大伴直みかわのおおとものあたい蘆尾直すすきおのあたいの六人は忠順ちゅうじゅん天皇めいしたがたてまつつた。ちんはそれを深くよみする。ゆえに早速諸方しょほう官吏かんりが治めてゐる御料田ごりょうでん、及び大和やまと高市郡たけちごおりにある朕の亡き母君吉備姬王き び ひ めが所有されてゐた諸處しょしょ小作地こさくちとどめ、その御料田ごりょうでん群臣ぐんしん及び伴造とものみやつこなど、今げた人々に分配するのがよい。又、寺院の籍帳せきちょうに入らない平寺ひらでらに、この際、田と山とをたまはるやう致したい。

10-7 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第七段)(大化二年三月 日本書紀

夫爲君臣、以牧民者、自率而正、執敢不直。若君或臣、不正心者、當受其罪、追悔何及。是以凡諸國司、隨過輕重、考而罰之。又諸國造違詔、送財於己國司、遂倶求利、恒懷穢惡、不可不治。念雖若是、始處新宮、將幣諸神、屬乎今歳。又於農月、不合使民。緣造新宮、固不獲已。深感二途、大赦天下。自今以後、國司郡司、勉之勗之、勿爲放逸。宜遣使者、諸國流人及獄中囚人、一皆放捨。

【謹譯】君臣くんしんとなりて、もったみやしなものは、みずかひきゐてたださば、いずれあえなおからざらむ。きみあるいしんこころただしくせずば、まさつみくべし、うてゆともなんおよばむ。ここもっおよもろもろ國司こくしとがかるおもさにしたがひて、かんがへてばっせむ。またもろもろ國造くにのみやつこみことのりたがひて、ざいおのれ國司こくしおくり、ついとももとめ、つね穢惡けがらわしきいだくは、おさめざるべからず。おもふことかくごとしといえども、はじめて新宮しんぐうて、まさ諸神しょしんみてぐらをたてまつらんとすること、今歳こんさいあたれり。また農月なりわいのつきいてたみ使つかからざれども、新宮しんぐうつくるにりて、すでむことをず。ふかく二かんじて、おおい天下てんかゆるす。自今じこん以後い ご國司こくし郡司ぐんじつとめよつとめよ、放逸ほういつをすることなかれ。よろしく使者ししゃつかわして、諸國しょこく流人るじんおよ獄中ごくちゅう囚人めしゅうどを、一にみな放捨ほうしゃせよ。

【字句謹解】◯君臣となりて きみの地位に居て大勢おおぜいの民を率ゐる者はの意、これは國司こくしと人民との關係かんけいに就いて言はれたのである ◯自ら率ゐて正さば 正さばは正さずんばの意、きみが御自身で最好さいこうの模範を示して國民への感化かんかあたへなければといつたほどの義 ◯孰か敢て直からざらむ 誰が自分から進んで行動を正しくしようか。しんきみ萬事ばんじを模範とするから、暗君あんくんもとには惡臣あくしんが集り、明君めいくんもとには良臣りょうしんあつまるといつた ◯考へて よく事實じじつを調査して ◯穢惡 不正の意 ◯治めざるべからず 取締らなくてはならない ◯新宮 新しい神殿しんでん ◯今歳に屬れり 今年にそれを行ふことになつた ◯農月 農繁期のうはんきのこと、農繁期に民を使役しえきしてはならないことは聖人せいじんおしえとして支那し な古典に多くしるせられてをり、我が國でも聖徳太子しょうとくたいしの十七憲法中に明記してある ◯二途に感じて 二とは諸神しょしん幣帛ぬ さたてまつることと、新宮しんぐうを造ることとである ◯天下に赦す 天下の罪人をゆるすこと、神事しんじ及び國家の慶事けいじあたつて大赦たいしゃする事は東西に例が多い ◯勗めよ 職務にせい出すこと ◯放逸 我儘わがまま勝手な行動 ◯流人 流罪るざい服役ふくえき中の人々 ◯放捨 自由な身にする。

【大意謹述】一たい、國家の君主として多數たすうの國民を統治する者が、自分から最好さいこうの模範を示して國民を導かないならば、誰が進んで正しきすぐ行爲こういをする者があらうか。きみが正しい心でい模範を示した時に、始めてしんはその感化かんかを受けて正しくなるのである。ゆえきみしんも、正しい心を持たないと、すなわ天神あまつかみの罰を受けるであらう。その時になつて後悔こうかいしても、及ばない。ゆえ今囘こんかい罪を犯した諸國司こくしは、その罪の輕重けいちょうを十分に調査したのちに罰せなければならず、又、國造くにのみやつこみことのりむねしたがはず、財物ざいぶつを自分の關係かんけいしてゐる國司こくしに送り、結局協同して利益りえきを求め、常々からおのれの職を忘れて不正手段をのみ考へてゐる者は、取締らなければならない。

 みことのりそむいた國司こくし國造くにのみやつこ罪狀ざいじょうによつて重く處刑しょけいしなければならぬとちん考慮こうりょしたが、又、考へ直して見るのに、今年は新しく宮々みやみやを作つて諸神しょしん幣帛ぬ さたてまつる年にあたり、つ、いにしえから農繁期のうはんきに民を使役しえきさせるなとあるのを破つて、新宮しんぐうのために心苦しくも使用せざるを得ない。この二を深く考へて、朕はここに天下中にれいして、罪人をゆるすことにした。よっ國司こくし郡司ぐんじは心を入れかへ、今後、職務に忠實ちゅうじつ治績ちせきをあげ、再び勝手な不正行為こういをするな。更に諸國に使者をつかわして、各地に服役ふくえき中の流罪るざいの刑を受けた者、及び獄中ごくちゅうの罪人を、ことごとく自由に放免ほうめんするがい。

【備考】以上の御言葉みことば拜誦はいしょうすると、正義の上から、官吏かんり非違ひ いあきらかにされたところに、秋霜しゅうそう烈日れつじつの如きがある。が、一方において、寬典かんてんを以てのぞまれ、彼等の罪をいて更生せんことを諭さとされたところは、春日しゅんじつ和風わふうの如き溫味あたたかみがある。たんに威力のみを以てしては、士民しみんは、心からふくしない。ところが、更に溫味あたたかみを以てせらるる時、彼等はくなづき、心から歸服きふくする。今、寬嚴かんげん共によろしきを得た大御言葉おおみことばに接し、官吏かんりらは、いづれも、衷心ちゅうしん、そのい、新しく更生してちゅういたさうと考へたであらう。

10-6 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第六段)(大化二年三月 日本書紀

大市連所犯者、違於前詔。前詔曰、國司等莫於任所、自斷民之所訴。輙違斯詔、自判莵礪人之所訴、及中臣德之奴事。中臣德亦是同罪也。涯田臣之過者、在於倭國被偷官刀、是不謹也。小綠臣、丹波臣、是拙而無犯。忌部木菓、中臣連正月、二人亦有過也。羽田臣、田口臣、二人竝無過也。平群臣所犯者、三國人所訴有而未問。以此觀之、紀麻利耆拖臣、巨勢德禰臣、穗積咋臣、汝等三人有所怠拙也。念斯違詔、豈不勞情。

【謹譯】大市連おおちのむらじおかところは、さきみことのりたがへり。さきみことのりいわく、國司こくし任所にんしょいて、みずかたみうったふるところだんずるなかれと。すなわみことのりたがひて、みずか莵礪う とひとうったふるところおよ中臣德なかとみのとくやっこことことわれり。中臣德なかとみのとくまた同罪どうざいなり。涯田臣きしたのおみとがは、倭國やまとのくにりてつかさかたなぬすまる、つつしまざるなり。小綠臣おみどりのおみ丹波たにわのおみつたなけれどもおかすことなし。忌部木菓いんべのこのみ中臣連なかとみのむらじ正月むつき、二にんまたとがあり。羽田臣はねだのおみ田口臣たぐちのおみ、二にんならびにとがなし。平群へぐりのおみおかところ三國人みくにびとうったふるところあるもいまはず。これもっこれれば、紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ巨勢德禰臣こせのとくねのおみ穗積咋臣ほづみのくいのおみ汝等なんじらにんおこたつたなところあるなり。みことのりたがふことをおもふに、こころいためざらむや。

【字句謹解】◯前の詔 やはり大化たいか元年八月のみことのりのこと。それにはこの文にあたる部分は「又國司こくしくににありて罪をことわることを得ず」と拜察はいさつ出來る ◯任所 赴任ふにんした土地 ◯斷ずるなかれ 裁判してはならない ◯輙ち 事の度々ある時に用ゐる語である ◯莵礪の人 駿河するがのくに有度郡うどごおりのことだと『倭名抄わみょうしょう』にある ◯ 所謂いわゆる「やつこ」で農奴のうどの意 ◯小綠臣 けい未詳みしょう ◯丹波 これも不明、兩人りょうにん共に名がけてゐる ◯拙なけれども犯すことなし 別に治績ちせきはあがらないがみことのりに反した行動はない ◯羽田臣 『推古紀すいこき』三年には波多臣はたのおみとある ◯田口臣 『推古紀すいこき』元年には蘇我田口臣そがのたぐちのおみとある。これは果して同人どうにんであるか不明で、この兩人りょうにんも名がけてゐる ◯穗積咋臣 さき穗積臣咋ほづみのおみくいとあつた人のこと ◯汝等三人 特にこの三人をここで云々うんぬんされる理由は不明とされてゐる ◯情を勞めざらむや 氣持きもちが非常にみだれる意で、じょうに於いて悲しいこと。

【大意謹述】次に大市連おおちのむらじまた去年八月のみことのりそむいた行動を執つた。それにはちんの名のもとに「國司こくしなどは、赴任地ふにんちに於いて決して人民の訴訟をみずから裁いてはならない」と明らかに記してある。それにもかかわらず、この大市連おおちむらじは、數度すうど詔旨しょうしを犯し、駿河するがのくに有度郡うどごおりの人の訴訟、及び中臣德なかとみのとく農奴のうどかんした裁判をみずから行つてゐる。これを大市連おおちむらじ關係かんけいさせた中臣德なかとみのとくまた同罪といはなければなるまい。涯田臣きしたのおみやまとくに官刀かんとうを盗まれた。平常態度をつつしまない結果である。次に小綠臣おみどりのおみ丹波たにわのおみとは、別に治績ちせきはあがらないが、みことのりむねを犯したことはない。忌部木菓いんべのこのみ中臣連なかとみのむらじ正月むつきの二人は罪があり、羽田臣はねだのおみ田口臣たぐちのおみの二人は共に罪はない。又、平群へぐりのおみの犯した罪は、三國人みくにびとが訴へても何等なんら取り合はなかつたことである。

 以上、國造くにのみやつこ、及び朝集使ちょうしゅうしの報告によれば、紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ巨勢德禰臣こせのとくねのおみ及び穗積咋臣ほづみのくいのおみの三人は、特に職務をおこたり、官職かんしょくみだした事が多い。ちんが下した詔文しょうぶんになぜたがふやうなことをしてくれたのかと、じつに朕は心のうちこれなげけないわけにはかなかつた。

10-5 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第五段)(大化二年三月 日本書紀

其阿曇連所犯者、和德史有所患時、言於國造、使送官物、復取湯部之馬。其介膳部臣百依所犯者、草代之物、收置於家、復取國造之馬、而換他馬來。河邊臣磐管、湯麻呂兄弟二人亦過也。

【謹譯】阿曇連あづみにむらじおかところは、和德史わとくのふひとわずらところあるときに、國造くにのみやつこひて、官物かんぶつおくらしめ、湯部ゆ べうまる。すけ膳部臣かしわでのおみ百依ももよりおかところは、草代くさしろものいえおさき、國造くにのみやつこうまり、うまへてきたる。河邊臣かわべのおみ磐管いわつつ湯麻呂ゆ ま ろ兄弟きょうだいにんまたとがあり。

【字句謹解】◯和德史 これは名がけてゐる。百濟人くだらびと和德わとくのちで、『日本紀しょくにほんぎ』の神龜しんき二年六月には、和德史わとくのふひと龍麻呂たつまろなどに大縣史おおあがたのふひとせいたまはつたよしが見える ◯患ふ所 病氣びょうきになる。この事件は個人としての病氣びょうき見舞みまい官物かんぶつを使用した罪である。る人は和德史わとくのふひと病氣びょうきになつたのをさいわいとして、その所有物を官庫かんこに納めてしまつたとく。いずれにしても罪であることにかわりはない ◯湯部の馬 皇室の御浴料田ごよくりょうでんに耕す人々の馬のこと、これも國造くにのみやつこに命じて奪つたのであらう ◯草代の物 調ちょうとして朝廷に差し出す草のこと、これを自己の家にとどめて私有した罪である ◯他の馬 價値か ちおとる馬であることは言ふまでもない。

【大意謹述】次に阿曇連あづみのむらじが犯した罪は、和德史わとくのふひと病氣びょうきを見舞ふために、國造くにのみやつこに命じて勝手に官物かんぶつ費消ひしょうし、更に皇室の御浴料ごよくりょうの田に働く人々の馬をも奪つた。その次官じかんである膳部臣かしわでのおみ百依ももよりが犯した罪は、調ちょうとして皇室にたてまつる草を自己の家にとどめて意のままに使用したり、國造くにのみやつこが所有する馬を奪つて、劣等な馬にへてもどした。河邊臣かわべのおみ磐管いわつつ湯麻呂ゆ ま ろ兄弟もまた罪がある。

10-4 東國の朝集使を訓諭し給へる詔 孝德天皇(第三十六代)

東國とうごく朝集使ちょうしゅうし訓諭くんゆたまへるみことのり(第四段)(大化二年三月 日本書紀

其紀麻利耆拖臣所犯者、使人於朝倉君、井上君二人之所、而爲牽來其馬視之。復使朝倉君作刀、復得朝倉君之弓布。復以國造所送兵代之物、不明還主、妄傳國造。復於所任之國被他偷刀。復於倭國被他偷刀。是其紀臣、其介三輪君大口、河邊臣百依等過也。其以下官人、河邊臣磯泊、丹比深目、百舌鳥長兄、葛城福草、難波癬龜、犬養五十君、伊岐史麻呂、丹比犬眼、凡是八人等、咸有過也。

【謹譯】紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみおかところは、ひと朝倉君あさくらのきみ井上君いのうえのきみにんもと使つかはして、めにうまきたりてる。朝倉君あさくらのきみをしてかたなつくらしめ、朝倉君あさくらのきみゆみぬのたり。國造くにのみやつこおくところ兵代つわものしろものもって、あきらかにしゅかえさず、みだりに國造くにのみやつこつたふ。にんずるところくにいてひとかたなぬすまれぬ。倭國やまとのくにいてひとかたなぬすまれぬ。これ紀臣きのおみすけ三輪君みわのくみ大口おおぐち河邊臣かわべのおみ百依ももよりとがなり。以下い か官人かんじん河邊臣かわべのおみ磯泊しはつ丹比深目たじひのふかめ百舌鳥も ず の長兄ながえ葛城福草かつらぎのさきくさ難波癬龜なにわのくいがめ犬養五十君いぬかいのいきみ伊岐史麻呂いきのふひとまろ丹比犬眼たじひのいぬめすべの八にんとがあり。

【字句謹解】◯紀麻利耆拖臣 うじで、麻利耆拖ま り き たは名である。系統は不明 ◯朝倉君 『聖武しょうむき』の天平てんぴょう九年二月のくだり位下いのげを授けられたよしが見え、『萬葉集まんようしゅうまき二十に上野防人こうずけのさきもりとして朝倉あさくら益人ますひとの名があり、『桓武かんむき』の延曆えんりゃく六年十二月に朝倉公あさくらのきみ家長いえながの名があるが、この朝倉君あさくらのきみとどれ程の關係かんけいがあるかは不明 ◯井上君 この人も系統不明 ◯兵代の物 兵器の事、各地方の兵器の所有者が國造くにのみやつこに保管を依賴いらいして置いた兵器を、自己の一存で國造くにのみやつこの所有とさせた意 ◯他に刀を偷まれぬ 刀とは官刀かんとうのことであらう ◯三輪君大口 でんつまびらかでない ◯河邊臣百依 これも不明 ◯河邊臣磯泊 系統不明 ◯丹比深目 丹比たじひうじ深目ふかめは名で、丹比たじひ火明命ほあかりのみことだとしょうされてゐる ◯百舌鳥長兄 百舌鳥も ずうじで、土師はにしの一族 ◯葛城福草 でんは不明 ◯難波癬龜 難波なにわ大彥命おおひこのみことまでさかのぼることが出來る。癬龜くいがめとは小さい錢龜ぜにがめのことであらうと『通釋つうしゃく』につてゐる ◯犬養五十君 『天武紀てんむき』には犬養連いぬかいのむらじ五十君い き みとあるから、のちせいたまはつたのらしい。犬養いぬかい神魂命かみたまのみこと十九世の孫の田根連たねのむらじのちだといはれる ◯伊岐史麻呂 でんは不明 ◯丹比犬眼 犬眼いぬめに就いては一ぽんには大眼おおめとある。

【大意謹述】次に紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみが犯した罪は、朝倉君あさくらのきみ井上君いのうえのきみの二人のもとに人をつかわして、自分の地位を利用して、その所有する馬を勝手に引き出し、所有してしまつた。その上朝倉君あさくらのきみ官刀かんとうを作らせたこともあり、同じく朝倉君あさくらのきみの弓と布とを强要きょうようした。更に各地方から國造くにのみやつこに預けた兵器の類を、その所有者に戻すことなく、國造にあたへてしまつたこともあり、任地で官刀かんとうを盗まれ、やまとの國でも官刀かんとうを盗まれた。これは紀麻利耆拖臣きのまりきたのおみ自身の不注意であることは言ふまでもなく、次官じかん三輪君みわのきみ大口おおぐち河邊臣かわべのおみ百依ももよりの罪もまぬがれない。それ以下の官吏かんりである河邊臣かわべのおみ磯泊しはつ丹比深目たじひのふかめ百舌鳥長兄もずのながえ葛城福草かつらぎのさきくさ難波癬龜なにわのくいがめ犬養五十君いぬかいのいきみ伊岐史麻呂いきのふひとまろ丹比犬眼たじひのいぬめなどの八人も、みな罪にあたるであらう。