15-2 東宮の事について群臣に下し給へる宣命 稱德天皇(第四十八代)

東宮とうぐうことについて群臣ぐんしんくだたまへる宣命せんみょう(第二段)(天平寶字八年十月 續日本紀

復勅、人人己比岐比岐此人、我功成君位謀、竊伊左奈須須牟己止莫。己可衣之不成事止曾、先祖滅繼絕。自今以後仁方、明、可仁可久仁止佐末多久奈久之天、敎賜乃末仁末仁奉侍勅御命、諸聞⻝勅。

【謹譯】またりたまはく、人人ひとびとおのがひきひきにひとてていさおとなさむとおもひて、きみくらいはかり、ひそかにこころかよはしてひとをいざなひすすむことなかれ。おのがえしなさぬことをはかるとぞ、先祖お やかどほろぼしつぎちぬる。いまよりのちにはあきらかにただしきこころをもちて、かにかくにとおもひさまたくことなくして、おしへたまひのまにまにつかへまつれとりたまふ御命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯己がひきひき 自分のこのむにまかせて ◯我が功となさむ 自分の功績としてよい地位を得ようとする ◯君の位を謀り 臣下しんかとして絕對ぜったいくちばしをいれてはならない皇位こういいて云々うんぬんする ◯己がえしなさぬこと 皇太子の決定けん天皇にあられるので、臣下しんかがそれを欲しても出來で きるものではないとの意。おのれ天皇以外の人々 ◯先祖の門も滅ぼし 先祖せんぞからいだ家門かもんほろぼすこと ◯繼も絕ち 後繼者こうけいしゃえる。この種の事件は當時とうじ仲麻呂なかまろそのの上にもあつた。『神祇じんぎ佛敎ぶっきょう篇』『軍事外交篇』参照さんしょう ◯さまたく さまたぐの意であらうといはれてゐる。

【大意謹述】天皇は更におおせられる。人々のうちには、自分の好み、あるいは特殊關係かんけいによつて、る人を皇太子にしようと運動し、それを自分の功績として地位の昇るのを考へる者もある。臣下しんかとしてくちばしれてはならない皇位こういいて云々うんぬんしたり、祕密裡ひみつり默契もっけもとに推薦運動をおこなうたりするのは固くこれを禁ずる。自分等が行へない目的を行はうとするからこそ、先祖せんぞから無事に受けいだ家門かもんほろぼし、後繼者こうけいしゃやす結果になるのである。今後は忠義に厚い、正直な心で、天皇御意ぎょいをあれやこれやと妨げることなく、萬事ばんじ敎戒きょうかいしたがつて奉仕するやうにありたい。右おおせられる御詞みことばを、一同の方々もきこしめすやうもうし上げる。

【備考】本勅ほんちょくについては、その事情を『神祇じんぎ佛敎ぶっきょう篇』その他で述べて置いたから、ここにはれない事とする。ただ當時とうじ淳仁じゅんにん天皇はいせられたのち孝謙こうけん上皇じょうこう法衣ほうえけつつ政務を總攬そうらんせられたものの、上下共に動搖どうよう不安の色が著しかつたので、本勅ほんちょくたもうて、人心じんしんの安定を計られたことだけを一げんもうし添へる。

15-1 東宮の事について群臣に下し給へる宣命 稱德天皇(第四十八代)

東宮とうぐうことについて群臣ぐんしんくだたまへる宣命せんみょう(第一段)(天平寶字八年十月 續日本紀

諸奉侍上中下人等良末久、國止方皇太子置定天、心於多比、常人念云所在。然今間此太子定不賜在故、人家武止流毛、必能之毛不在、天不授所在人、受天毛坐物仁毛不在、後壞。故是以、人流爾不得、力倍伎仁毛不在、猶天由流之天倍伎良牟止定不賜奴仁己曾阿禮。此天津日嗣位朕一、後不定止仁方不在。今之紀乃念見定牟仁、天授賜方牟、漸漸現奈武止天奈毛定不賜勅御命、諸聞⻝勅。

【謹譯】もろもろつかへまつる上中下かみなかしもひとどものおもへらまく、くにしずめとは、皇太子ひつぎのみこさだめてし、こころやすくおだひにありと常人つねびとおもふことにあり。しかるにいま太子み こさだめたまはずあるゆえは、ひとけむとおもひてさだむるもかならくしもあらず、あめさずけざるをてあるひとは、けてもまたいますものにもあらず、のちやぶれぬ。ここおもへばひとさずくるによりてもず、ちからをもちてあらそふべきものにもあらず、なおあめのゆるしてさずくべきひとはあらむとおもひてさだめたまはぬにこそあれ。天津あまつ日嗣ひつぎくらい一人ひとりむさぼりて、のちよつぎさだめじとにはあらず。いましきのは、おもさだめむに、あめさずけたまはむところ漸々ようようあらはれなむとおもひてなもさだめたまはぬとりたまふ御命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯上中下の人ども 朝廷に奉仕する人々全部の意 ◯思へらまく まくはむの延言えんげん、思ふかも知れないこと ◯國の鎭め くにが微動もしないこと ◯おだひに おだやかに ◯今の間 當分とうぶんの間の意 ◯天の授けざるを得てある人 天命てんめいを受けないで皇太子の地位を得た人 ◯後に壞れぬ 結局はその地位を去るやうになつてしまふ ◯今しきの間 今しばらくの間と同じ、は添へたことば

〔注意〕本詔ほんしょう天平てんぴょう寶字ほうじ八年十月九日にくだたまはつたので、同日のみことのりとしては、このほか

(一)淳仁じゅんにん天皇はいたまふの宣命せんみょう(續日本紀)(二)親王ふねのみこ池田親王いけだのみこを流したまふの宣命せんみょう(續日本紀

がある。

【大意謹述】朝廷に奉仕してゐる人々のすべてが、その地位の如何いかんかかわらず、くにかなえの重きを持して微動だもしないのは、皇太子を決定するからであつて、その後に於いて始めて國民こくみん安堵あんどし、國家こっか平穩へいおんに治るであらうと考へる。一般國民もまた同樣どうように思ひ、この事を口にしてゐるやうである。それにもかかわらず、ちん當分とうぶんの間、皇太子を定めないのは相當そうとうの理由があるので、朕はこの問題について次のやうに考へる。皇太子は人々が適當てきとうだと思ふ人を定めても、必ずしもその人物が正しい意味で適任だとは限らない。天神あまつみかみ御意ぎょいを得て、天から授け給はつたものでない以上、一度は皇太子の地位についても、その地位をまっとうすることが出來ず、結局はその地位を去るやうになつてしまふ。ゆえにこのてんから考へるのに、人々が定める者であつてもいけず、また勢力これを競ふ性質のものでもなく、かみ御意ぎょいを得て授ける人もあらうと考へ、決定しないでゐる。この萬世ばんせいけい皇位こういに朕が永くとどまらうと思つてそのために皇太子を決定しないのではない。今しばらくの間そのになつて樣子ようすを見れば、天神あまつみかみ御意ぎょいを得た、最適任者が必ずや出現するであらうと思ひ、それを待つ意味で決定しないのである。かやうにおおせられる天皇御詞みことばを、一同の方々もきこされるやうもうし上げる。

14 讓位の宣命 孝謙天皇(第四十六代)

讓位じょうい宣命せんみょう天平寶字二年八月 續日本紀

現神御宇天皇詔旨良麻止詔勅親王諸王諸臣百官人等、衆聞⻝宣。

高天原神積坐皇親神魯弃神魯美命、吾孫知⻝國天下事依奉、遠皇祖御世始天皇御世御世聞看來⻝國天日嗣高御座止奈母、隨神所念行久止天皇勅、衆聞⻝宣。

加久聞看來天日嗣高御座、天坐神地坐神相宇豆奈奉、相扶奉事弖之、此座平安御坐、天下者所知物良自止奈母、隨神所念行。然皇、天下政聞看事者、勞家利。年長日多此座坐、荷重力弱之弖、不堪負荷。加以、掛畏朕婆婆皇太后爾母、人子之理不得定省、朕情日夜不安。是以此位避、間弖之、如理婆婆爾波仕奉倍自止所念行弖奈母、日嗣定賜弊流皇太子授賜久止天皇御命、衆聞⻝宣。

【謹譯】あきみかみあめしたろしめす天皇すめら詔旨おおみことらまとりたまふおおみことを、親王み こたち、諸王おおきみたち、諸臣おみたち百官もものつかさひとたち、もろもろきこしめさへとる。

高天原たかまのはらかんまります皇親すめむつ神魯弃かんろぎ神魯美かんろみみことの、みまらさむ⻝國おすくにあめしたことさしまつりのまにまに、遠皇祖とおすめろぎ御世み よはじめて、天皇すめら御世み よ御世み よきこしめしくる⻝國おすくに天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざとなもかんながらおもほしめさくとりたまふ天皇すめらおおみことを、もろもろきこしめさへとる。

かくきこしめしくる天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざは、あめかみかみあいうづなひまつりあいたすけまつることによりてし、くらいにはたいらけくやすけくおはしまして、あめしたろしめすものにあるらしとなも、かんながらおもほしめす。さてすめらしてあめしたまつりごときこしめすこといとわしきいかしきことにありけり。年長としながおおくらいにませば、おもちからよわくしてもちあへたまはず。しかのみにあらず、けまくもかしこはは太后おおみおやみかどにも、ひとことわりにえつかへまつらねば、こころ日夜よるひるやすからず。ここをもて、くらいりていとまひとにありてし、ことわりのごとははにはつかへまつるべしとおもほしめてなも、日嗣ひつぎさだめたまへる皇太子すめらみこさずけたまはくとりたまふ天皇すめら御命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯現つ神 現在するかみの意で天皇を申したてまつる。なほこの下文かもんはこの種の宣命せんみょうの一般樣式ようしきで、下文かもん「かくきこしめしくる」から本詔ほんしょうかんし「さてすめらして」以下から御讓位ごじょうい本文ほんもんとなるのである ◯皇親 天皇御先祖ごせんぞを親しみたてまつつていはれたもの ◯神魯弃・神魯美の命 高皇產靈神たかみむすびのかみ神皇產靈神かみむすびのかみの事 ◯うづなひ 承諾すること ◯此の座 天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらのことで、すなわ皇位こういの義 ◯皇と坐して 天皇として ◯勞しき 不便ふびんなことから、心身の過勞かろうを意味することに轉化てんかした ◯荷重く 責任が重く ◯もちあへたまはず つづけることは出來で きない ◯朕が母皇太后 光明こうみょう皇后こうごう御事おんこと ◯人の子の理 人の子として當然とうぜんの義務である父母に孝養こうようをつくすこと ◯間の人 御讓位ごじょうい後、時間に餘裕よゆうある人 ◯日嗣と定めたまへる皇太子 淳仁じゅんにん天皇御事おんこと

〔注意〕御讓位ごじょういかんした詔勅しょうちょくとして、この時代に於いては、本詔ほんしょうを除き

(一)讓位じょういみことのり元明天皇靈龜元年九月、續日本紀)(二)讓位の宣命せんみょう聖武天皇天平勝寶元年七月、續日本紀)(三)讓位の宣命光仁天皇天應元年四月、續日本紀)(四)讓位の宣命平城天皇大同四年四月、日本後紀)(五)讓位の宣命淳和天皇天長十年二月、續日本紀

などがある。

【大意謹述】現御神あきつみかみとして天下を統治される天皇おおせられる御詞みことばを一同の方々もきこしめされるやう申し上げる。

 わが日本は高天原たかまのはらに居られる我が皇室の御先祖ごせんぞ高皇產靈神たかみむすびのかみ神皇產靈神かみむすびのかみが御自分の御血統の支配あられる天下だと仰せられてまかされた地である。おおせのままに、遠い御祖みおや天皇がた始め、諸天皇が代々支配あられたこの萬世ばんせいけい皇位こういであり、天業てんぎょうである。かく仰せらるる現世神あきつみかみ天皇御詞みことばを、一同の方々が拜承はいしょうされるやう申し上げる。

 のやうに繼承けいしょうされた萬世ばんせいけい皇位こういは、天地あめつち諸神しょじんが快く協力されることにつて始めて何の不安もなく皇位こういし、天下を統治出來ると天皇思召おぼしめされる。さて、天皇の地位に居て國政こくせいおこなふことは、はなはだ心身をろうする重大な職であり責任である。ちんは長い年月としつきこの位にゐたので、責任は重くこれ處理しょりする力は弱い。その上國政こくせいを支配することは不可能である。それのみではなく、恐れ多くも朕の御生母ごせいぼあたられる光明こうみょう皇后こうごうたいたてまつつても朕がこの地位にあるうちは、人の子として當然とうぜんつくすべき義務孝養こうようを致すことが出來ない。それらを考へると朕の心は晝夜ちゅうややすんじないのである。以上の理由から、今囘こんかい皇位こういを退いて暇な時間を持つ地位にをり、人の道のままに御生母につかたてまつりたいと考へる。よって皇太子に皇位こういゆずる次第である。かくおおせられる御詞みことばを、一同の方々もきこしめされるやうここもうし上げる。

13 南島に牌を樹つるの勅 孝謙天皇(第四十六代)

南島なんとうはいつるのみことのり天平勝寶六年二月 續日本紀

天平七年、故大貳從四位上小朝臣老遣高橋連牛養於南島樹牌。而其牌經年、今旣朽壞。宜依舊修樹、每牌顯著島名幷泊船處、有水處、及去就國行程、遙見島名、令漂著之船、知所歸向。

【謹譯】さんぬ天平てんぴょうねん大貳だいにじゅじょう小野朝臣おののあそみおゆ高橋連たかはしのむらじ牛養うしかい南島なんとうつかわしてはいつ。しかはいとして、いますで朽壞きゅうかいす。よろしくきゅうりておさめ、牌每はいごと島名とうめいならびふねはくするところみずのあるところおよくに去就きょしゅうするの行程こうていあらわし、はるかに島名とうめいて、漂著ひょうちゃくふね歸向きこうするところらしむべし。

【字句謹解】◯天平七年 聖武しょうむ天皇ぎょ年號ねんごうで、皇紀こうき一三九五年に相當そうとうする ◯大貳 太宰府だざいふ次官じかん ◯南島 琉球りゅうきゅう中心に臺灣たいわん及び九州地方諸島の事。〔註一〕參照 ◯ 文字を記した木の札 ◯今旣に朽壞す 現在はもうくちはててゐる。今とは天平てんぴょう勝寶しょうほう六年(皇紀一四一四年)で、天平てんぴょう七年から約二十年をてゐる ◯水のある處 飮料水いんりょうすいのある場所 ◯國を去就するの行程 日本から何日間で達し、何日間でかえるかの里數りすう ◯漂著の船 風波ふうはにただよつて達した船 ◯歸向する所 かえ海路かいろ

〔註一〕南島 加藤三氏の『琉球りゅうきゅうの研究』によると、南島なんとうについてかう記されてゐる。「古來こらい概稱がいしょうして、南島と呼んだのは今の琉球りゅうきゅう諸島を中心として、西南は臺灣たいわんつらなり、東北は奄美あまみ諸島、薩南さつなん諸島を以て、九州南端に接するところの一たいの列島を指したもので、の列島は約八百海里かいり海上かいじょうおいて、地脈ちみゃく斷續だんぞくしてゆるく遠く、一の弧狀こじょうしてをる」云々うんぬん。『日本にほん書紀しょき』などには、奄美あまみ掖久や く多禰た ね大隅)などが、南島にぞくするものとしてげられてをり、奄美あまみしま琉球りゅうきゅう國祚こくそ肇基ちょうきの地として知られてゐる。掖久島やくじま古史こ し益救や く又は𤥿玖や くとあつて、南島の總稱そうしょうとせられ、これ屋久やくじまとも書く。更に多禰島たねじまは、古史こ し多褹た ねあるい多禰た ねとあつて、時にはそれをも、南島の總稱そうしょうに用ゐる場合がある。『日本紀しょくにほんぎ』には屋久やくじまについて「天平てんぴょう勝寶しょうほう六年、太宰府だざいふそうす、入唐にゅうとう副使ふくし吉備朝臣きびのあそん眞備ま び、去年十二月二十七日を以て、益久島やくじま來著らいちゃくし、これよりのち益久島やくじまより進發しんぱつ漂蕩ひょうとうして紀伊きいのくに牟漏崎むろさきちゃくす」とある。それらによつて考へると、本勅ほんちょくにある南島とは、屋久やくじまのことかも知れない。あるいは、掖久や く奄美あまみ多禰た ねをも含んでゐるのでもあらうか。また琉球りゅうきゅう中心に、臺灣たいわん・九州方面の諸島をも含んで、これを南島としょうしたのでもあらうか。この方面の開拓は、おそらく、文武もんむ天皇の二年に文博勢ふみのはかせに兵を率ゐて南島を探檢たんけんせしめられた頃に始るのであらうと推測される。日本の勢力大隅おおすみ方面のみならず、琉球りゅうきゅう方面にまで伸べようとされた御心持おんこころもちや、意味が、南島にはいてたことにうかがはれるやうに思ふ。すなわちそれは南方への發展はってん・飛躍の一たんである。

【大意謹述】去る天平てんぴょう七年に、當時とうじ太宰府だざいふ次官であつて今は故人となつたじゅ四位じょう小野朝臣おののあそみおゆは、部下の高橋連たかはしのむらじ牛養うしかい琉球りゅうきゅうに派遣して、各島に木札きふだを立てしめた。しかしその木札は年と共にちはてて、今は見るかげもない。それでは非常に不便であるから、早速昔通りの木札を立て、そのおもてには島の名・船著ふなつきに都合のよい場所・飮料水いんりょうすいのあるところ及び日本からの往復距離を明瞭めいりょうに記し、海上かいじょうからその島名の記してある木札を見て、風波ふうはに流された船の到著とうちゃくすべきてん、及びかえ海路かいろの具合を知らせなければならない。

【備考】本勅ほんちょくはいすると、南島なんとうふだてたことは、一方において隼人はやと勢力を抑へ、これを同化する意味をも含んでゐたものであらう。すなわち異民族として南方に割據かっきょする隼人はやと皇化こうかよくせしめるといふことが、當時とうじの大切な仕事の一つだつた。それにたいして、隼人はやとらが自分らの利益りえきを奪はれると思つて反抗し、日本政府から三囘迄かいまで平定へいていのために軍を派遣されたことがある。したがつて、南方への進出の序幕として、隼人はやと平定といふことが先決條件じょうけんとなつたとも見られよう。以上の關係かんけいから考へると、南島にふだてられた意味が、おのづから分明わ かる。

12 卽位の宣命 孝謙天皇(第四十六代)

卽位そくい宣命せんみょう天平勝寶元年七月 續日本紀

天皇御命良末止勅命、衆聞⻝宣。

挂畏我皇天皇、斯天日嗣高御座受賜、仕奉負賜、頂受賜末里、進不知、退不知、恐久止天皇御命、衆聞⻝勅。

故是以御命坐勅、朕者拙劣雖在、親王始而、王等臣等諸天皇朝庭立賜部留⻝國戴持而、明淨心以、誤落言無助仕奉弖之、天下者平治賜、惠賜布閇支止奈毛、神隨所念坐久止天皇御命、衆聞⻝宣。

【謹譯】天皇すめら御命おおみことらまとりたまふおおみことを、もろもろきこしめさへとる。

けまくもかしこおおきみ天皇すめらみこと、この天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざをうけたまはりてつかへまつれとおわせたまへいただきにうけたまはりかしこまり、すすむもらに退しりぞくもらにかしこみまさくとりたまふ天皇すめら御命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

れ、ここて、御命おおみことにませりたまはく、つたなおじなくあれども、親王み こたちをはじめて、おおきみたち、おみたちもろもろ天皇すめら朝廷みかどてたまへる⻝國おすくにまつりごといただきもちて、あかきよこころをもちてあやまおとすことなくたすつかまつるによりてし、あめしたたいらけくやすけおさたまめぐみたまふべきものにありとなも、かんながらおもほしさくとりたまふ天皇すめら御命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯天皇が御命 孝謙こうけん天皇おおせ ◯らまと 確かにと念をおすこと ◯我が皇天皇 聖武しょうむ天皇を申したてまつる ◯負せたまへ 責任を持たせられる ◯頂にうけたまはり 尊敬の念をもつて皇位こういぐこと ◯拙く劣く 才德さいとく共におとつてゐる意。勿論もちろん天皇御遜辭ごそんじである ◯戴きもちて とうとみ重んじて保つ。

【大意謹述】天皇おおせとして告げられる大命おおみことを、一同の方々もきこしめされるやうもうし上げる。恐れ多くも先帝聖武しょうむ天皇に於かせられては、今囘こんかいちんに向はれて、「この萬世ばんせいけい皇位こういいで奉仕するやう」と重任じゅうにんを託せられた。朕はそのむねの上もなく尊敬してうけたまわつた。が、進んですることも出來で きず、退いてあまりの大任たいにんはたすだけの才德さいとくがあるかと疑はざるを得ないとおおせられる天皇御詞みことばを、一同の人々もきこしめされるやう申し上げる。

 このゆえ御卽位ごそくいあたつて、天皇大命おおみこととして一同に以下の事を告げまゐらせる。ちん才德さいとく共に天皇として似合に あはしくはないが、親王しょしんのうをはじめ、諸王しょおう諸臣しょしんなどの協力のもとに、御代々ごだいだいの制定された政治方針をとうとみ重んじて保つてゆきたい。したがつて一同は忠義ちゅうぎに厚く、二しんなく奉仕する心をもつて萬事ばんじ失政しっせいのないやう朕を輔佐ほ さしてほしい。かくてこそ始めて天下は平和で安穩あんのんとなり、國民こくみん愛撫あいぶするのじつげるであらうと考へる。右、おおせられる天皇御詞みことばを、一同の方々もきこしめすやう告げまゐらせる。